レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜

第5章 犠牲の用途

     1.克己の微笑

「平民のようでした。武器も、と言えるかは分かりませんが、農具でしたし。剣を持つものは一人も。八人すべて追い返しましたが」
 バックスはそう言うと、顔をしかめた。向かい合っているルーフィスが、ゆっくりとうなずく。
「いや、それでいい。今は事を荒立てたくない」
 いつもの席から扉の側でのやりとりを聞いていたリディアは、すべて追い返したという誰も犠牲になっていないだろうことと、もとの平静さを取り戻したことに安堵して、胸をなで下ろした。バックスの吐く息が、ため息になる。
「実際は誰が動かしているものやら。ライザナルが約束を破っているとは思いたくないですが」
「敵はライザナルというよりも、シェイド神への信仰心なのかもしれんな」
 ルーフィスは落ち着いた声でそう返した。
 シェイド神の話しになると、誰もが一度はフォースの存在を思い浮かべるに違いない。どうしても消せない不安と恐怖がそこにあって、その隙間からのぞく期待や希望を感じて少しでも安心したいのだから。
 そして、その中でも自分が一番重たい期待をかけてしまっているのだろうと、リディアは思っていた。でもその期待を取り払うことは、愛しているという気持ちがある限りできそうにない。
 だからこそ、ただのお荷物にならないよう、強くなりたいと思う。具体的に何をすれば強くなれるかは分からないが、できることは何でもやらなくてはならない。リディアは、これからどんなことが起こっても、もしも付いていくことができなかったとしても、フォースの幸せだけは祈り続けようと心に決めていた。
 ライザナルの使者はフォースの様子を詳しくは伝えてくれない。お変わりなくお過ごしのようですと、よそよそしい言葉で語られるだけだ。
 ふと気を取り直したように、バックスが顔を上げ、敬礼した。
「警備、交替いたします」
「よろしく頼むよ。わずかな動きだが、前線に兵が増えているとの情報もある。充分に気をつけてくれ」
 返礼をしたルーフィスの表情は、疲れを隠し切れていない。リディアは席を立つと、二人のいる扉の側まで行った。
「いつもありがとうございます」
 軽く頭を下げたリディアに、ルーフィスは微笑みを向ける。
「いや、この仕事があって助かっているんだよ。周りがよくやってくれるから、休んでいるのとそう変わらない」
 その笑みを見て、バックスが含み笑いをした。
「フォースが仕事をしていると、だんだん周りがしっかりしてくるんですよね。使い方か、育て方か。むしろ勝手に育ってくれているというか」
「だから複数の仕事を受け持たせられるし、こき使えるんだがな」
 ルーフィスの言葉に、リディアとバックスは視線を合わせて苦笑した。
「なんだ、確信犯だったんですか」
 バックスがらしたつぶやきに、ルーフィスはノドの奥で笑い声をたてる。
「そうだな。犯人は私だ」
「あ、いえ、犯人って」
 慌てたバックスに苦笑を向けると、ルーフィスは、かまわんよ、と一言返し、リディアの肩に手を置いた。
「周りが変わらずにいてくれるからかな。ここには今もアレがいるような気がするよ」
 アレという言葉に一瞬目を見開き、リディアは笑みを浮かべてうなずいた。
 気持ちだけなら、いつだって側にいる。手を伸ばせば、届きそうな気がするくらいに。そして、フォースが作ってくれたここの空気も、存在を実感させる手伝いをしてくれているとリディアは思っていた。
 ルーフィスが外に続く扉を開けた。右斜め向かいの屋根から、ファルが飛んでくるのが見える。
「ファル!」
 思わず名を呼んだリディアの声で、寝ていたティオがソファーの背から顔を出した。
「え? ファル?」
 寝ぼけた目をこすりながら、ティオはリディアの側まで来る。そこにファルが降りたった。ティオはペタンと床に座り込んで、ファルと向き合う。
「ファル、おはよう」
 寝言のような声に抗議するように、ファルはその場でピョンピョンと跳びはねた。
「え? 手紙? 無事かって?」
 ティオはファルの足元をのぞき込み、足輪に差し込んである紙を引き抜いた。
「ボロボロだよ。無事じゃないよ」
 ティオは、紙の縁が傷んでボソボソになっている紙の束を差しだしてくる。リディアは、それを受け取ってそっと広げ、一枚めくった。隣にいたバックスが、呆気にとられたようにその紙を見つめる。
「真っ白? 何も書いてない」
 リディアがその言葉に苦笑して二枚目をがすと、その下からびっしり文字が並んだ一回り小さな紙が出てきた。
 普段目にしていた文字よりずっと小さいが、間違いなくフォースの字だ。遠くにいるのに、こんな風に存在を感じられるのが、とても不思議で嬉しい。
 バックスがその文字に顔を寄せる。
「すり切れるから包んだのか。それにしても厳重だな」
「こちらからの手紙は無事だったんでしょうか」
 そう言いながら、リディアは小さな手紙を手に取った。
「それ、ちょうだい」
 ティオが残った白い紙に手を差しだした。リディアが渡してやると、クシャクシャと丸めてファルと遊びだす。
 その様子に笑みを向けてから、リディアは手紙に視線を落とした。バックスが慌てたように首を引っ込める。リディアはバックスにしげな視線を向けた。
「読まないんですか?」
「いや、まずリディアさんが読んでね。ラブレターだったりしたらまずいし」
 薄ら笑いを浮かべるバックスに、リディアは苦笑してみせる。
「そんな。こんな小さな紙なんだもの、伝えるだけ伝えたら書く場所が」
「裏を見てごらん」
 向かい側に立っていたルーフィスがかけた声に一瞬だけ目を向けると、リディアは手紙をゆっくり裏返した。紙の右下だけに書き込まれている文字が目に飛び込んでくる。

 ―― リディアの字が嬉しかった。
      早く逢いに行きたい。 ――

 突然大きくなった鼓動に揺り動かされ、リディアの感情がれ上がってきた。安心はしたけれど、やっぱり心配で。気持ちは満たされているのに寂しくて。
 でも、ただひたすら嬉しかった。まさかこんな風に言葉のやりとりをできるとは思ってもいなかった。それに、リディア自身がそうだったように、自分が書いた文字を喜んでくれ、フォースも逢いたいと思ってくれているのだ。
 ルーフィスが息で笑って肩を揺らす。
「裏というより、これが表だな」
「ホントですよね。隙間なく書くくらいなら、こっち側にも書けばいいのに」
 そう言うと、バックスはノドの奥で笑い声をたてた。
 リディアは手紙を表に返した。ルーフィスとバックスも視線を寄せる。そこには箇条書きの文章が三つ並んでいた。
 フォースが詩を初めから知っていたのは、直接シェイド神から教わったのだろうということ。フォースの母でルーフィスの妻であったエレンは、シアネルの巫女であり、ディーヴァへの生けだったこと。ライザナルには、現在も呪術が残っているらしいこと。
「こんな簡単に書いてあっちゃ色気もなにも……、あったら不気味か」
 バックスが真面目な顔のままつぶやき、言葉をつなぐ。
「しかし、このままでも充分気味が悪いですね。神と人との関与が異常なほど大きいような」
「これが、神の守護者たる所以なのかもしれんな」
 少しトーンの下がったルーフィスに、リディアが心配げな顔を向けると、ルーフィスはわずかな自嘲を浮かべた。
「私は行くよ。また何か分かったら教えて欲しい」
 もう一度、今度はどこか寂しげな笑みを見せ、ルーフィスは外に出て行った。
 リディアは何も声をかけられず、ただ黙って後ろ姿を見送った。同じようにルーフィスを見ていたバックスが、小さくため息をつく。
「生け贄か。まさかそれを息子から知らされるなんて。辛いだろうな。エレンさん本人から聞けていれば……」
 バックスは苦笑すると、同意を求めるようにリディアに目を向けた。リディアは視線をさ迷わせると、バックスを見上げる。
「でも、もし私が神の守護者の一族で、大いなる神への生け贄になったのに生かされてしまったとしたら、きっと口にできないくらい複雑な気持ちになります。そのせいでひどい目にったら、なおさら誰にも話せない、話したくないと思います」
「だけど、リディアさんがエレンさんの立場なら、フォースには話すだろ?」
 リディアはフォースの名前を聞いて、考えを巡らせた。エレンと同じ過去を持って、フォースの前に立ったとしたら。
「いいえ。話すとしても、とても長い時間が必要だと思います」
「そうなの?」
 意外そうに首をひねったバックスに、リディアは苦笑した。
 街の路地裏で襲われているのを助けてもらったのが、フォースとの出会いだ。その時、破かれた服の胸元にのぞいていた赤くらわしい跡を、フォースは間違いなく目にしている。そんなフォースが知っている事実でさえも、どんな風に思われているかを怖くて聞けなかったのだ。それどころではないひどい目に遭って全部話さなければならないとしたら、どれだけの勇気がいるだろう。
「好きな人に話すのは、なおさら……。私は幸運だし幸せだから、きちんと想像できていないのかもしれませんけれど」
「そうか」
 うなずいたバックスの真剣な表情が、ふと笑みに変わる。
「それにしても、幸運だし幸せ、ねぇ。こんなに離れているのにそんな風に思ってもらえるって、フォースも幸せ者だよな」
 頬が上気してくるのを感じて、リディアはうつむいた。目にフォースの文字が飛び込んでくる。
 フォースを待つ間、ただじっと耐えていなければならないのだとリディアは思っていた。だが実際は違っていた。ライザナルからの変わりないという形式的な知らせだけではなく、フォース本人からの手紙まで受け取ることができる。喜びもあるし、気持ちがお互いすぐ側にあるのだと感じることもできる。
 寂しい思いはどうやっても消えないが、リディアには素直に幸せだと思えた。
「リディアさん、あれ」
 その呼びかけに、リディアは顔を上げ、バックスの視線の先に目をやった。いつものように黒いローブを着たタスリルと、その横をグレイが歩いてくる。
 バックスとリディアに気付いて手を振ってくるグレイに、リディアは笑顔で手を振り返した。

   ***

「風に地の命届かずってのは、そういうことだったのか……」
 リディアが見つめている中、グレイは向かい側のいつもの席でフォースからの手紙を読み終わると、小さくため息をついた。グレイが手紙を机の中央に置くと、隣に座っているタスリルは、ますますシワをめて眉を寄せる。
「じゃあ、エレンは供物台から連れ去られた時点で、もう間違いなく自分の運命を察したってわけだ」
供物台って」
 グレイは笑みを浮かべね、口の端を引きつらせた。その笑みを引き取るようにタスリルが息で笑う。
「神へのぎ物を乗せるんだ、さぞや立派なものがあるだろうよ」
 もしそんなモノがあったなら、エレンはどんな気持ちでその上に上がったのだろうと、リディアは思いを巡らせた。生け贄ということは、その先にあったのは死だったに違いない。神のために命を失うのは、種族の人間にとってどんな立場、どんな感情を持つものだろう。そしてそれを失うというのは。
「神との対話には、そういう犠牲もあったんだねぇ。お前さんも同じように話せるのかい?」
 タスリルに笑みを向けられ、リディアは苦笑した。
「いいえ。対話というよりも、聞けるだけなんです。種族の方のように話せたらよかったのですけど」
「お前さんまで生け贄になる必要はないよ」
 タスリルの言葉に、グレイが大きくうなずく。
「そんなのフォースに任せておけばいいよ。シャイア様はフォースのことを気に入っているみたいだし、そんなに残忍なことはしないって」
 グレイは、不安げなリディアに微笑んでみせた。リディアは肩を落とすと、小さく息をつく。
「そんなに、ですよね……」
「え? あ、まぁ、そうかもだけど。心配? だよね」
 グレイはウーンとうなり声を上げて腕を組み、視線を落とした。
「そういえば、婚約者のことも、……あ。ご、ごめんっ」
 慌てて謝ったグレイに、リディアは首を横に振ってみせる。
「話すくらい平気です」
「いや、余白があるなら、教えてくれてもいいのにと思ってね」
 しい表情のグレイに、タスリルはヒヒヒと妙な笑いを向けた。
「婚約者は、まだ八歳なんだ。レイクスは気にもめていないんだろうよ」
「八歳?!」
 グレイは唖然とした顔になる。リディアはその事実をキョトンとして聞いたが、グレイの顔が可笑しく、口元を手で隠して笑いをこらえた。グレイは大げさにため息をついてみせる。
「知ってるなら教えてよ。妹って言うから、スティアくらいの歳を思い浮かべてた」
「あれ? 言ってなかったかい? 言ったとばかり思ってたよ。悪かったね」
 タスリルに優しい笑みを向けられ、リディアは肩をすくめて苦笑した。
「でも、婚約するのに年齢なんて関係ないですよね。立場だけの問題だもの」
 そういって視線を落としたリディアに、タスリルとグレイは何も返せず、チラチラと視線を合わせる。
「リディア? あまり暗い方向に考えちゃ駄目だよ?」
「まさか、自害しようとか考えている訳じゃないだろうね?」
 心配げな二人に、リディアはてて首を横に振った。
「いえ、そんなこと。現実は現実として受け止めなくちゃと思って。フォースの側にいられるなら、私はそれでかまわないですから……」
 顔が赤くなってくるのが自分でも分かり、リディアは両頬を手で押さえるように隠す。その言葉にグレイは安心したのか、笑みを浮かべて肩が落ちるほど大きな息をついた。
 廊下からお茶を持ったユリアが入ってきた。柔らかな笑顔で、どうぞ、と声を掛けながら、それぞれの前にお茶を置いていく。タスリルはユリアを見上げ、思いついたようにポンと手を叩いた。
「そういや、メナウルの王子様と最近会ってないね。来ないのかい?」
 声を掛けられたユリアは、ほんの少し眉を寄せた。
「そういえば。……そうですね。お忙しいんでしょうか」
「そんなはずはない。と思うけど」
 グレイは苦笑して首をかしげると、ユリアに目をやった。
「何かあった?」
「さぁ。特になにも知りませんが」
 サラッと返ってきたユリアの答えに、グレイはノドに張り付いたような笑い声をたてる。ユリアは訳が分からず、グレイとタスリルに交互に視線を向けた。
「……あの、なにか?」
 タスリルは、顔のシワの隙間にある目を、楽しそうに細める。
「この辺りじゃ、王子様はどんな風に思われているのかね?」
 自分に向けられた質問だと察したのか、ユリアは、満面の笑みを浮かべた。
「とてもいい方だと聞いています。誰にでも気さくに話しかけてくださるし、優しい方だと」
「そうかい。私はあの子がレイクスよりれてない分、可愛くて好きなんだよ。結婚したら私でも王妃様だ」
 タスリルの言葉に吹き出し、グレイは笑いを押さえ付ける。
「婆さん、なに寝言言って」
「私のことはタスリルさんとお呼び。なにも私が結婚するとは言ってないだろ」
 人差し指を向けられて、グレイは笑いをこらえたまま顔をい、はい、と返事をした。控え目に笑っていたユリアが、それでは失礼します、と丁寧にお辞儀をすると、元来た廊下へと入っていく。
 ユリアが見えなくなると、タスリルはグレイと顔を見合わせた。
「いい方、だそうだよ。まだ望みはあるみたいだけどね」
「まさかとは思ったけど、口説いてないのかな」
 グレイはハァとため息をつく。なんの話しだろうとリディアが不思議に思っていると、それを察したのか、グレイがリディアに視線を向けた。
「この辺りじゃ、フォースはどんな風に思われているのかね?」
「真似までせんでいい」
 タスリルとグレイのやりとりに頬をめながら、リディアは考えを巡らせた。そんな風に聞かれると、自分ならフォースを愛情いっぱいにめちぎっていそうだと思う。
 リディアの頬が紅潮したのを見て、グレイは片目をつぶった。
「わりと本音が出るんだよね」
 タスリルがノドの奥で笑い声をたてる。
「いや、レイクスも情が厚くて好きなんだよ。結婚したら私でも王妃様だしね」
 タスリルが独り言のように言って何度かうなずいた言葉は、気をってくれているからだろうと思うと、リディアにはとても嬉しく感じた。
「じゃあ、ライバルですね」
 リディアが笑顔で言った言葉に、グレイはまた吹き出し、タスリルは朗笑する。
「勝負したいところだけど、遠慮しとくよ。娘に怒られるのは嫌だしねぇ」
「娘? って、じゃあ結婚してたりするってことですよね?」
 疑わしげな顔を向けたグレイに、タスリルは口を曲げる。
「お前さんは好きじゃない」
「そりゃあ。ちょっと寂しいけど、ちょっと嬉しい」
 冷笑を返したグレイと一緒に、タスリルが笑みを浮かべた。
「夫ね。そんなモノ最初っから、いやしないよ。娘は引き取ったんだ。孫は……、そうそう、ソーンの様子も少しくらい教えてくれてもいいのにねぇ」
 いつの間にか眉を寄せ、タスリルはため息と共に言った。その視線の先、机の中央には、フォースからの手紙が置いてある。
 確かに、シェイド神から詩を教えてもらっていたということ、詩にある報謝が生け贄のことだというのは、詩を理解するためにも重要だ。フォースが呪術のことをそれと並べたのは、それだけの意味があることだからなのだろうか。
「呪術なんてあるんですか? 本の世界の話しだと思っていたのですけど」
 リディアは疑問に思ったことを口にした。タスリルは大きくうなずく。
「マクラーン城の書庫には、色々な言い伝えや、多くの資料が残っているらしいよ。伝承している人間がいるかは分からないけれどね」
「書庫か。実際行って見てみたいな。なんだか色々ありそうだ」
 興味を示したグレイにタスリルは、色々あるよ、と微笑んだ。
「人を幸せにしようというモノから、みを形にして危害を加えようというモノ、果ては神を取り込んで自分の力にしようなんて邪術も聞いたことが」
「それ!」
 グレイの大声に驚きながら、リディアは二人の話に聞き入る。
「資料はありませんか? 神に関する呪術ならなんでもかまいません。ぜひ調べてみたいんです」
「その文献なら店にあるよ。真に受けたことはなかったが。そうかい、本当にできるなら大変なことだね」
 さっそく調べに行こうというのだろう、タスリルとグレイは同時に腰を上げた。

   ***

「ただいまー」
 アジルが開けた扉の隙間から、子供の姿をしたティオが入ってくる。
「よぉ」
 アジルはティオと手を振り合うと、入れ替わりに扉の外へと出て行った。
「タスリルさん、肩に乗せて送ってきたよ。戻るまで少し時間がかかるかもしれないってグレイが言ってた」
「分かったわ。ごくろうさま。ありがとう」
 側まで来て出迎えたリディアの返事を聞いて、ティオは満面の笑みを浮かべると、いつものようにソファーに寝そべった。
「グレイとタスリルさんって、凄く気が合うみたいだよ。お似合いだね」
 ティオは大きくノビをすると、すぐに寝息を立て始める。リディアは声を立てないようにフフッと笑うと、いつもの席に戻った。
 とたんに左足にくくり付けてある短剣が、熱を持ってくる。見なくても分かっている、また虹色の光を放っているのだろう。
 それを何度も人に見せようとしたが、そのとたん光はまってしまい、リディアはまだ誰にも見せることができないでいた。
 でも、もしかすると人に見えないから光を発しているのかもしれない。これもまたシャイア神に任せるしかないのだろうと思うと、リディアは少し寂しかった。
「フォースは生きていてくれる、きっと帰ってきてくれる」
 寂しいと思うたび、リディアは呪文を唱えるように口の中で、何度もその言葉を繰り返した。そうしていると、きっと願いは叶うと思えてくる。
 フォースと離れてから、フォースが神の守護者で戦士と呼ばれる存在だということも、婚約者のことも、自分を悲しませる要因だとリディアは思っていた。
 だが、嫌だからといって消えてくれるモノではないのだ、事実は事実として受け入れなければならない。その事実もフォースの一部だと思えるようになってからは、不思議なほど辛さは消えていた。
 昔、まだ知り合いとしか言えない付き合いだった頃は、フォースの幸せを祈ることくらいしかできなかった。それに比べれば、また側にいて欲しいなんて、なんて贅沢な願いだろう。それを思うと、そう願うことまで当たり前だと認めてもらっている今の自分は、充分に幸せだと思えた。
「だから何度も言っているでしょう? そういうお付き合いをしてからって」
 神殿に続く廊下から、アリシアの声がかすかに聞こえた。
「だー! もう分かったよ。じゃあ、付き合ってくれ」
「じゃあって。……、い、いいわよ、付き合ってあげる」
 バックスが最近一生懸命口説いていたのが、どうやら形になったらしい。だんだん大きくなってくる声を聞きながら、リディアは笑みをらした。
「よし、次だ。結婚してくれ」
「ええ? ちょ、ちょっと」
「嫌か?」
「え? 嫌とか、そんなんじゃ」
「じゃあ結婚してくれ」
「だ、だから……。もう! いいわ、結婚してあげるわよっ」
「ホントか! ありがとう、大事にする!」
「きゃあ?!」
 きゃあって、と思いながら、リディアはあふれてくる嬉しさや可笑しさを笑い声にしないよう、口に手を当ててこらえていた。
 少しの時間を置いて、狭い廊下でも楽に通れるだろうほど、アリシアの肩をしっかり抱いたままバックスが出てきた。リディアがいるのが一番に目に入ったのだろう、二人は慌てて離れる。
「おめでとうございます」
 リディアは、自然とあふれてくる笑みを素直に浮かべた。バックスとアリシアは視線を合わせ、ありがとう、とリディアに微笑みを返す。
「バックスさん、強引」
 リディアはイタズラな表情を浮かべた。アリシアが頬を上気させ、バックスは恥ずかしそうに頭をく。
「リディアさん、俺はフォースみたいにかっこつけられないから、強引に行くしかないんだ」
「そんなことない。バックスさん、カッコよかったですよ」
「あ? いや、はは……」
 幾分顔を赤くして照れたバックスに、アリシアはふざけ半分の冷たい視線を向けた。
「ちょっと。何照れてるのよっ」
 その小声に、リディアがなおさら嬉しそうな笑みを浮かべると、アリシアは苦笑してため息をつく。
「リディアちゃん、分かってるの? 私がこの人と組んだら強力よ。フォース、きっと大変な思いするんだから」
「大丈夫です。私が守ります。守りきれなくても私、困ってるフォースも大好きだもの」
 肩をすくめて言ったリディアに、バックスは大声でらかに笑った。アリシアもひとしきり笑ってからリディアに笑みを向ける。
「リディアちゃん、強くなったわよね」
 思いがけない言葉を聞いて、リディアは気持ちがやすらかになるのを感じた。
「嬉しいです。フォースのためにって思うと、負けていられないことが多くて。きっと今でもフォースが力を貸してくれているんです」
 フォースはいつでもこの思いの中にいてくれる。そう思って胸を押さえ言ったリディアに、アリシアは安堵したように肩を落とすと、力の抜けた笑みを浮かべた。バックスは舌を出して後ろを向く。
「なんで婚約したてなのに、あてられてるんだろ、俺」
 ボソッとつぶやかれた声にハッとして、リディアは赤く染まってくる頬を両手で隠した。