レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     3.端緒

 広く薄暗い神殿の祭壇中央に、黒い石でできた大きな像がえられている。像は背に大きな翼を広げて両腕を上に突き出し、炎の入った球形のランプをげていた。
「珍しいと思えば。お前までその話か」
 像と向き合っていたマクヴァルが振り返り、言葉を待っているジェイストークに視線を投げた。
「レイクス様は私のせいでシェイド神と話ができないと思っておられるようだが、何度も言っているように、そうではない。シェイド神は降臨に私を選んだのだよ。シェイド神はそれを認めない事に辟易されているのだ」
「では、それをシェイド神の口から直接レイクス様に、お伝えいただきたいのですが」
 ジェイストークの言葉に、マクヴァルは小さくため息をついた。
「シェイド神がレイクス様と話すのは、巫女の問題が済んでからだ。すべては私を認めることから始まるのだよ」
 巫女という言葉で、ジェイストークの顔が歪んだ。マクヴァルは二、三歩分距離を詰める。
「お前も、シェイド神の望みよりも、レイクス様との約束が大事だというのか?」
「いえ、そのような。ただ不思議なのです。長い年月、他国の巫女の話しは一度もお聞かせくださらなかったのに、近年になっていきなり成婚の儀などと」
 かしこまっているジェイストークに、マクヴァルは眉根を寄せた。
「シェイド神に何かお考えがあってのことだろう。意味もなくそのようなことが行われているわけは無かろう」
 その言葉にも表情を変えないジェイストークに、マクヴァルはため息をつく。
「まだ何かあるのか?」
「女性達のあいだでは、シェイド神は冷たい神だと言う者もおります。確かに、リオーネ様のような立場の方にはお辛いかと。巫女に対する同情もありますし」
「なにを言われようとかまわんよ。私はこの信仰心、シェイド神が降臨されたと思っている。ただ、信じるだけだ」
 マクヴァルは、ジェイストークの肩にポンと手を置くと、難しい顔を上げたジェイストークに柔らかな笑みを見せた。

   ***

 フォースのいるその部屋は、日が落ちた後、ランプで部屋の明るさを保っている。いつもならフォースは、一つだけに小さく明かりをし、ベッド側の棚に置く。一人の時はそれで充分だし、一部がガラスでできている窓を閉めたまま外を眺めるには、明かりが邪魔にならないので都合がよかった。
 だが今日は、幾つかのランプに明かりを灯し、ランプの一つはフォースとクロフォードの間にあるテーブルの上に置かれ、湯気を立てるお茶のカップを照らしていた。
 窓もわずかに開けてあった。ほんの少しだけやかに吹き込んでくる外の空気が、ソファーに座った身体をなでるように通り過ぎ、部屋の中を巡ってどこからか抜けていく。
 フォースの向かい側に落ち着いているクロフォードは、お茶を手にし、ゆっくりとした動作で一口すすると、テーブルに戻してフォースに笑みを向ける。
「ルジェナ近辺では身命の騎士と呼ばれているそうだな。フォースという騎士は、国ではなく人を守る騎士だと」
「買いかぶりすぎです。私が守っているつもりなのは一人だけですから」
 フォースの脳裏にリディアの姿が浮かんだ。今守ってくれているのはルーフィスのはずだ。リディアの側にいないと、守ることすらできない。ただ愛しさと寂しさがってくる。
 クロフォードは、一人か、とつぶやくように言い、笑みを浮かべた。
「リディア、と申したな。どのような娘なのだ?」
 クロフォードの問いに視線をそらし、フォースは目の前のお茶のカップを見つめた。リディアを言い表そうとすればするほど、言葉が陳腐に思えてくる。
「別に拉致する時に利用しようと思っているわけではないぞ」
 その言葉に、フォースはギョッとした。外見を伝えれば、使えないこともないだろう。それでも拉致が実行に移される頃には、一年という月日がった後なのだが。
「そんな風に思ったわけでは……」
「一言では言い表せないか」
 クロフォードの茶化すような言葉を、フォースは苦笑でごまかした。
「それにしても、まさかレクタードまでがメナウルの女性を嫁にしたいと言い出すとはな。これには驚いた」
「それは私もです」
 フォースは素直にうなずいた。だが本当は、同じ時に聞いた、自分がライザナルの皇太子だったという事実の方が、よっぽど驚愕だったのだが。
「お前の目から見て、どんな娘だ?」
「明るくてしっかりした姫です。いつも毅然としていて」
 そうか、と、クロフォードの頬が緩む。
「だが、心配でもあるな」
「何がです?」
 しげなフォースに、クロフォードはほんの少し顔を寄せ、小声で答える。
「どこの者とも知らない男と、恋仲になれる娘なのだからな」
「それは誰でも同じではないかと」
 ボソッと突っ込んだフォースに、クロフォードは笑い声を立てた。
「そうか。そうかもしれん」
「それに、彼女はそれまで浮いた噂一つありませんでしたし」
 その言葉にクロフォードが深くうなずく。フォースは話がこじれなくて、少しホッとした。
「私がエレンを連れ帰った時も、お互いどこの誰とも分からなかったわけだしな」
 クロフォードは息で笑うと、少しうつむいて瞳を閉じる。
「風に地の命届かず。地の青き剣水に落つ。水に火の粉飛び、火に風の影落つ」
 クロフォードが暗唱したその詩に、フォースは目を見張った。まさかクロフォードが知っているとは思っていなかったのだ。
伝承の通りになったというわけだ」
 クロフォードは目を開くと、まっすぐな視線をフォースに向けてくる。
「知っているのか。そうだな、お前も神の守護者なのだから。私が知ったのは最近になってからなんだよ。まだ一部だが」
「一部……? 今の部分ですか?」
 クロフォードはうなずくと、フォースに期待を持った目を向けた。フォースはその視線をまっすぐ受ける。
「火に地の報謝落つ。風に地の命届かず。地の青き剣水に落つ。水に火の粉飛び、火に風の影落つ。風の意志剣形成し、青き光放たん。その意志を以て、風の影裂かん」
 フォースは、一つ一つの言葉を丁寧に発音した。
 暗唱しながら、記憶の中で詩をささやく声と、シェイド神が呼びかけてきた声が重なり、その二つは同じ声だったと気付く。昔聞かされていたこの詩は、シェイド神自らがフォースの記憶にり込んだのだろう。
 フォースは気持ちを落ち着かせるために、ゆっくり息を吐いた。
「私がまだここにいた時、シェイド神に教わった詩です」
「なんだと?」
 クロフォードは身体を乗り出して、訝しげに目を細める。
「まさかそのようなことが……。お前がシェイド神の側にいたのは、この城にいた数ヶ月だけだぞ?」
 シェイド神の声を聞けたのは、赤ん坊だった数ヶ月しかないのだ、自分でも不思議だとフォースは思った。
「ライザナルへ来てから、シェイド神の声はほんの少し耳にしただけです。でも確かに聞き覚えがあるんです」
「マクヴァル殿は、シェイド神はお前と話しなどしていないと言っていたが」
 難しい顔つきで、クロフォードはフォースに尋ねた。フォースはクロフォードの疑わしげな視線を、まっすぐ見返す。
は言っていません。シェイド神の声が聞こえてこないのに、マクヴァル殿がシェイド神と会話をしているなどと、それこそが嘘なんです」
「まさか……」
「私は神の守護者の血をひいています。シャイア神の声も聞こえたし、同じようにシェイド神の声も聞こえます。お願いです、幾らかでも疑いを持ってマクヴァル殿を見てください」
 フォースを見つめたまま少し間を置き、クロフォードは曖昧にうなずいた。
「マクヴァル殿は、口頭でのみ伝えられるシェイド神の教典を、三歳にして暗唱した方だ。それゆえ、シェイド神の申し子とまで言われているのだよ」
 クロフォードの言葉に、フォースは落胆した。何をどう伝えても、分かってもらうことは叶わないように思えてくる。
「ただ、お前が暗唱した詩が本物だと言うことは分かる。最初の、火に地の報謝落つ。これはエレンを連れ帰った時、その場にいた者しか知らぬ事実だ。エレンは報謝、つまりは神に捧げられた生けだったのだよ」
「生け贄?!」
「そうだ。覚悟ができていたのか動こうとしなかったエレンを、私は無理矢理連れてきてしまったのだ。生け贄などあってはならないと、その時は思っていた」
 その詩を知っていたエレンは、報謝である自分が火であるライザナルへ行くことが何を意味するのかを、しっかり理解していただろう。抵抗してもなお連れ去られたならば、それは神が戦士を必要としているのだと、容易に想像はつく。
「結局は、成婚の儀などに巻き込んでしまった。エレンは私のことを恨んでいたかもしれん。だが、私にはエレンの見せてくれる微笑みが、どうしても必要だったのだよ……」
 エレンは、その運命も受け入れたのだ。だから笑顔で生きた。母が自分に対して寂しげな笑顔しか見せられなかったのは、自分が戦士だからこそ、決められた道がある将来を案じてくれていたのかもしれない。
「微笑んでいたのなら、きっと幸せだったんでしょう」
「そう思ってくれるのか?」
 クロフォードをせるほどの笑顔を浮かべられたなら。ルーフィスに対してもそうだったのだから。
「そう、思いたいです」
 エレンは本当に強くあったのだろう。神の決めた運命の中に身を置き、そこから逃げることなく自らの人生を生きたのだ。神の守護者の一員として、エレンという一人の人間として。その時々にどんな感情を抱いていたかは、に確かめようもないのだが。
「その意志を以て風の影裂かん、か。エレンは人生をかけて、神の守護者の命脈げてくれたのだな」
 そう言うと、クロフォードは気持ちを落ち着けるためか、静かに深呼吸をした。
「影、か。お前はその影をマクヴァルだと」
「そうだと思っています」
 フォースの答えに、クロフォードは眉を寄せて目を細めた。
 ふと、窓の外からのの音が、フォースの耳に届いた。言葉をつなごうとしたクロフォードを手でって立ち上がり、フォースは外の音に集中した。
 何度か鎧の音がしたが、いつもの兵士のモノだ。だが人の気配を多く感じる。その中で短剣を抜く音と、刃がどこかに当たった音がした。身体に緊張が走る。
「外の警備を増やされましたか?」
 フォースは、警備が黙って剣を抜くはずはないと思いつつも、心の準備として推測してもらおうと質問した。クロフォードは表情を硬くして、いや、と首を横に振る。
「様子が変です。何人かこっちに向かってきています。隠れてください」
 フォースはクロフォードの手を取って引いた。立ち上がったクロフォードをクロゼットまで連れて行きドアを開ける。
「音を立てずにいてください。いいですね?」
 フォースはクロゼットにクロフォードを押し入れた。
「お前はどうするのだ」
「誰もいないと、ただ踏み込まれるだけじゃないですか」
 フォースがドアを閉めようとするのを、クロフォードは不安げな顔で押しとどめる。
「お前が危険だ」
「は? あ……」
 フォースはそこで初めて、クロフォードは自分を心配しているのだと気付いた。
「私は大丈夫です」
 フォースは笑みを浮かべてクロゼットのドアを閉めた。ベッドの横に立て掛けてあった剣を手にし、反対側にある階段へと続くドアに身を寄せる。
 先ほど外から聞こえた剣を抜いた音で、短剣が混ざっていることは分かっている。しかも、ほとんど同時に聞こえたのは、切っ先を石の壁にぶつけた音だ、長剣になれていないのだろう。
 夜になると二つ下のドア、ソーンの部屋の前に警備兵がいるはずだが、なんの物音もしないまま気配が通り過ぎてくる。
 部屋に押し入られてしまったら、一度に複数と剣を合わせなければならなくなるし、奥のクロゼットも気にしなくてはならない。それくらいならと、フォースは部屋を出てドアを閉じ、その前に立った。
 階段を上がってきた長剣を持っている体格のいい男と目が合う。あまり広くない階段は、軽く手を広げたその男でふさがり、後ろには四人が見え隠れしている。誰一人、防具は一つも付けていない。姿の見えない警備の兵士達が手引きしたのだろう。
「クロフォードを出せっ。ここにいるんだろう!」
 ある程度間を空けたまま、一番前にいる男が声を張り上げた。剣を前に突き出して、ジリジリと階段を上ってくる。その男のすぐ後ろ、左側には短剣を持った男が身体を小さくして構えているようだ。
 フォースは左手で剣の鞘を握ったまま、階段の二、三段下にいる先頭の男に視線を返した。
「なんの用です?」
「すっとぼけた野郎だな。クロフォードを出せと言ったんだっ!」
 先頭の男が剣を振り上げ、脇にできた隙間からすぐ後ろにいた男が飛び出してきた。フォースは振り下ろされた剣をで受け、突き出された短剣は身体をひねって避け、胸を蹴り返す。バランスを崩した男は、後ろにいた一人を巻き込んで、階段を落ちていった。
 もう一度振り下ろされた剣を受け、やはり剣技は素人だとフォースは思った。いくら力があっても、ただ振り回すだけで剣が重くなる訳ではない。
「ここを通せっ。クロフォードを斬ってからでないと死ねない。ここは愛人の部屋なんだろう? お前がその愛人か?!」
「は? な、なに言ってんだ」
 思い切り気が抜けそうになり、フォースは受けていた剣からをどけた。勢い余って振り下ろされた剣の刃を足で倒し、剣身の上に全体重をかけて立つ。
「ど、どきやがれ! レイクス様が継いでくだされば、ライザナルは必ずやいい国になるんだっ。お前を斬って先に進む!!」
「はぁ?」
 フォースが踏んでいる剣を、男は闇雲に引っ張っている。その男の後頭部を、フォースはまじまじと見つめた。
「バカばっかり並べてるんじゃない、俺がそのレイクスだ」
 階段に足をかけて引っ張る体制を整えた男が、口をあんぐり開けてフォースを見上げる。
「あ、あんたが……?」
 後ろにいる二人も、ポカンとした顔を並べている。男達がなにも知らないことに、フォースはイヤな予感がして顔をめた。
 階段の下から、兵士が姿を現した。ソーンを連れている。
「兄ちゃ……」
 兵士はソーンの口を慌てて押さえると、話しができないように腕で口をふさいで抱え込んだ。
「ソーン?!」
 フォースが顔色を変えたのを見て、兵士は薄ら笑いを浮かべると、ソーンの首に短剣を突きつける。
「そこの。動くなよ。抵抗したら、お前の弟が死ぬぞ」
 兵士がフォースに掛けた声に、ソーンが腕の中で暴れ出した。声を出しているのだが、口をふさがれているので言葉になっていない。
「サッサとそいつを斬れ!」
 その叫び声に、我に返ったように男達が兵士を振り返る。
「だ、だけど、この人はレイクス様なんじゃ」
「レイクス様にこんな弟がいるか? ハッタリに決まって、痛っ!」
 腕をかじられ、兵士はソーンを殴り飛ばした。ソーンがすぐ側の壁に激突する。
 その瞬間、フォースは目の前にある男の背中を突き飛ばして横をすり抜けた。下にいた男の首筋に剣のをたたき込み、振り向いたもう一人の横面に鞘のままの剣を食らわす。
 剣を抜いた兵士とソーンの間に入ったフォースの視界に、駆けつけてきたアルトスが見えた。フォースが兵士の振るった剣を鞘で受けると同時に、アルトスが兵士の向こうで剣を横にぐ。目を見開いて声もなくくずおれる身体を隠すように、フォースはソーンに向き直って抱きしめた。
「レイクス様、ごめんなさい。こんな時に兄ちゃんなんて……」
 ソーンの震える声に、フォースは左手に剣を持ったまま、右手でソーンの肩をつかんで顔をのぞき込む。
「そんなことはいい。大丈夫か?」
 口の脇のれた部分を気にしてねたフォースに、ソーンはしっかりとうなずく。
「ちょっと痛かっただけです。平気」
 フォースはホッと息をついて、ソーンの頬をなでた。
 アルトスの後ろから階段を上がってきた十数人の兵士が、放心している男達を拘束にかかった。階段下に倒れている二人も運び出していく。
「引っ立てて処刑だ」
 アルトスの声に、兵士達は気を失っている男の頭と足を持ち上げ、頭を抱えてうずくまっていた男を立たせて階段を下りはじめた。残った大柄の男の左右と後ろも固めている。
 フォースは眉を寄せて図体のでかい男を見上げた。男は嘲笑を浮かべると、フォースに真剣な視線を向ける。
「ライザナルを、頼みます」
 その言葉で、フォースは自分の血が沸騰したように感じた。
「勝手なこと言いやがって! だいたい一人でなにができるってんだ! あんた達みたいな一人一人が大事なのに、それをっ。なんて無駄なことを……」
 だんだんいきどおってくる気持ちに、言葉が詰まる。男はにこやかに眺めていたが、フォースが口をつぐむと、満面の笑みを浮かべて頭を下げた。
「頼みます」
 フォースは表情を歪め、その男から目をそらして壁を向いた。男と兵士達が階段を下りる音が遠ざかっていく。
「バカやろ、だまされてんじゃない……」
 フォースが剣の鞘を握りしめてつぶやいた言葉に、アルトスが冷ややかな目を向ける。
「そんなモノは単なる理想でしかない。個々の力など、取るに足らん」
「でも、だからって都合よく無視なんてできるかっ。一人一人の思いがないと、国も時代も動かない」
 フォースはアルトスの変わらない表情を見て、苦々しげに顔を歪めた。アルトスがノドの奥でクッと笑う。
「若いな」
「てめぇが年寄りなんだろうがっ」
 そう言ってそっぽを向いたフォースの袖を引っ張り、ソーンがフォースの部屋を指差す。
「ねぇ、陛下がいるの?」
「あ! 忘れてた!」
 フォースは数段降りていた階段を駆け上がって部屋に入った。そのままクロゼットまでまっすぐ進み、間隔の短いノックをする。
「開けます」
 中に声を掛けて急いでドアを引くと、クロフォードはドアのすぐ側に、硬い表情で立っていた。
「すみません、遅くなりました」
 苦笑して軽く頭を下げたフォースを、クロフォードがいた。
「無事でよかった」
「え? あ、あの……」
 逃げるに逃げられず、フォースはうろたえた。クロフォードはお構いなしに、腕に力を込める。
「声は聞こえていたのだよ。ありがとう」
 聞こえていたのなら、兵士にだまされたらしい男達を助けてはくれないだろうかと、フォースは思った。だが、ドナでエレンを斬ったカイラムの、事件とは関係ない息子までをも斬ろうとしたアルトスが頭をよぎる。それでなくても彼らはクロフォードを暗殺しようとした罪人なのだ、許してはいけない。
「レイクス?」
 身体の力を抜き、されるがままのフォースに逆に不安を感じたのか、クロフォードはゆっくり身体を離した。
「どうした?」
 暗殺だなど、あの男達のやり方が間違っているのは分かる。だが、命をかけてまで国を良くしようと思うなら、その気持ちはとても強いのだろう。その命を簡単に絶ってしまうのは惜しいと思う。謀反人であることも事実なのだが、そうさせているのは国のやり方なのかもしれない。
「レイクス? 先ほどの刺客のことか?」
 奇麗に言い当てられ、フォースは目を丸くしてクロフォードに視線を向けた。クロフォードは苦笑して見せる。
「お前がライザナルを継ぐと言ってくれれば、私を敵視する彼らの気持ちも少しは治まるんだろうがな」
「いえ、同じです。レクタードを推す刺客に取って代わるだけで……」
 しかも失うモノは一緒だ、少しも変わらない。こんなことにかこつけてまで暗に継げと言ってくるクロフォードに、フォースは重いため息をついた。手にしていた剣をもとの場所に立て掛ける。
「陛下はこちらですか?」
 その声に、開いたままのドアで見張りをしていたアルトスが、敬礼と共に道を空ける。そこにはテグゼルが立っていた。返礼でその金髪が揺れる。
「テグゼルか。どうした?」
 クロフォードの問いかけに、テグゼルは部屋へ一歩だけ入ってひざまずいた。
「騒ぎをお聞きになり、リオーネ様が陛下を案じておられます。自室にてお待ちしているとのことです」
「罪人の処遇など、すべて済んだら行く」
 その答えに、テグゼルはかしこまって頭を下げ、部屋を出た。クロフォードは、ドアの脇に立ったテグゼルを見てため息をつく。その聞こえただろうため息を無視したテグゼルは、リオーネの言い付けで来たのかもしれないと、フォースは気の毒に思った。
「一度戻って差し上げてはいかがですか? お会いになれば安心されるでしょうし」
「そうか? そうだな。お前がそう言うのなら」
 向けてきた心配げな笑みで、クロフォードがここを動こうとしないのは自分の心配をしていたからだと気付き、フォースは苦笑した。
「また来る」
「はい」
 来てくれないと困ると思い、フォースは即答した。肝心の影の話しがまだ途中なのだ。できることなら、マクヴァルのことを考えておいて欲しい。クロフォードは分かっているのかいないのか、フォースに笑みを向けてうなずくと、部屋を出た。
「手当てをしよう」
 クロフォードはソーンの手を取ると、驚いた表情のテグゼルを促し、階段を下りていった。
 ドアの前まで行って見送ったフォースを見て、あきれたようにアルトスが口を曲げる。
「見送りとは、殊勝な心がけだな」
「なんとでも言え」
 フォースはチラッとだけアルトスに視線をやった。アルトスは部屋の前に立って階段を見つめたまま話しをぐ。
「巫女は渡さないとか、まだ反発しているそうじゃないか。神よりも巫女か。成婚の儀さえ受ければ、シェイド神の信頼も受けられるというのに」
「成婚の儀なんて意味はない。だいたい俺のどこが神の子だ。父がマクヴァルだってならまだしも」
 そう言ったフォースの脳裏に、ジェイストークが思い浮かんだ。クロフォードがわざわざ名指しで頼み込んだのは、肉親だからかもしれない。
 ジェイストークは、父はいないも同然、という言い方をしていた。そしてマクヴァルについては、たぶん私がなにを言っても今は、とも。その二つの言葉を考えると、やはりジェイストークはマクヴァルの息子だと思えてくる。
「自覚が無かろうが、誰が見ても全然そう見えなかろうが、お前は間違いなく神の子だ」
 アルトスの声を鬱陶しく思い、フォースは短く息を吐いた。
 ジェイストークがマクヴァルの息子だと考えると、ジェイストークの色々な思考の揺れも気になってくる。
 ジェイストークは最初、シェイド神の攻撃があるうちはリディアを連れてくるのを延期した方がいいと言っていた。だが、成婚の儀のことになると、シェイド神の攻撃など忘れて、サッサと連れてきた方がと言ってしまうほど嫌悪しているようだ。最近は攻撃があってもいちいち報告していなかったので、それも忘れる原因になっていたかもしれないが。
 神の力での攻撃を信じられず、呪術かもしれないとまで言ってしまうほど信仰心は厚い。だが成婚の儀の存在意義から、神にか宗教にか疑念も抱いている。
 なぜこんな揺れがあるのかをアルトスに聞いたとしても、たぶんジェイストークに筒抜けだろう。それくらいなら直接聞いた方がいい。だがフォースには、それを聞いてどうしたいのかが自分でも分からなかった。
「神の子として責任さえ果たせば、後は誰と一緒にいようがかまわない。幸運だろう?」
 アルトスは、考え込んでいたフォースに問いかけてくる。幸運とはいったい何を差すのだろうと、フォースは不思議に思った。
「その責任のせいで、リディアもニーニアも犠牲になるんだぞ? いいわけないだろ」
「彼女たちが幸せになれるかは、お前の心がけ次第だ」
 アルトスの思いがけない言葉に、フォースは眉を寄せて目を細める。
「これから事故が起こって怪我人が出るのが分かっていても、未然に防ぐ努力はせずに後からどうするかしか考えないのか」
 フォースの冷ややかな声に、アルトスは振り返って顔を突き合わせた。
「バカ言え。それではたとえにもなっていないだろうが。事故ではない。必ず起こることだ」
「必ず? 俺がいなくなるだけで起こらなくなることがか?」
 まっすぐ視線を返したフォースを、アルトスはみつけてくる。逃げるかもしれないと思ったのか、フォースが毒を受けて死にかけた時のことを思いだしたのか。
「俺はどうしてもリディアを傷つけたくない。大体リディアが俺を助けてくれたから、お前の処分だってこの程度で済んでいるんだろうが。少しは感謝しろよ」
「巫女は傑出した人物だと思うし、感謝もしている。だが、なにがこの程度だ。散々だ」
 そう言って背を向けたアルトスに、フォースは顔を歪め、口の端だけで冷笑した。
「あぁ、そう。そりゃ俺には願ったり叶ったりだ」
 フォースは乱暴にドアを閉め、鍵穴に刺さったままの鍵をまわす。一人になった開放感から、長いため息をついた。たくさんあるランプの明かりを、高ぶった気持ちを抑えるように一つずつ消していく。
 そして最後に残ったランプを持ってクロゼットに入り、奥に隠してあったペンとインク、紙をテーブルに運んだ。ファルに持たせる手紙を書くために、ソーンが一つずつ誰にも知られないように持ってきてくれたモノだ。
 とにかくこれで手紙は書ける。自分が詩を教わったのはシェイド神からだったこと、母エレンはディーヴァへの生け贄だったこと、最低そのくらいは伝えておきたい。余白があれば、ジェイストークが言っていた呪術のこともだ。
 テーブルの上に道具を並べながら、フォースは顔をしかめた。まわりに隠れての行動なため、ファルが運んできたような厚い紙は用意できなかった。目の前にある薄い紙ではたぶん千切れてしまい、無事には届かないだろう。だからといって完全に足輪に入るとなると、ひどく小さい紙でないといけない。そうなると書きたいことすべてを書くのは無理そうだ。
 ソファーに乱暴に腰を落とすと、外れてしまったサーペントエッグが転がった。フォースはそれをそっとすくうようにう。ライザナルでは単にお守り兼身分証明だが、フォースには中に入っているリディアが書いたメモの方が意味を持っていた。そのエッグをめてハッとする。
「そうか。包めばいいんだ」
 フォースは笑みを浮かべると、小さな字で書けばなんとか書けそうな程の大きさに紙を切った。
 いきなり動悸がフォースを襲った。シェイド神の力だ。飽きることなく続いているが、それだけに慣れも出ている。
 フォースは深呼吸のような深い息を繰り返しながら、まずはシャイア神に意識を向けた。その力と、リディアの存在という後ろ盾を充分に感じてから、シェイド神に向かう。
 渾然とした意識の中に、シェイド神らしき黒い影が少しずつ見えてきた。できるだけ近づき、捕まえようと集中する。シェイド神の意識もこちらを向いているように感じた。
「シャイアの戦士よ」
 シェイド神の弱々しい呼びかけが聞こえた。と同時に、シェイド神の黒い影が遠ざかり、力がスッと引いていく。
 今の声はマクヴァルにも聞こえただろう。再び声が聞こえたことを、どんな風に思っているだろうか。フォースは、この力での攻撃のことも手紙に書かなくてはと思った。
 メナウルにいた頃は、自分のことを話すことなどあまり無かった。それだけまわりにいた人たちが、なにも言わなくても見ていてくれたのだと実感する。
 そして、クロフォードの目はそれと似ている。戦のことがあるにせよ、十七年の間探し続けてくれた気持ちに嘘はなかったとフォースは思いたかった。
 とにかく少しでもこちらの状況を知らせたい。フォースはペンを手に取り、小さな文字を連ねはじめた。