レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
1.堅忍
小さなランプを手に、リディアは階段を下りて書庫へと入った。部屋の真ん中にある木製の机にランプを置くと、壁一面を覆う本の背表紙に目を走らせる。シャイア神の指し示したこの部屋のどこかに、解決への糸口が眠っているのだ。
まぶたを閉じると、シャイア神の力が放出された時のことが浮かび上がってきた。苦しげな中、フォースは必死で何かを探っていた。そしてシャイア神がフォースにかけた、戦士よ、という言葉。
毒を受けたフォースの血を吸い出している時にも、同じ言葉を聞いた気がする。まるで愛おしむように優しく、言い聞かせるように強く。
リディアは目を閉じたまま、胸を抱くように手を重ね、シャイア神の存在を探した。自分の心臓の音が聞こえるその奥のどこかに、シャイア神は必ずいる。
フォースに何をしているのか、戦士とは何のことなのかを教えて欲しい。血を飲んだ意味も、何を望んでいるかも知りたい。そして、自分に何ができるのかも。
背後に階段を下りてくる音が聞こえ始めた時、心の奥底で虹色の光が顔を見せない朝日のようにあふれ出した。リディアがそっと瞳を開けると、本の背表紙が数冊、あちこちで同じ光を放っている。その本がゆっくり通常の状態に戻っていくことに気付き、リディアは慌てて手を伸ばした。
「リディア?」
階段を下りてきたグレイも、淡く残った本の光に気付いたのだろう、光を帯びた本を棚から引き出して机に重ねる。
「あと一冊、あそこに」
リディアが上の方に光を見つけて指差すと、グレイはガタガタと椅子を引きずってきて踏み台にした。グレイが目一杯上に手を伸ばすと、本の背表紙下部に、その指がかかる。
「出てこいって……」
少しずつ引っ張り出し、ようやくその本を手にすると、グレイは椅子を降りた。机の本にその本を重ねる。全部で六冊だ。
「どうしたんだ? これ」
本の背表紙にある題名を眺めながら、グレイがリディアに問いかけた。
「祈りながら疑問を並べてみたの。目を開けたら光っていて」
「じゃあ、これに答えが?! これだけなら一日もあれば」
グレイが期待のこもった目で、本をきちんと重ね直し、腕に抱えている。
「本当に教えてくださったのならいいのだけど」
「なに、順番が変わるだけだ、先に見てみるよ」
グレイはリディアに片目をつむって笑みを見せ、階段に向かった。
その時、部屋に入ってきたのだろう、一階からアリシアの声が聞こえてきた。
「いきなりそれって、ないんじゃない?」
「そうかな」
一緒にいるのはバックスのようだ。グレイが足を止めて振り返り、口に人差し指を当てる。首をかしげたリディアに上を指差して見せると、グレイは音を立てないように階段を上り始めた。リディアもグレイにならって、そっと歩を進める。
「普通はいくらかでも、そういうお付き合いをしてからでしょう?」
「別に普通を目指さなくても。気持ちだけじゃ駄目か?」
リディアはそこまで聞いて、バックスがアリシアに求婚したのだと察しがついた。グレイは、頭半分を一階にのぞかせて、二人の様子を見ている。
「そんなこと言われても。それに、今はまだ。せめて一度戻るまでは……」
「なぁ、これ以上フォースに背負わせるのはやめないか?」
「そんなつもりじゃ。だって、あの子が連れていかれた責任の一端は、私にもあるのよ」
「つもりがなくても、結局はそういうことだろ」
「でも、私たちだけ幸せになりますって、リディアちゃんの前で言える?」
リディアは振り返ったグレイと、思わず顔を見合わせた。
「それは……」
「言えないのよ。言えるわけがないわ」
シン、と静寂が訪れる。リディアは不思議な気持ちでグレイを見つめ、その袖を引っ張った。
「どうして?」
「どうしてって……」
言葉に詰まったグレイが、苦笑を浮かべる。その顔を見てリディアは、自分が不幸だと思われているだろう、腫れ物のように扱われているのだろうことに気付いた。
グレイの顔に影が差し、見上げるとアリシアが手すりの上からのぞき込んでくる。
「誰? 立ち聞きなんか、あ、リディアちゃん?!」
その名前で慌てたのか、バックスのだろう、鎧の音がガチャッと音を立てた。グレイは苦笑すると、階段を上がりはじめる。
「立ち聞きだなんて。聞かせようとしたのかと思ってましたよ。バックスさんと一緒になった方が、フォースも安心するんじゃないですか? アリシアさん、結構それで口論してたじゃないですか」
「それは、そうかもしれないけど……」
眉を寄せてうつむいたアリシアに視線も向けず、グレイは抱えた本を机まで運んで置き、いつもの席について何事もなかったかのように本を開いた。グレイのあとについて階段を上がったリディアに、ソファーの陰から子供の姿のティオが駆け出してきて抱きつく。
「シャイア様とのお話し、終わったんだね?」
嬉しそうに言うティオに、リディアは笑顔でうなずいてみせた。
自分が寂しい思いをしているのは、誰もが分かってくれている。だからこそ、せめて気を遣わせないだけの明るさを持っていなくてはならないのだろうとリディアは思った。それができなければ、ここで人に囲まれていても、気持ちは孤独なままだ。
リディアはティオと手をつなぐと、アリシアに視線を向けた。アリシアは狼狽えたように声のトーンを上げる。
「リディアちゃん、気にしないでね? 聞かなかったことに」
冷めたような笑いが混ざったアリシアの言葉を、リディアは真剣な眼差しで見つめた。
「アリシアさん、フォースのことが好きなんですか?」
その言葉が意外だったのだろう、バックスは慌てたように吹き出し、アリシアは目を丸くする。
「ちょっ、ちょっと何言ってるの、そんなこと無いわよ。ただほら、あの子が連れて行かれたのは、私にも責任が」
どうにかして説明しようと必死になっているアリシアの腕を、バックスが引いた。
「だから、どうして結婚しないことで、その責任がとれるんだ?」
「リディアちゃんが辛い思いをしているのもそのせいなのよ? なのに私だけが……」
眉を寄せたアリシアの言葉に、リディアは静かに微笑んでみせる。
「私、自分のこと幸せだと思ってます」
その笑みを見て、アリシアとバックスは顔を見合わせる。リディアは二人の様子を見て苦笑すると、ティオに向き直った。
「そうよね?」
リディアの問いかけに、ティオが表情を変えずにリディアを見つめ、ウン、と首を縦に振る。人の心をのぞける、しかも子供のように単純なティオが言うのだ、疑う余地はないはずだった。
「ホントに?」
それでも信じられなかったのか聞き返したアリシアとバックスに、リディアはもう一度、努めて柔らかな笑みを向けた。グレイが本に目を落としたまま、ノドの奥で笑い声をたてる。
「そりゃあ、フラれたけど好きでいてもいいですよね? なんて言ってた頃とは比べものにならないくらい幸せだろうね」
「グレイさんっ?!」
一気に顔を上気させて、リディアは両頬を手で隠した。キョトンとした顔でリディアを見ているアリシアを、プッと吹き出すように笑い、グレイはリディアに手招きをした。
「あとは放っておいてもいいよ。結婚するもしないも、彼らが勝手に決めることだからね」
アリシアを気にしながらグレイのところへ行くと、リディアは積んである一番上の本に手を伸ばした。グレイがその腕をツンツンと突く。
「見てごらん、ここ」
腕を突いた指で、グレイは開いた本の文面を指差した。リディアはその文面をのぞき込む。バックスとアリシアも何事かと顔を寄せてきた。グレイは指先の文章を声に出して読み始める。
「神の守護者はその血を守るため族外に子孫を儲けることはない。だが神の意図による例外がある。それを戦士と呼ぶ」
「例外……」
笑みを含んでつぶやいたバックスに、アリシアが冷たい声を向ける。
「そっち? 神の意図って方に問題があるんでしょ?」
「いや、フォースが聞いたら、また頭抱えそうだなと思って」
グレイはバックスに口半分の笑みを向けると、視線を本に戻し音読を続ける。
「一族の者は、神の力を利用して神を守護するが、戦士は神が本来の姿を失っている時に、剣などの武器を以て守護するために存在するとされ、……、神が本来の姿を失っている時?」
グレイは、一部を反復すると顔を上げた。
「なんだそりゃ?」
「そ、そんなこと聞かれても、異常だって事くらいしか……」
目の合ったリディアは、思わずうろたえてうつむいた。グレイは乾いた笑い声を漏らす。
「ごめん。そりゃ、そうだよなぁ」
「また何気なく、とんでもないことを書いてあるのね」
ため息混じりで言ったアリシアの言葉に、グレイは肩をすくめた。
「まぁでも、まだ六冊あるうちの一冊目の冒頭だ。こんな風に理解していければ、何が起こっているのかも具体的に分かるかもしれないよ」
グレイの言葉に、四人はうなずき合った。
リディアは、自分が少しでも役立てたのだと思うと嬉しかった。安堵感から控え目にホッと息をつくと、アリシアが後ろ盾をするように背中をポンポンと叩き、笑みを向けてくる。リディアもアリシアに微笑みを返した。
扉にノックの音が響いた。
「サーディ様です」
続けて聞こえたルーフィスの声に、バックスは駆け寄って扉を開けた。リディアの側に立っていたティオがいきなり駆け出し、サーディとルーフィスの間を通り抜ける。
「な? なんだ?」
何事かとティオを振り返ったサーディとルーフィスの側まで行き、リディアは外を見た。ティオが空へ向かって両手を広げる。
「ファル!」
その名前につられて、リディアは空に視線を移した。小さく黒く見えていた影が少しずつ大きくなり、鳥の形に見えてくる。
「ファルだって?!」
グレイもすぐ後ろまできて、外に目をやった。たくさんの視線の中、ファルは舞い降りてきてティオの頭に止まった。
「ファル、お帰りー」
ティオは元気にそう言うと、ファルを頭に乗せたまま、なにやらブツブツ話しをしながら戻ってくる。扉のところまで来ると、ティオはリディアを見上げた。
「リディアがフォースを心配しているから付いていったけど、フォースもリディアのこと心配してるって。フォースがリディアのこと聞くから来てみたんだって」
「なんて聞いてたって?」
サーディがティオとファルを交互に見ながら尋ねた。ティオがチラッとファルを見ると、ファルは地面に降りてティオを見上げる。
「ええとね、リディアに会いたいって。側に感じたい、抱きしめたい、側にいないのが辛い。今何をしてる? 何を思ってる? 元気でいるか知りたい、って」
ティオを見ていたリディアは、赤らんだ頬を両手で包み込んでうつむいた。サーディも顔を赤くして、貼り付けたような笑みを浮かべている。
「心配っていうから……」
サーディが照れているのに気付き、グレイはノドの奥で笑い声をたてた。
「そんな分かり切ったことを聞くから。何年付き合ってんだ、まったく」
「でもホッとしたよ。これで本人と直接連絡が取れるな」
サーディの言葉に、ティオは目をしばたかせていたが、ハッとしたように目を丸くしてリディアを見上げた。
「タスリルさん呼んでくるよ。ファルが来たら教えてくれって言ってたから」
リディアがうなずいてみせると、ティオはファルに、休んでて、と言い残して走り出した。ティオの頭にいたファルが部屋へ入ってきて、二階の廊下へと続く階段上部の手すりに飛び移る。ファルは何度か翼をばたつかせると、空気を取り込むように羽を立てて丸くなった。
全員が部屋に入ると、ルーフィスが扉を閉めて内側に立った。アリシアが、お茶を、と言い残して神殿へと続く廊下へと消える。サーディはアリシアに声をかけそびれたのか、気の抜けたため息をついた。
「こっちは収穫がなくて。あっちの使者は相変わらずリディアさんをよこせってうるさいし、ゼインの所在もつかめないどころか、身元までおかしなことになっちゃって」
リディアはゼインの名前を聞いて、襲われた時のことを思いだし、顔をしかめた。ゼインが何かとフォースに当たっていたのは、どういう理由からなのかと、疑問も蘇ってくる。グレイも苦々しい顔になり、サーディに不機嫌な視線をむけた。
「身元? 曲がりなりにも騎士だったんだろう」
その言葉を聞いて、バックスがフンと鼻で笑った。
「家が複雑だとは耳にしたが。父親が死んだ時、祖父さんがいるのに余所で育てられたことを恨んでたとか」
サーディはポンと手を叩くと、バックスを指差して、大きくうなずいて見せる。
「そう、その祖父さん。ゼインを育てた両親が、その祖父さんを知らないんだ」
その言葉に、バックスはキョトンとした顔でサーディを見つめる。サーディは苦笑を返した。
「その祖父さんは騎士のあいだでは周知の事実なんだけど、それが誰なのか知っている奴はいないし、騎士になった時の記録でも、身寄りがなくて引き取られたことになってるし」
そう言うとサーディは、お手上げとばかりにぞんざいに両手を広げ、肩をすくめた。
「サーディ様? 確かゼインもクエイド殿が推挙したんでしたよね?」
バックスが疑問を向けると、サーディは間を置かずにうなずく。
「そう。フォースと一緒だったから、よく覚えてるよ。そういえば。フォースと比べるからかな? ゼインはクエイド殿にやたらと気に入られていたような」
「そうなんですか? 城都で最後にお会いした時、大声で喧嘩してらしたのですけど」
リディアの言葉に、サーディは、そうなの? と問い返した。リディアがうなずくとグレイが、それ、と人差し指を向けてくる。
「リディアが降臨を受ける少し前の」
「はい。部屋の中から言い争いをしながらクエイドさんが出てきたんです。とても不機嫌で」
その答えに、グレイは納得したように何度かうなずくと、疑わしげに眉を寄せた。
「あの時の罵声って、クエイド殿とゼインだったんだ。それにしては妙になれなれしい雰囲気だったような」
「仲がいいんだか悪いんだか分からないな。クエイド殿本人にも、聞いてみた方がいいかもしれない」
サーディはバックスと一緒に、ドアのところに立っているルーフィスの所へ行くと、何事か話し始めた。
リディアはグレイに手招きされて、本を乗せた机に戻った。
「とにかく調べよう。一つでも多く知らせてやりたいでしょ」
リディアは、はい、と返事をすると、積んだ本を挟むように、席を一つ空けた隣に座った。
「そうそう、手紙はリディアが書いてね。俺の字だったら逆上されそうだから」
グレイが、本を一冊手に取ったリディアに意味ありげなニヤついた笑みを向けてくる。
「詩の内容と、戦士のことさえ書いてあれば、あとは好きにしていいからね」
その言葉を聞いて、リディアは手紙を書かせて貰える嬉しさに、まっすぐな微笑みを返した。
***
フォースがいた窓のない部屋は、当然日中でも暗い。その部屋の隅にある小さな机でランプの光を頼りに、リディアはフォースへの手紙を書いていた。
タスリルに指定された紙は、長旅に耐えられるように厚くできていた。そのせいか、大きさは手のひら一つと半分くらいしかない。あまり量は書けそうになかった。
リディアはたくさん書き込もうと、息を殺してできるかぎり小さな字を連ねた。書かなくてはならない事をメモした分をすべて書き移すと、それだけで小さな紙の三分の二ほど面積が埋まっている。
空いた分には何を書いてもいいと言われていた。でも、その白く残った部分を目にすると、あふれてくる気持ちがあまりにも大きくて、何から文字にしていいのか決められない。
リディアは小さく息をつくと、気持ちを落ち着けようと、左後ろを振り返った。そこにある腰の高さの棚の上には、フォースの着けていた上位騎士の鎧が置いてあり、ランプの明かりを柔らかく反射している。
閉じたドアの向こうに、微かな人の声がした。リディアは思わず顔を上げて、廊下に意識を向ける。
「よく分からないです。今でも好きか、なんて」
ユリアの声だ。フォースのことを言っているのだろうかと、リディアは耳を澄ました。
「でも今は、好きと言うよりも憤りの方が大きいです。誰もが帰ってくるって信じているみたいですけど、私は……。信じていて裏切られるのは辛いです」
「裏切られたことが? もしかして恋人?」
リディアは、その声で相手がサーディだと分かった。
「……、いえ」
「あ、ゴメン。こんなこと聞くべきじゃないよね」
リディアは、ドアの側で立ち止まったのだろう二人の会話を聞きながら、サーディとスティアの会話を思いだしていた。
スティアはユリアを嫌っているらしく、サーディにユリアとは付き合うなと遠回しに言っていたのだ。だがリディアには、サーディのその視線に、気持ちがあるかどうかは分からなかった。スティアが気にする割に、どこか冷めた目をしていたと思う。
ユリアの力が抜けた笑い声が、いつもより明るく聞こえる。
「恋人を作るのは、私には無理です。手放しで人を信じることができません」
「他人に自分の半分を任せて、他人を半分背負う、ってやつか」
「はい」
「やってもみないで最初から無理だなんて、もったいないこと言わなくても」
「もったいない、ですか?」
サーディはうなずいたのだろうか、ユリアの笑い声が、また微かに聞こえた。
「でも今私、それどころではないんです。リディアさんは信じるとか裏切るとか、そういったことと違う世界に居るんですよね。どうしてなのか知りたくて。そこに私にとっての答えがあるような気がして」
「ああ、なんか分かる気がする」
ユリアとサーディの言葉に、リディアは目を丸くし、ここから返事を返すこともできずに、口を手で押さえてうつむいた。まさか自分の名前が出てくるとは思わなかったし、ましてや違う世界などと言われても、どういう事なのかサッパリ分からない。
それでもリディアは、もし自分の存在がユリアにとって幾らかでも役に立てるのなら、手を貸してあげられればいいと思った。
「シャイア様が選ばれた方ですものね」
「そうだね」
ふとリディアは、左足にくくり付けてある短剣が、熱を持ってきたように感じた。服の上からそっと手をのせてみると、そこからフワッと暖かな温度がリディアの手のひらに伝わってくる。
「とても清楚で、しとやかで優しくて」
こんな時にそんなこと言われても、と口の中で小さくつぶやきながら、リディアは巫女の服の裾を思い切りまくり上げ、太股にくくり付けてある短剣に視線を落とした。短剣は、ボォッとした虹色の薄い光を放っている。この短剣にまで、シャイア神の力が働いていたのだ。
「フォースには願ってもないほどピッタリだと思わない?」
「はい、って言って欲しいんですね。フォースさんのために」
ユリアは心から自然にサーディと会話をしているよう聞こえた。そのユリアが答えを濁したのを聞いても、リディアにはどういうわけか今までのように気にはならなかった。それよりも今は、短剣がはらんだ虹色の光がうとましく感じる。
もしかしたら自分は、シャイア神に嫉妬しているのかもしれないとリディアは思った。短剣はフォースと自分との間にシャイア神がいない唯一の繋がりだったのに、そこにまた虹色の光が割り込んでいる。
自分は今一人なのだという思いに突き上げられ、リディアは胸を抱くように押さえた。
それでも。フォースがシャイア神の力を必要としているなら、巫女という立場を放棄するわけにはいかない。このまま巫女でいることが結果的にフォースを守ることになるなら、辛くても寂しくても、自分は決してシャイア神を離さない。
リディアの耳に遠くからグレイらしき声が、内容は分からなかったが聞こえた気がした。
「ホントか?」
空耳ではなかったのだろう、サーディは大声でそう聞き返すと、階段の方へと向かっていく。ユリアのだろう、もう一つの足音もそれに続いた。
また何か分かったのかもしれない。だが、短剣のことも話さなければならないと思うと、リディアは気が重かった。
リディアは、フォースへの手紙とランプを手にして立ち上がった。ランプの火を消してドアの脇に掛け、廊下に出て階段へと向かう。
「ってことは、その意志を持って裂かんってのは、まさか……」
二階階段に差し掛かったところで、サーディの声が聞こえた。階下にはグレイとサーディ、ユリアが見える。リディアが階段を下りはじめたことに気付き、グレイが見上げてきた。
「あ、リディア。書けた?」
はい、と返事をして階段を下りきり、リディアはグレイの側に立った。サーディとユリアが顔を見合わせ、サーディが声をかけてくる。
「リディアさん、上にいたんだ?」
「はい。これを書いてました」
リディアはフォースに宛てた手紙を、サーディが見えるように向けた。サーディは目を細めて手紙に見入る。
「また小さい字だな」
「全部書かなきゃと思って真剣だったんですけど。思ったよりたくさん余りました」
リディアが苦笑すると、サーディはつられるように引きつった笑みを見せた。
「よかったよ。書いて欲しいことが、もう一つ増えたらしいから」
ああ、とあまり乗り気でない返事をして、グレイは口を開く。
「ここを見て。女神との契約について書いてある」
リディアはグレイが指し示したページに視線を落とした。
――神の守護者と族外の者にもうけられし子は、武器を持ち戦士と呼ばれる。戦士はその血を神に捧げ、媒体を身に着ける事により、神の戦士となる。媒体ある限り、他神の力はその者に対して無効となる。ただし、神と戦士の距離により、他神の力が優る場合がある――
反目の岩で別れたあの時、シャイア神が血を飲めと言ったのはこの契約のためだったのだ。媒体は、巫女の服を裂いてフォースの腕を縛った布なのだろう。そして。
「フォースを苦しめているのはシェイド神……?」
リディアは、自分の顔が青冷めていくのを感じた。グレイが頭を振る。
「いや。その確率は高いけど、まるきりそうだとも言い切れない。詩の最後が、風、つまりは神の影裂かん、だからね。敵は影だ。それがなんだか分からないのが歯痒いんだけど」
「フォースが苦しんでいるのは、シャイア様が遠いから……」
今自分がフォースの側にいないことが、ひどく怖い。リディアは震える口元を両手で覆った。サーディがリディアの気持ちを察したのか、リディアの正面に立つ。
「付いて行くべきだったなら、シャイア神が最初からそうしているはずだ。それにリディアさんに来いって言っているのはフォースじゃない。冷静に、って、今は難しいかもしれないけど、フォース自身が迎えにくるまで、どこにも行かない方がいい」
フォースのあの苦しみがこの距離のせいなら、少しでも側に行きたいとリディアは思った。でも、この身一つでライザナルへ入るのも、やはり自殺行為なのだ。シャイア神の降臨を解かれる様なことがあったら、フォースの側に行くことができても意味はない。
リディアは唇を噛んでうなずいた。きっとフォースは生きて帰ってくれる。信じなければ。信じたい。いや、信じられる。フォースは自分に嘘をついたことはないのだから。どんな困難に思えても、フォースが約束してくれたことなのだから。
「これも、書き足した方がいいですね」
まだ少し震えの残るリディアの声に、グレイはうなずいた。
「頼むよ」
そう答えると、グレイはその文章を紙に書き写し始める。サーディは肩をすくめて苦笑した。
「リディアさんが書く場所が無くなっちゃうのは残念だけど、フォースならリディアさんの字ってだけで喜んでそうだ」
「だからリディアに頼んだんだ」
グレイの返した言葉に、サーディはノドの奥で笑い声をたてた。
グレイから書き写した紙を受け取り、リディアは書きかけの手紙と重ねて持った。
「あの、フォースの短剣なんですけど」
話しを切り出しづらそうに言ったリディアに、グレイが向き直る。
「どうしたの? なにかあった?」
「光っているんです。シャイア様の光が……」
リディアの言葉を、グレイはポカンと口を開けて見ていた。それから頭を抱え込む。
「また一つ問題が」
「ごめんなさい」
思わず謝ったリディアに、グレイは苦笑を向けた。
「いや、リディアが謝る事じゃないよ。それより、また頼めるかな」
グレイはそう言うと書庫に続く階段を指差した。
「はい。シャイア様に尋ねてみます」
しっかりと言ったリディアに、グレイは笑みを向けた。
「手紙の続き、書いてきますね」
リディアはグレイの微笑みに向けてそう言うと、階段に向かった。ユリアが呼び止めるように声をかける。
「お茶、運びますか?」
「書き終わったら、いただきにきます。ありがとう」
リディアは精一杯の笑みを見せて、階段を上がった。そのまままっすぐフォースの部屋へ向かい、内側に掛けていたランプを手にして、燭台のある廊下の突きあたりへと向かう。そこでランプに火を入れると、部屋へと入った。
ランプに灯る炎の反射が、置きっぱなしになっている鎧の上で揺れ動いているのが目に入ってくる。その明かりを見て、リディアは、宝飾の鎧のレプリカにまとわりついて鈴のような声で話しかけ、胸のプレートにキスをしていた妖精を思い出した。
あの時は、見ていることすら恥ずかしかった。でも、今は違う。ティオは中身が入っていないと言ったが、それでもいつも身に着けていたその鎧も、抱きしめたいくらい愛おしいと思った。リディアは鎧の側に立ち、今は冷たい金属を、なぞるように触れる。
「私もシャイア様からフォースを取り返したい」
そう言うとリディアは、少しお辞儀をするような格好で、肩のプレートにそっとキスを落とした。