レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
2.種族の記憶
「お呼びでしょうか」
「テグゼルか。入ってくれ」
石の祭壇に並べてあった呪術の道具を片付けながら、マクヴァルはそう口にした。
石造りの重たいドアがゆっくりと動き、その僅かな空気の流れで、部屋を照らすロウソクの明かりがほんの少し揺れる。
このロウソクが数本あるだけの暗い部屋に、ダークグレイの鎧をまとった金髪の騎士が入ってきた。
テグゼルはマクラーン城内の神殿警備をしていたが、アルトスがフォースの護衛に移った後、城内全体の警備責任者に就いている。
見栄えのする外見のせいか、皇族の送り迎えには必ず駆り出される人物だ。マクヴァルの側まで行くと、その金髪は小さなロウソクの光を乱反射して輝きだす。
「レイクス様の様子はどうだ?」
マクヴァルは振り向きもせず、テグゼルに声をかけた。テグゼルはかしこまったお辞儀をマクヴァルに向ける。
「塔の部屋にこもったままです。アルトスと剣を合わせるため、時折部屋を出ている様ですが」
一度うなずくと、マクヴァルは初めて片付ける手を止め、細めた目でテグゼルをチラッと見やる。
「シェイド神の力は?」
「いまだ及んでいるようです」
テグゼルの返答を聞いてマクヴァルは、そうか、とうなずいて見せた。だが内心ではホッとする気持ちが強い。
フォースがシェイド神の力に反応するということは、もしもシャイア神と契約を交わしていたとしても、かんじんの媒体は持っていない事になる。
ただマクヴァルは、戦士と呼ばれる存在も含め、神に関するすべてを知っているわけではないと心得ていた。そのために、青い瞳を持った老人の血を使った呪術を毎日のように繰り返し、神やその守護者に関する知識を重ねようと努力している。
今の立場のままだと、フォースは何もできないだろう。なんらかの行動を起こすまでは、その存在をあまり気にせずともよさそうだとマクヴァルは思った。
だが。気になる存在が脳裏をよぎる。
「ジェイストークはどうしている?」
「ジェイストーク殿は、相変わらずレイクス様の側に付いております。小姓の教育もしているようですが」
テグゼルの言葉に、マクヴァルは眉を寄せる。
「血が繋がっているとはいえ、理解できん。そなたのように年齢が近いと、想像もつけられるかもしれんが」
「いえ、近いとおっしゃいましても彼は既に二十八、私は三十です。それぞれ思惑をそうそう表には出さないかと」
その言葉を聞いて、マクヴァルはフッと息で笑った。
「そうか。私は時の流れというモノに、疎くなっているのかもしれんな」
そう言いながらマクヴァルは、生まれ育つ中で芽生えてきた自我に沿って、もう一つの意識があったことを思いだしていた。
二十九年前。その頃のマクヴァルは、同じ身体の中で現世を生きる細い意識を統べようと躍起になっていた。神を内包している自分の意識こそが、身体を独占するにふさわしいのは間違いない。神の力を以て徹底的に放逐していく勢いに、その意識はなすすべもなく深層へと存在を潜めていった。子を成したという事実だけが、細い意識の抵抗だった。
子をなしたそのもう一方の意識は、今は感じることもなく、呼び起こされてくることもない。いくらジェイストークが息子だといっても、繋がりは血だけのはずだった。
それでもマクヴァルは、その息子がレイクスと共にいることに憤りを感じていた。こういった感情が残っているのは、まだこの身体のどこか根底に、もう一方の意識が流れているからなのだろう。そしてその意識が、ジェイストークの存在を息子と認めさせようとしているのだろうか。
「ジェイストーク殿と、お会いになりますか? 何かお話があるのでしたら」
テグゼルが、黙り込んでいたマクヴァルに声をかけてきた。その訝しげな表情に、マクヴァルは苦笑を返した。
「いや、その必要はない。信仰を外れるようなことがあれば別だが」
「それでしたら心配なさらなくてもよろしいかと。毎日同じ時間に、彼を神殿で見かけておりますので」
テグゼルの言葉に、マクヴァルは薄い笑みを浮かべた。
「何よりも神の力だ。神の力こそを信じるべきなのだ」
ジェイストークには、シェイド神への信仰が染みついている。もしもジェイストークがレイクスに何か吹き込まれるようなことがあったとしても、それでシェイド神を裏切るようなことは無いはずだ。
神の力という言葉に拝礼しているテグゼルを見て、マクヴァルはその思いを強くしていた。
***
ファルがいなくなってから、ソーンはフォースの部屋に来ると最初に窓から外を眺め、その存在を確かめるのが日課になっている。そして今日もソーンは、例外なく窓に駆け寄った。
「今日もいないですね。きっとホントに行ったんだ」
嬉しそうにそう言うと、ソーンはにこやかな顔で隣に立ったフォースを振り返る。
「でも……」
ソーンはいつもとは違い、いきなり眉をしかめた。フォースは、どうした? と、質問を向ける。
「どうやって言い聞かせたんですか? 何回言っても全然駄目だったのに」
「どうって……」
フォースは、何と言っていいのか返答に困った。いくら尋ねられても、リディアに対する想いを連ねた言葉を、そのままソーンに伝えるのははばかられる。ソーンは疑わしげな目をフォースに向けた。
「まさか怒って追い出したとか? だから言えないんじゃないでしょうね? 帰ってこないかもしれないじゃないですか」
「いや、そうじゃない。……、もしかしてメナウルとかヴァレスとか、地名を教えてなかったかと思って」
フォースの言葉に、ソーンは目を丸くして見入る。
「だからかな。リディアのところに行って欲しいって言ったら、あっさり分かったみたいで」
そう言って苦笑したフォースに、ソーンは乾いた笑い声を立てる。
「なんだ、そうだったんだ」
ため息混じりの言葉に、フォースは肩をすくめた。
「ごめん。もっと早く気付くべきだったんだけど」
「しかたがないですよ。手紙を運んでもらおうと思って育てたんじゃないんだから……、じゃなかった、ないんですから」
下手に話が通じるから、ティオに任せきりにしてしまったのだ。ティオの存在に甘えず、自分でもやるべきだったのだろうとフォースは思っていた。
ソーンは肩をすくめると、窓の外に視線を戻す。
「きっと帰ってきますよね。いつ頃になるんでしょう」
その明るく弾んだ声につられるように、フォースの気が緩んだ。ファルが本当に帰ってきてくれたらいいと思う。
いつの間にかしっかりしてきたソーンの敬語がジェイストークのそれとそっくりなのも、当たり前だと思いながらも可笑しく、いくらかは晴れやかな気持ちにさせてくれた。
窓の外を見ていたソーンが、あ、と声を出す。
「レイクス様、下にジェイストークが。こっちに来ます」
「ホントだ。そんな時間か」
フォースはため息混じりにそう言うと、思い切りノビをした。ソーンがフォースを振り返る。
「今日は手ぶらでしたね」
「そういえばそうだな」
ソーンはフォースに笑みを向けると、もうすぐジェイストークが来るだろうドアへと向かった。フォースはドアの右手前にあるソファーに腰を下ろす。
ここのところジェイストークは、部屋に来るたびにライザナルの地図を持ち込んでいた。ソーンを含めた三人でその地図を囲み、町や村の特徴や気候、産物などを時間つぶしのように話していた。
無論これは必要な知識だろうし、ソーンにとってもいいことに違いない。どっちにしても暇なので、フォースは聞いたことをそのまま覚えるように努力していた。
「ジェイストークです」
その声と共に、ドアにノックの音がした。ソーンがドアを開けると、ソーンの言った通り、何も持っていないジェイストークが入ってくる。
「今日は地図は無しか。なんの用だ?」
フォースの言いように、ジェイストークは肩をすくめて微笑んだ。
「地理はだいたい覚えていただけましたので、今度はライザナルの行政を覚えてもらいます」
「行政……」
フォースはそこだけ繰り返すと、ため息をついた。
「こんなかったるいことをしていて、よく飽きないな」
「私は嬉しいですよ。なにせ、なんでもサクッと覚えてくださって。あなたがこんなに従順だと気味が悪いくらいです」
気味が悪くなるほど逆らったことがあるかと思いながら、フォースはフッと空気で笑う。
「ライザナルのことを知りたくて来たんだ。目的が同じってだけで、別に従順にしてるワケじゃない」
「どっちでもいいですよ。じゃあ今日は一年の主な日程から。ソーンもいらっしゃい」
ジェイストークは、フォースが腰掛けているその向かい側に落ち着いた。ソーンがフォースの隣に座る。まるで観光地にでもいるようなほのぼのとした雰囲気に、フォースの感情は逆に苛立ってきた。
「それよりシェイド神のことを教えろよ。マクヴァルとのことはどうなった?」
「今日は一年の主な日程から」
「おい」
同じ話しを繰り返したジェイストークに、フォースは眉根を寄せた。ジェイストークは一つ息をつくと、ゆっくりと口を開く。
「やはり、一番聞きたいのはシェイド神のことなんですね」
「それは何度も言っているだろう」
怒りを抑えたフォースの言葉に、ジェイストークは軽くだかハッキリと頭を下げた。
「ですが、今は無理です」
「だからどうしてだ? 教えろよ。シェイド神のことだって、俺が知らないままでは困るんだろう?」
「ええ。困ります」
ジェイストークは相変わらず頭を下げたまま、静かな口調で答える。フォースは、怒らせようと思っても全然様子の変わらないジェイストークに、思わずため息をついた。
「第一コレが原因で、俺もそっちも理解できなくて困っているんだ。だったら先にやってくれても」
「民間の教育課程と違うというのは、レイクス様にもおわかりでしょう?」
そう言うとジェイストークはソーンに向き直り、幸運なんですよ、と笑顔を向けている。
王族なのだと改めて突きつけられ、フォースは唇を噛みしめた。だが、民間と違うのは充分に理解できる。
「一般的なことは私で事足りますが、専門のことは各部の人間がお教えします。マクヴァル殿が神殿の、テグゼル殿が軍部、デリック殿が諜報部のトップです。マクヴァル殿はまだいい返事をくださらないですから、一番最後になるでしょう」
「だけど、そんなことを言っていたら、一生教えては貰えないかもな」
フォースがため息と共に吐き出した言葉に、ジェイストークは視線を据えた。
「いいえ。このまま一年経ってしまったら、状況が変わるんですよ」
フォースは表情を凍りつかせた。一年先にあるのは、リディアの拉致の計画だ。フォースの深刻な顔に、ジェイストークは慌てて両手のひらを向ける。
「あ、誤解なさらないでください。それを望んでいるわけではありません。正直、どこをどうすればそういう事態から逃れられるのか、考えあぐねているんです」
この状態を抜け出さない限りは、一年という期間の後、リディアの拉致は実行されてしまうだろう。
リディアの護衛にはルーフィスが就いている。もちろん簡単に拉致されてしまうとは思っていない。だが計画が実行に移されたら、メナウルにどれだけの被害が及ぶかも想像がつかないのだ。とにかくそれまでに、どうにかしなくてはならない。
ジェイストークは、黙り込んだフォースに苦笑を向けてくる。
「ある程度、できれば粘るというほどの期間を置かずに、レイクス様が直接リディア様を連れてこられるのがいいかとは思います」
ジェイストークが言うのは拉致ではない。確かにメナウルに被害を及ぼすことはないだろうが、リディアを危険にさらすことになる。
「それはリスクが大きすぎる。巫女である限り、狙われ続けてしまうのに」
「降臨はあらかじめ解いてしまわれるといいでしょう」
その言葉に面食らい、フォースは訝しげにジェイストークを見やった。
「前に駄目だといったのはジェイだぞ? どうして今になってそんなことを」
「陛下には、レイクス様がメナウルに戻られてしまうより、リディア様を后にされることを納得していただく方が、よほど平易かと。他に案が思いつかないというのもあるのですが」
フォースはもともと最後の手段として、降臨が解けた後にリディアを連れてこようと思っていた。だが、状況は変わっていないのにジェイストークの言っていることが、いつのまにか正反対になっている。何に起因した変化なのかと疑いたくなり、フォースはジェイストークの様子を観察するように見つめた。それに気付いたのか、ジェイストークは小さくため息をつく。
「他にも一つ理由があるんです。あちらとの連絡を取り合ううちに、どこからか介入されたとの報告をナルエスから受けておりまして」
「介入?」
「ええ。こちらからは何も言っていないはずの返答があったんです。リディア様は、文書ではなくレイクス様ご本人が迎えにいらっしゃらない限り、メナウルを離れることはありません、と」
その言葉に、フォースは眉を寄せた。誰かがもう既にリディアを拉致しようと動いているのだ。
「現在捜査中です。今は文書だけですが、行動に出られる前に、なんとかします」
頼むよ、と、フォースは難しい顔つきで返事をした。
現在停戦状態とはいえ、戦が続いている状態でリディアの降臨を解いて連れてくるということは、一年経てばメナウルにシャイア神のいない時期の戦を強いることになる。それを皇太子の立場で実行するのは、メナウルと敵対すると宣言するのに等しい。
いくらリディアを傷付けたくないからそうしたとしても、その事実は間違いなくリディアを苦しめてしまうだろう。どこをどうするにしても、戦はあってはならない。だが、戦をやめさせるためには、シェイド神と話しをしてクロフォードを説き伏せることが、どうしても必要だ。
何をどう考えても、結局はここに戻ってきてしまう。戦があっては駄目なのだ。フォースは大きく吸い込んだ息を全部吐き出すくらいの、盛大なため息をついた。
ジェイストークがフォースの顔をのぞき込む。
「サッサと実行なさいますか?」
「え? いきなり何言って」
「違うんですか?」
ジェイストークの言葉を、最初フォースは冗談かと思ったが、その顔を見る限りそうではないらしい。
「会いたいけど、今はまだメナウルにいる方が安全だ。できないよ」
フォースが首を横に振ると、ジェイストークは、そうですか、とさも残念そうに肩を落とす。
フォースは、ジェイストークがどうしてリディアを連れて来ることに一生懸命なのか、ひどく不思議に思った。自分を皇帝にしたいがために、要望を聞き入れようと言うのか。恩人であるリディアを傷つけるのは忍びないと思ってでもいるのか。そのどちらも、ここまで熱心になる理由とは、少し違う気がする。
「でも、考えておいてくださいね。今はそうかもしれませんが、一年経ってしまったらどうなるか分かりません」
ジェイストークの言葉に、考えておくよ、と返し、フォースは苦笑した。ジェイストークに対して疑いを持ってしまったことを、少し寂しく感じる。
「リディアのことは戦をなんとかした後にしたい。母のことがあったんだ、リディアのことも戦のことも、必ず分かってもらえると思ってる。甘いと思うか?」
「いえ。シェイド神のことがなければ、レイクス様がこちらに帰られた時点で戦は終わっているかもしれません。陛下はレイクス様を本当に大切に思っておられます。羨ましいですよ」
ジェイストークは柔らかな笑顔を浮かべているが、フォースはシェイド神の存在をさらに重く感じた。クロフォードとなら話すことはできるだろうが、それだけでシェイド神に話しが届くとは思えない。
だが。戦士よ、と言う声は、間違いなく自分にかけられたモノだ。人を介さずに話ができるのなら、それを狙うのが一番かもしれない。このままマクヴァルと会えるように頼み続け、それとは別に直接シェイド神に話しかけ続けてみようとフォースは思った。
ソーンが訝しげな顔で、ジェイストークの顔を見つめる。
「ジェイストークのお父さんとお母さんって」
フォースは慌ててソーンを止めた。
「駄目だよ。いきなりそんなこと聞くモノじゃない」
「いえ、かまいません。遠慮なさらずとも。私が羨ましいなどと言ったからですよね」
ジェイストークはソーンに微笑んでみせると、フォースに向き直った。
「とは言っても、母は亡くなっていますし、父はいないも同然ですから、あまり聞いて気持ちのいいモノではないと思いますが」
「それじゃ似たような……」
そこまで言ってから、フォースの脳裏にルーフィスとクロフォードが浮かんだ。
「って、違うか。俺には父は二人いるみたいだし」
「陛下を認めてくださるんですね」
ジェイストークの声が明るく響く。フォースはその声を押しとどめるように、思わず両手のひらをジェイストークに向けた。
「あ、いや。事実ってだけで気持ちは伴ってないんだけど」
「いえ、それでも嬉しいです。陛下も喜びますよ」
コン、とドアが音を立て、フォースは振り向いた。その向こうであと二回、ゆっくりと間隔を開けてドアがなる。
「噂をすれば、ですね」
そう言いながらジェイストークはドアへと進んだ。ソーンは慌ててジェイストークを追い、フォースはその場に立ち上がって身体をドアに向ける。
ジェイストークがドアを開けると、クロフォードが入ってきた。その後ろにいたアルトスがドアを閉める。ジェイストークは隣に立ったソーンを促し、一歩下がって頭を下げた。
「この部屋は久しぶりだ」
クロフォードはまっすぐフォースの側にまで来て真正面から向き合い、フォースの右腕に手を添えた。左の同じ場所にリディアの布を巻いていあることを思いだし、左腕でなくてよかったとホッとする。フォースは左側を避けるように身体を横に向けた。
「お前は本当によくエレンに似ている」
クロフォードはフォースの右腕をつかんで引くと、顔を上げたフォースの瞳を身体を寄せてのぞき込んだ。フォースがその視線に耐えられずに目を逸らすと、クロフォードはフォースを抱き留めようと手を伸ばす。
「な?! 何するんです、もうそんな歳じゃ」
腕から逃げ出したフォースに、クロフォードは寂しげに眉を寄せた。
「いくつになろうとも、お前は私の息子だ」
「そんなことを言われても……」
当惑しているフォースに、ジェイストークが苦笑を向ける。
「レイクス様、ライザナルの家族間では、わりと普段からそういう挨拶をするんです」
「でも俺には普通じゃない。いくら命令でも、気持ちを納得させるには時間が」
「もうよい」
フォースとジェイストークは、その言葉に視線を向けた。安堵と悔恨の入り交じった気持ちが、フォースの中でうごめく。クロフォードはゆっくりと一つため息をついて、口を開いた。
「もうよい。このようなことをそなたに命令などせん。謁見の間では、逃げずにいてくれたのにな」
「あ、あの時は、驚いて硬直して……。それにマクヴァルが薄ら笑いを浮かべて見ていやがるし。あ」
フォースは思わず怒っていないだろうかとジェイストークを見やってから、頭を下げる。
「無礼な物言い、申し訳ありません」
「マクヴァル殿も、もう少し納得のいく説明をしてくれたらいいのだがな」
そう言うとクロフォードは、ほんの僅かの苦笑を浮かべた。ジェイストークは何を考えているのか、いつもの笑みが張り付けたモノのように見える。
「どうかマクヴァル殿に会わせてください。直接シェイド神と話しをさせてください」
人を介さずにシェイド神に話しかけるにしても、今まで言っていたことをいきなりやめるわけにはいかない。フォースは同じ要望を繰り返した。
「巫女を差し出してくれぬ限りは無理だ。今、神の機嫌を損ねるようなことは、お前のためにもできないのだよ」
クロフォードからは、やはりフォースの思った通りの答えが返ってきた。何を聞いても答えは変わらないだろうと思いながら、フォースは話しを続ける。
「もし本当にシェイド神の意志で巫女を欲しているのなら、直接神から聞きたいのです」
「信頼してはもらえないか?」
「シェイド神を疑ってはいません。信頼できないのはマクヴァル殿だけです。なぜ一瞬で解けるはずの誤解を、解いてくださらないのか」
フォースの言葉に、クロフォードは考え込むように顔をしかめ、うむ、とうなずく。
「確かに、信仰を教える立場なら、会って話しをしてもらいたいとは思うのだが」
クロフォードは眉を寄せた顔を上げると、ジェイストークを見やった。
「ジェイストーク、そなたからもマクヴァル殿に話してみてはくれまいか?」
その言葉がジェイストークに向けられたことが、フォースにはひどく意外だった。ジェイストークとマクヴァルに何か関係があるとは、思っても見なかったのだ。
「それはかまいませんが……。たぶん私がなにを言っても、今は……」
ジェイストークの返答も、フォースには思いも寄らないモノだった。今は、というのはどういう事か。今でなければ、なんとかなるというのか。
「仰せの通りに」
改めてそう言い替えると、ジェイストークは頭を下げた。安心したのか、クロフォードが小さく息をつく。
「本当なら、お前がいなかった十八年を私に返して欲しいのだ。メナウルでの信仰も何もかもすべて忘れて、ここで生きて欲しいのだよ」
その言葉でフォースの脳裏を過去の出来事が一気によぎった。ドナの事件、母のこと、騎士になるための努力、リディアのこと。
「私の十八年は、あなたにとって意味はないと」
「そうでは……」
否定しようとしたクロフォードの言葉が途切れる。否定しきれないのは当然だとフォースは思った。どんな風に十八年を過ごしてきたのかなど、クロフォードには想像もつかないだろう。
それでも、もしかしたら自分の十八年を認めてくれるのではないかとの期待もあった。クロフォードと血が繋がっているからだろうか。でも、そうだとしたら自分もクロフォードと血が繋がっているのだ、やはりそれだけですべてを理解することはできない。
「あなたには腹立たしいだけかもしれないですが、私はメナウルで育ち、学び、生きてきたんです。もう戻れません」
これだけは事実だ。クロフォードが認めようが否定しようが、変わることではない。クロフォードの表情が悲しげに歪んだ。
「私から逃げるつもりか?」
「いえ。あなたに許しをいただくまではここを動かないつもりです。戦をやめると言っていただけないと、ここに来た意味もないですから」
フォースがしっかりと口にすると、クロフォードは安心したように肩をおろした。その仕草がフォースにはいとわしく感じ、思わず視線を逸らす。
「地下神殿に移してから、まだエレンの墓に参っていなかったな。行くか?」
その問いに、ドナの村で見た空の棺を思い出し、フォースは首を横に振った。墓を移したことを忘れていたかった。二度も母を葬るなど、あって欲しくなかったと思う。
「では、また来る」
クロフォードの言葉に、フォースはそっぽを向いたままぶっきらぼうに、どうぞ、とだけ答えた。
「邪魔をしてすまなかったな」
そう言うと、クロフォードは部屋を出て行った。
ドアが閉まり気配が遠ざかると、ソーンが声を立てて盛大なため息をついた。それを聞いたジェイストークが、可笑しそうにノドの奥で笑う。
「笑わないでよ。どうしていいか分からなくて、すごく怖かったんだから」
「でも、良かったですよ。なにも言わずにおとなしくしていてくれて」
ソーンにそう答えると、ジェイストークはフォースに向き直った。
「大丈夫ですか?」
「何がだ」
短く問い返したフォースに、ジェイストークは少し考えるように首をかしげる。
「陛下はレイクス様を否定するほど、レイクス様をご存じありませんよ」
ジェイストークが自分に向けた言葉に、フォースは顔をしかめた。
「そうだな。でも、知ったら分かってくれるんだろうか。俺にはそうは思えなくて」
どうして十八年も積み重ねた月日を返せと言えるのか。レイクスという人間の何もかもすべてを、クロフォード自身のモノだと思っているのだろうか。
「俺が今こうやって時間を奪われているから、クロフォードの気持ちは分かる。分かるんだ。だけど……」
クロフォードは母の存在すら忘れることができるのか。だからすべて忘れて欲しいなんて言えるのだろうか。
これだけ相容れないと思う人と、理解し合うのは可能なのだろうか。
こんなことで腹が立ったり寂しかったりするのは自分自身がクロフォードを親だと認めているからなのだろう。そう思うことが、またフォースには辛かった。
「一度おやすみになりますか?」
ジェイストークの心配げな声に、フォースは苦笑しながらうなずいた。ジェイストークに手を取られ、ソーンは心配げに歪めた顔でフォースを振り返り、部屋を後にした。笑顔にすらなれない自分に、ため息をつく。
ライザナルに来たのは間違いだったのだろうか。自分は自分のままでいて、足場だけ固めたいなんてのは無理なのかもしれない。それでも、ライザナルに来たからには、やらなければならないことがある。
ふと窓の外が違った景色に見えた。窓に向かいかけて、向かい側の屋根にファルがいることに気付く。
フォースはこっちへ来るようにと、慌てて手で合図をした。羽を広げ、こちらに飛んできて窓枠にとまったファルに、部屋へ入るよう指示する。
ファルが床に降りてから、ファルを見られなかったか確認するために窓の下を見ると、ちょうどジェイストークとソーンが塔から出てきたのが見えた。フォースは見上げてくるソーンに手を振って見せる。
「レイクス様ぁ!」
ソーンは笑顔になって元気に手を振り返すと、ジェイストークと城の中へと消えていった。
フォースは急いでファルの所へ戻ると、ファルの顔をまじまじと眺めた。
「ファル、ホントにリディアの所に行ってきたのか?」
ファルはフォースの言葉を無視するように身体を横に向け、右の足をフォースの方へ伸ばしてきた。そこに細く長い足輪が付けられていて、折りたたんだ紙の端がのぞいている。
フォースはファルの足に直接触れないように気をつけながら、足輪を押さえて紙を引き抜いた。山になった部分が少し擦れて毛羽立っているので、破けないよう慎重に開く。
びっしり書かれた小さな文字がリディアのモノだと、フォースにはすぐに分かった。最後に書かれている、少し斜めに書かれた文字に目がとまる。
――必要ならば私も行きます――
その字面を見るだけで、愛しさがこみ上げてきた。隅の方には更に小さな字で、ゼインがまだ見つかっていないことも書かれている。
「ファル、凄いよ。夢でも見ているみたいだ」
手紙に視線を落としたままつぶやくように言ったフォースに、ファルが顔を向けてくる。フォースはファルに笑みを向けてから、真剣に手紙に見入った。
火、土、水、風などを含めた詩の意味、神の守護者の子孫と戦士の存在、シャイア神の力と戦士との距離。それらを淡々と連ねた手紙を読み進むにつれ、バラバラだった母エレンとの記憶が、一本にまとまってくる。
火に地の報謝落つ
風に地の命届かず
地の青き剣水に落つ
水に火の粉飛び
火に風の影落つ
風の意志 剣形成し
青き光放たん
母とは反目の岩で会い、メナウルへ入ったとルーフィスに教わったこと。ドナの事件で斬られて死んだこと。そして自分が剣を取ったこと。それはその詩、つまりは神の守護者としての記憶に沿った運命だったのかもしれない。
幼い日に、母が見せた悲しげな笑みも、強くなりなさい、と言われ続けたことも、母がこの運命を知っていたからなのだろう。
そして事実だったその詩の先は。
その意志を以て
風の影裂かん
シャイア神は、神が本来の姿を失っている今、武力を持つ神の守護者、すなわち戦士としてライザナルの影を裂け、と言っているのだ。しかも、ここから先は既に決まっている運命とは違う。神が自分に向けた希望だ。
神の守護者の血を持っているから風の影を裂けと言われても、クロフォードと相容れないのと同じように、神のことを理解し、それが自分の役目だと悟ることができるまでには、相当な時間がかかるだろう。実際その役目を引き受けますと、自分から進んで神の前にひざまずく気持ちにはなれない。
だが。神はリディアに降臨しているのだ。もしも自分が従わなければ、リディアにどんな被害が及ぶか分からない。自分の命に代えても守りたい大切な人を、人質に取られているのだ。助けたければ従う以外にない。
さらに神は、自分と同じ血を持つ家族やライザナルという国をも、リディアと同じ天秤に乗せている。
エレンの神の守護者と呼ばれる血。クロフォードのライザナル王家としての血。フォースには、課せられた役目を遂行することで、その両方がすべて丸く収まるように仕組まれた神の策略に感じた。
風の影。その影を見極めるために、やはり自分はライザナルへ来なくてはならなかったのだとフォースは確信した。
そしてその影は、既にフォースの中で確実に形になりつつあった。