レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
3.思惑の所在
マクヴァルと顔を突き合わせても、クロフォードの瞳の奥には、少し前にフォースが廊下で見せた、苦しげな表情がこびり付いていた。
フォースがポツポツと話す、シャイア神との契約、媒体などのことが脳裏に蘇ってくる。
「デリックはシェイド神がレイクスを必要としていると言ったとか。どういうことだ?」
クロフォードは、祈りを中断して向き合ったマクヴァルに、できる限り冷静にたずねた。
シェイド神に必要とされる。本来は喜ばしいことだ。だがそのやり方は、フォースの命にさえ関わっていた。いくら神の行いでも、強行に事を進めるのは、どうしてもやめてもらいたい。
年老いた神官が三人、冷たい石壁の側でなにか話をしているのがボソボソと聞こえている。その壁にマクヴァルの乾いた声が響く。
「いえ、私も驚いているのです。まさかレイクス様がシャイア神と契約まで交わしていたとは」
「契約、とは?」
クロフォードはフォースから説明された契約について、マクヴァルにもたずねた。マクヴァルは、はい、と軽く頭を下げる。
「本来、神の守護者達は武器を持たないのだそうです。しかし、守護者と族外の人間との間に生まれた子は戦士と呼ばれ、神と契約を交わし、武力を持つ手先となります」
マクヴァルが言った内容は、フォースの言葉とほとんど変わらなかった。ただ、契約することでシャイア神に守られてはいるが、他のことについては分からないとフォースは言っていた。
「これで分かっていただけますね? シェイド神がレイクス様に会いたがらないのは、そのためです」
大切なのは、契約した神との距離が力を制するための重大な要素だと言う事実を、マクヴァルが知っているかだ。だが、マクヴァルは、それ以上詳しく話そうとはせず、話を先に進めた。
「レイクスがシェイド神に危害を加えると?」
フォースが言っていた詩の全文に照らし合わせると、裂かねばならない影はシェイド神かマクヴァルかだ。そしてフォースはマクヴァルが影だと言っていた。
険しい表情のクロフォードに、マクヴァルは苦笑する。
「レイクス様はシェイド神に仕えねばならないお方なのですよ? シャイア神との契約は、破棄していただかねばなりません」
マクヴァルは、はぐらかしたつもりなのか、フォースがシェイド神に危害を加えると思っているかの返事はなかった。
だが、マクヴァルも一部だがあの詩を知っている。もしどこかでその全文を知ってしまったとしたら、間違いなくシャイア神の戦士であるフォースの殺害を考えるだろう。いや、もしかしたら、もうすでに知っていて動いているかもしれないのだ。
「それにしてもあの薬、命の危険まであったと言うではないか。そんなモノを使ってまで、そのようなことを」
クロフォードはマクヴァルの真意を確かめたかった。マクヴァルは顔をしかめると、ゆっくり長いため息をつく。
「シェイド神がレイクス様を、……、生け贄にしたいとのことです」
「なんだと?」
クロフォードの背筋が一気に冷たくなった。シアネルでエレンが供物台にいた光景が脳裏をよぎる。
「一体なぜだ?」
「エレン殿を生け贄にできなかったからです。それも神の血のために起こしたことではあったのですが」
マクヴァルは、エレンに会った時から生け贄のことはすでに決められていたと言うのだ。クロフォードは胸にこごった疑問を感じながら、苦しい息を吐いた。
「今さら、そんな」
「シェイド神は巫女を差し出せと言ったきり私の言葉を聞いてくださらないのです。デリックの起こした事件も、それと関連しているのだと思われます」
その言葉を聞きながら、なんのために神官としてのマクヴァルがいるのだと、クロフォードは怒りに似た焦燥感を感じた。
「どうにかできぬのか」
急き立てるように言うと、マクヴァルは眉を寄せ、いかにも遣り切れない表情で頭を下げる。
「やはり神には守護者の血が必要なのだろうかと」
「シアネルでの種族探索の人員を増やすことにする。代わりが必要なら何人でも用意できるように」
拳を握ったクロフォードに、マクヴァルはうなずいて見せた。
「そうですな、身代わりがいれば少しは気持ちを収めていただけるやもしれません。ただシェイド神は、エレン殿の血を持ったレイクス様を欲しておられるのも事実なんです」
マクヴァルは頭を上げ、クロフォードに視線を合わせてくる。クロフォードは一層顔をゆがめた。
「しかしそれでは、神の血を王家に入れることが、できなくなってしまうではないか」
「それでもなお、シェイド神はこの行動をとられたのですよ? ニーニア様が身ごもられたら、その先……」
クロフォードは、全身から血の気がひくのを感じた。このままでは間違いなくフォースは生け贄にされると、マクヴァルは言っているのだ。
「とにかく危険なのです。レイクス様をお守りしたいなら、万全を期さねばなりません。契約を破棄し、巫女を差し出していただけたなら、まだ説得のしようもあるかと」
巫女と聞き、クロフォードはため息と共に顔を覆った。マクヴァルが微かに笑ったように感じ、クロフォードは眉を寄せる。
「もしや、幽閉を解いて国を見てもらおうとそなたが言っていたのは、こうしてレイクスを罠にはめるためだったのか?」
「とんでもございません。レイクス様に考え直していただけないかと思ったので進言したまでです。生け贄のことを隠ぺいしていたのは、正直にお伝えしてしまったら、陛下が苦しまれるのではと」
「しかし、知らなければ対策も立てられんではないか」
クロフォードの険を含んだ視線に、マクヴァルは軽く頭を下げた。
「必要な時になりましたらお話しするつもりでした。まさかシェイド神が私にもなにも言わず、こんなに早く行動を起こされるなどと思ってもみませんでしたので」
マクヴァルに返事を待つように顔をのぞき込まれたが、クロフォードは口を閉ざしたまま苦々しい視線だけを返した。マクヴァルは困ったように首をかしげ、言葉をつなぐ。
「それに、対策とおっしゃられましても、道は一つしかありません。契約を破棄させ、巫女を差しだしてください。レイクス様が大切なら、迷うことではありますまい」
その言葉を聞き、クロフォードはこれ以上話しても何も進展しないだろうとため息をついた。
「実は、今現在、巫女を拉致するための準備を進めているところだ。ただ、もう少し待っていただきたい。準備ができ次第、連絡が入ることになっている」
クロフォードは一言一言ゆっくりと口にした。この事実を知らせておくことで、少しでも時間が稼げるのならそれでいいと思った。
意表をつかれたように、マクヴァルの目が丸くなり、かすかな笑みがこぼれる。
「そうですか。ではまずは待たせていただきます。あ、もちろんシェイド神の説得は続けますが、陛下もレイクス様がご自身でシャイア神との契約を破棄するようご説得ください」
クロフォードの表情が変わらないことを感じたのか、マクヴァルは眉を寄せ小さく首を振った。
「残念ながら、私は神にとって器であるだけです。どうにかして差し上げられるなら、このような思いをせずともよかったのですが」
「よい。頼んだぞ」
マクヴァルが頭を下げたのを見て、クロフォードはドアへと向かった。
そこにはいつの間に移動したのか、年老いた神官が一人立っていた。その神官は、しっかりと頭を下げている。チラリと見やったクロフォードに、しわがれた声が緩く響く。
「まさか、神殿を疑っておいでではありませんでしょうな」
「ならば、隠し事などなさいますな」
「隠す? いえ、こちらはあなた様の信仰心を、微塵も疑っておりませんでしたのでね」
老齢の神官は一度頭を上げ、再びお辞儀をした。その表情は神殿の暗さと深く被ったフードに隠され、うかがい知れない。神官は声を低くする。
「このままでは、神に見放されてしまいますぞ」
前にマクヴァルが言っていた言葉だ。クロフォードは顔をしかめ、黙したまま部屋を後にした。
ドアの閉まる音に息をつき気が緩むと、フォースは今どうしているのかが不安に思えてきた。身体を洗い、部屋で休ませるとジェイストークが言っていたことを思い出す。
クロフォードはフォースが戻るはずの部屋へと歩を向けた。ドアの外でクロフォードを待っていた騎士二人はなにも言わず、左右、後方から付いてくる。
そんなに神の守護者の血が必要なら、なぜあの薬だったのか。もし行動を制限される方の効き目ではなく、死んでしまう方だったとしたら。
そして、その死という事実が生け贄ならば、なぜ今なのか。供物台よりエレンを連れてきてから今まで、神の血を王家に入れてなお生け贄が必要ということを、マクヴァルが話す機会はいくらでもあったのだが。
エレンがいた頃、そして二人が姿を消してからフォースに再び会うまでは、目の前にフォースがいない分だけ、まだ冷静に生け贄の話を聞けただろう。そして、当然話す方も話しやすかっただろうにとクロフォードは思う。
エレンは、神がフォースまでをも生け贄にと望むことを知っていたのだろうか。あの詩にはそのような言葉は無い。もし知っていたならば、どうにかして助けようとしたに違いない。
それがメナウルへ行く動機だったのかもしれない。地の青き剣水に落つ、と、詩は示していた。だが普通に考えて、風の影裂かん、と、神自身が期待している相手を生け贄に欲したりはしない。
影と呼ばれているのは、やはりシェイド神かマクヴァルなのだろう。いや、神を守る種族として影を裂くのなら、相手はマクヴァルだ。だが、シェイド神はマクヴァルの中にいる。シェイド神を守りつつマクヴァルを斬るなど、できることなのだろうか。
「自分が何をしているのか、分かってるのか?!」
廊下を右に曲がった先からだろう、不意にフォースの声が聞こえてきた。クロフォードは後ろの騎士を制すると、廊下右をそっとのぞき見た。
最初に、まだ髪の濡れているフォースと抜き身の剣を握った護衛の騎士が目に入った。そしてバタバタと向こう側へ逃げていく兵士と、手すりになったその向こう、背の低い庭木の影に、リオーネの兄であるタウディが隠れているのが見える。
「あんたがしていることは、レクタードの顔に泥を塗る行為なんだぞ?」
フォースはそのタウディの方向を指差した。隠れてはいるが、すでに見つかっているらしい。護衛の騎士はフォースの態度を、ただオロオロと見つめている。
「三度目は許さない。今度こんなことがあったら、俺はあんたを斬る!」
フォースの三度目という言葉に息を飲む。護衛の騎士も目を見開いて固まった。
これが二度目ということなのだ。一度目の報告はなかった。事を荒立てないつもりでいたというのだろうか。
フォースはタウディから視線をそらすと、サッサとこちら側へ歩き出す。騎士も剣を収めて後に続く。
そこに、向こう側からジェイストークが駆け寄ってきた。それに気付いたのか、フォースが足を止める。
「レイクス様、どうしました? なにかあっ、あ……」
ジェイストークはタウディに気付いたらしく、木の陰に向かってハァとため息を吐き出した。タウディは身体を小さくして、そそくさとその場を去っていく。
「またですか?」
「なんでもない」
憮然とした表情でジェイストークにそう答えると、フォースは歩き出そうと再び足を踏み出した。前回があったのも知らなかったが、やはりフォースはこの事件も報告する意志がないようだ。
「あ、お待ちください。これを」
ジェイストークはフォースの腕を引き、もう一度引き留めて向き合った。訝しげなフォースの前に、軽く握った手を差しだし、ゆっくりと開く。
ジェイストークの手のひらで、ペンタグラムが紺色の光を反射した。フォースが巫女と交換したモノで持たせておきたいと、ジェイストークから進言され許可した記憶がクロフォードの胸に思い出される。
「なっ?! これ、……」
フォースは、その手のひらに乗ったペンタグラムを凝視した。それからジェイストークの顔に視線を移す。その顔が笑みで緩んだ。
「本物ですよ? って、わかりますよね。鎖も直してあります」
ジェイストークはフォースの手に手を添えて、ペンタグラムをそっと渡した。フォースはそのペンタグラムに見入っている。
「あんなところから、どうやって」
「似たようなペンダントを落としてみましたら、ほとんど真下に落ちまして。まぁ、人数と根性さえ出せば。早く見つかってよかったですよ。……、いらなかったですか?」
顔をのぞき込んだジェイストークに、呆気にとられて聞いていたフォースは慌てて首を振った。
「い、いや、ありがとう。ありがとう……」
フォースはペンタグラムを包み込むように握りしめ、目を細めて手からこぼれた鎖を見つめている。クロフォードの目に、フォースは嬉しそうでもあり、今にも泣きだしそうな顔にも映った。ペンタグラムを心から大事に思っているのが、よく分かる。
ジェイストークの腕が上がりかけて止まったことに気付いたのか、フォースが訝しげに顔を上げた。ジェイストークは照れ笑いを浮かべる。
「すみません。つい、頭を撫でたくなってしまって」
その言葉にフォースは目を丸くし、ポカンと口を開けてジェイストークを凝視した。それからふと正気に戻ったように視線を泳がせると、顔を背けるようにこちらを向いて歩き出す。その後に、ジェイストークと騎士が慌てて続いた。
「未遂じゃないですか。そんなに照れないでくださいよ」
「バカ言え、照れてなんてない」
フォースは少し顔を上気させ、手にしていたペンタグラムの鎖を首にかけた。そのまま宝石の部分を握っている。
「それにしても、いい手だったですよ。それを媒体だと思いこませようだなんて」
ジェイストークは笑顔を崩さず、フォースの背中から声をかけた。フォースは眉を寄せ、短く息をつくと苦笑する。
「いや、違うんだ。あの時俺、媒体はこれじゃないって本気で訴えてたんだけど無視されて」
「な、なんですって?」
フォースの言葉に面食らったのか、ジェイストークは呆気にとられた顔でフォースの背中を見ている。ジェイストークをチラッと見やると、フォースは力の抜けた笑い声をたてた。ジェイストークは、そうだったんですか、と、長いため息をつく。フォースはもう一度振り返ると肩をすくめた。
「ありがとう。あの状況で助けてもらえるなんて、微塵も思ってなかったから嬉しかった」
「微塵も、ですか。まぁ非常に幸運だったのは確かですが」
苦笑いを浮かべたジェイストークの目が、ペンタグラムを握った手に向いていることに気付いたのか、フォースは青い星の宝石を襟の内側に滑らせた。
「本当によく効く御守りですね。効き目は強大です」
「ああ。これがなかったら、俺が溶けていたかもな」
フォースのその言葉でクロフォードの脳裏に、床に広がったデリックと騎士だったモノがよぎった。マクヴァルがフォースの死もいとわないと思っている限り、フォースが溶かされてしまうこともありえるだろう。それはどうしても阻止したいと思う。
思わず足を踏み出し、クロフォードは廊下に出た。フォースはギョッとした顔をしたが、気を落ち着けるように静かに息を吐くと、ほんの少しだけ決まり悪いような笑みを浮かべる。
その笑みは、自分が心配してここにいることを理解してくれているからだろう。フォースのその思いは、クロフォードにとって掛け替えのないものであり、何より大切にしたいものだった。
クロフォードは、意を決して口を開く。
「シェイド神が、レイクスを生け贄にしたいと言っているそうだ」
「な?!」
フォースはほとんど叫んでしまってから、眉を寄せて口を閉ざした。一度視線を背け、唇を噛むと、再びクロフォードに視線を向けてくる。
「それを、どうして俺に」
「危険だと思ったからだ。皇帝としてシェイド神のおっしゃることを聞かねばならないのかもしれん。だが、神に見捨てられてもいい、私はお前に生きていて欲しい」
勝手な言い分だと分かっている。だが、クロフォードには素直な気持ちだった。敬語を使う余裕もなかったのか、自分のことを俺と言ったフォースを庇護したい気持ちに拍車がかかる。
「でも、こっちへ来てから俺を戦士だと呼んだ以外には、シェイド神は声すら出していないんです。マクヴァルがシェイド神と会話しているはずが……」
フォースは顔をしかめたまま、遠慮がちに口にした。マクヴァルは確かに、神との会話を説明するように、ことのあらましを話していた。
「では、その生け贄というのは一体なんだというのだ?」
もし神の言葉ではなかったとしたら、答えは一つしかない。それを口にした人間、すなわちジェイストークの父であり、シェイド神の器であるマクヴァルの言葉なのだ。
「陛下、それは父だけの都合と思います」
ほとんど無表情で、ジェイストークがかしこまって言う。マクヴァルがジェイストークの父だと察していたのだろう、フォースは驚きもせず、硬く瞳を閉じた。
「シェイド神の声が聞こえたふりをして、自分の思うがままに命令していると?」
「はい。先ほどの事件を目撃していたのに、私は助かりました。それは、神ではなく父の意志だからなのかもしれません」
ジェイストークまでもがそう言うことに、クロフォードは確信が大きくなるのを感じる。
「すべて隠せるのに、そうしなかったということか。しかし、隠す必要があるほど、力が弱いわけではない……」
「信者であるだけで、デリックと同じように誰もがレイクス様を襲う可能性があります」
信者だけではない。タウディもそうだったように、王位継承の件でも狙われている。しかも、利害が一致するからには、その両方が結託することもできる。敵は溢れるほどいるのだ。
「しかも、シャイア神の力ではあの騎士が溶けるのを止められなかったんです。もちろん戦士であるレイクス様を守った上でのことでしょうが。殺そうと思えばいつでも殺せてしまうのかもしれません」
マクヴァルは、エシェックと呼ばれるゲームで駒を動かすように、簡単に命を動かしている。神を味方に付けている分、その駒の数は圧倒的にマクヴァルが多いし有利だ。
「いったい、どうすればいいというのだ」
「やはり、レイクス様はメナウルに戻られるのが、一番よろしいのではと」
クロフォードはこの言葉を怖れてはいたが、必ず聞くことになるだろうとも思っていた。確かにゲームの盤上に安全な場所はない。
「しかしそれでは……。しかし……」
このまま帰してしまったら、フォースはこの盤上、ライザナルに戻っては来ないかもしれない。神のことだけではない、戦もあるのだ、戻るのは難しいだろう。だがメナウルにやらないと、フォースの命も何もかもすべてを失ってしまうかもしれないのだ。
「だけど、俺が帰ることで、マクヴァルの行動に制限が無くなってしまうんじゃ」
その言葉に、クロフォードの心臓が大きく音を立てた。思わずフォースの顔を凝視する。
「神が声を出されても、それを受け取れる人間がマクヴァルだけになってしまいます」
それを聞いていたジェイストークは、フォースに真剣な顔を向けた。
「帰りたいんですよね?」
「そりゃあ、……、もちろん……」
フォースはクロフォードの視線を避けるようにうつむいた。ジェイストークは寂しげな苦笑を浮かべる。
「レイクス様は、死ぬまであの部屋に幽閉されるんですよ。出歩かれては危険ですからね。これからは部屋から一歩も外に出ず、世話をするためのごく一部の人間……、ま、せいぜい私とアルトス、あとは陛下としかお会いになれなくなります」
訝しげに顔を上げたフォースに、ジェイストークは肩をすくめた。
「ですから、父に露見する前に、シャイア神を連れて戻ってください」
「待ってくれ」
クロフォードは、思わずジェイストークの言葉を遮った。口をつぐんだジェイストークが、表情を隠すためか頭を下げる。
フォースがさっさとマクヴァルを斬ってしまえば、その宗教が浸透しているこの国自体を、敵に回しかねない。
しかしこのままだと、エレンのように犠牲にしてしまうかもしれないのだ。逃げきれればいいが相手は神の力だ、いつかはシェイド神に殺されてしまうだろう。そう思うと、フォースをメナウルへ行かせることを、反対などできはしない。
「危険なのは承知している。だが、少しだけ待って欲しい。マクヴァルが影であるなら、この戦も意味がないのだろう。ならば……」
うつむいていたフォースが向けてくる疑わしげな視線と、クロフォードは真剣に向き合った。
「追々退かせてもらう諭旨、レクタードとメナウルの姫との婚姻も考慮していただきたいとの親書を、あちらに届けてはくれまいか」
反対されるだろうと思っていたのだろうか、その言葉にフォースは目を丸くしている。
「そして、できるだけ早いうちに返事を持って戻って欲しいのだ」
「陛下、それではやはりレイクス様が危険かと」
ジェイストークは、慌てたようにクロフォードに告げてくる。だがクロフォードは、断固として首を横に振った。
「いや、レイクスは風の影を裂いてもらうためにも、ライザナルには必要なのだ。戻ってくれないと困る」
「それは、俺もそう思います。そうしない限り、問題は何も解決しない」
フォースがまっすぐな視線を向けて言った言葉に、クロフォードはうなずいた。
「すべてが上手くいくかどうかは、お前の身一つにかかることになる。それでもよいか?」
「そんなことは、かまいません」
フォースはそう答えはしたが、クロフォードが戻ってこいと言ったことが、まだ半信半疑のようだ。そしてそれは必ずしも間違ってはいないとクロフォードは思う。
「そういう手ならば、押し通せそうだな」
そう言いながらもクロフォードは、フォースを手放すのが怖いと思っていた。
巫女がライザナルにいれば、フォースは間違いなく帰ってくるだろう。その準備も進めている。だが巫女を拉致すれば、ようやく産まれつつある信頼が根本から崩れてしまうのは避けられない。
クロフォードは、ルジェナにいるイージスに巫女を拉致するよう命を下すかどうか、考えあぐねていた。
***
フォースは、ジェイストークと一緒に部屋へと戻った。見た目は少しも変わっていなかったが、フォースにはこの部屋の空気が、いつもよりも淀んで見えた。
それから少し後、フォースの緊張が解けるのを見計らってか、ジェイストークは今まで話していなかったマクヴァルとの関係を、ひとりごとのようにポツポツと口にしだした。
フォースは、ただ黙って聞いた。予想は、ほぼ当たっていた。
ジェイストークが丁寧に頭を下げる。
「今まで黙っていて申し訳ありません」
「いいんだ。いくらか想像はついていたし、だからってジェイが変わるわけでもない。二重人格なんてのは、考えもしていなかったけど」
マクヴァルがジェイストークの父親であって欲しくないと思っていた。だが、現実だった。予想が付いていただけに、フォースが感じた衝撃は軽くて済んだが、それでもなお、大きな事実であることにかわりはない。
「あの状況で生かされることが、こんなに辛いなんて思いませんでした。私は、まだ彼の息子だったんですね……」
いつも笑顔でいるジェイストークが、珍しくフォースを気にせず顔をしかめている。
「ジェイ。あの詩によると、俺はマクヴァルを斬ることになるのかもしれない」
フォースは重たい気持ちを押して口を開いた。ジェイストークが、はい、とすぐに返事を返してくる。
「はい、って……」
予想に反してすぐにうなずいたジェイストークに、フォースはどう対応していいか分からなかった。当惑しているフォースを見て、ジェイストークは苦笑を浮かべる。
「レイクス様に、その意志を以て風の影裂かん、と命令なさるのは神なのですから。私には反対しようがありません」
ゆっくりとしたジェイストークの声が、フォースの胸に響いてくる。それは間違いなく立て前だとフォースは思ったが、本音はどうなのかとは聞けそうになかった。もし聞いてしまって斬るのは嫌だと言われても、自分の意志を変えるわけにはいかないのだろう。
それに、メナウルに帰るための算段を進めているのもジェイストークだ。実際、斬らずに帰って欲しいと思っているのかもしれない。
マクヴァルについて、まだハッキリ分かっていないのもフォースには辛かった。どうして神の力を自由に使うことができるのか。そしてなにより、いったいなんのために、そういう行動を取っているのか。
大事なところが抜け落ちている。だが、マクヴァル本人と話をできない状態では、解決のしようもない。聞いて素直に話すとも思えない。
「俺にはまだ、その意志ってのが、できていないみたいだ」
フォースのつぶやきに、ジェイストークが目を見開いた。その表情がゆっくり苦笑に変わる。
「斬らなくては殺されてしまうかもしれません」
「それは斬らなければならない直接の理由にならないだろ。リディアの拘束を解いてもらいたいってのもあるけど、それもだ」
虚を衝かれたのかポカンとしているジェイストークに、今度はフォースが苦笑を向けた。
「だいたい神ごと斬ってしまったら、守護者でもなんでもないだろ。意志ってのは剣とは違うのかもしれない」
肩をすくめたフォースに笑みを返して、ジェイストークは何か考え込んでいる。
剣では神は斬れないのかもしれないが、斬ってしまうかもしれないのに、実行に移すわけにはいかない。
「神に見捨てられてもいい……」
ジェイストークの小声に耳を疑い、フォースはジェイストークを見やった。それに気付いたジェイストークが、いつものような笑みをフォースに向ける。
「先ほど陛下が、そうおっしゃってましたでしょう? たぶん陛下は、レイクス様にその意志がなくても、レイクス様自身を守るために影を裂いて欲しいと思っていらっしゃいますよ」
本当にそれでいいのなら、今すぐにでもマクヴァルを斬ってしまいたいとフォースは思った。だが、どうしても拭えない違和感がある。
「風の意志剣形成し、青き光放たん。その意志を以て、風の影裂かん……」
フォースは詩の一部を声に出してみたが、やはりひどく空々しく響く。風の意志というのは本当に自分のことなのだろうか。もしかしたら、神自身の意志がどこかにあるのかもしれない。
「神か……」
自分がつぶやいたその言葉で、学校で暗記させられた教義の文頭が、フォースの脳裏に浮かんできた。フォースの声に振り返ったジェイストークに聞かせるよう、フォースは教義を口にする。
――ディーヴァに大いなる神ありき。神、世を七つの分身に与えし。裾の大地、海洋を有命の地とし五人に与え、異空、落命の地を創世し二人に授けん。天近き力のパドヴァルはヒンメルに、中空照らすライザナルはシェイドに、恵み横たわるシアネルはアネシスに、くまなく流伝すメナウルはシャイアに、命脈の波動発すナディエールはモーリに。
そこから先が思い出せずに眉を寄せたフォースに、ジェイストークが身を乗り出した。
「それは?」
「教義の最初の部分だよ。たぶん間違えてはいないと思う。この先は忘れたけど」
神は、いや、神の分身は七人もいるのだ。そこに意志があっても何らおかしくはないと思う。
「神の守護者のことは、……、教義には無いですよね」
ジェイストークの言葉に、もし教義にあったら、母親がメナウルに行った時から大変なめに遭っていただろうと思い、フォースは苦笑した。
「アルトスです」
ノックの音と同時に響いた、いつも最初だけキチッとしたアルトスの声に、ジェイストークがドアを開ける。
「エレン様がさらわれた時に落ちていたペンタグラムだ。陛下がお前に渡せとおっしゃっていた」
アルトスはフォースの予想通り、お前呼ばわりで入室してくると、フォースに少し大きめなペンタグラムを渡した。なぜこんなモノを、と聞こうと見上げると、聞き返す間もなくアルトスが口を開く。
「陛下は親書を書かれている。なるべく早くと思っていらっしゃるようだ」
マクヴァルのことを考えると後ろ髪を引かれる思いはあるが、それでも帰れると思えば嬉しかった。みんなに、そしてリディアにも会えるのだ。
「ジェイの立てた計画に従って、馬の手配も進めている。密行だから、街道は通れない。道中、キツくなるぞ」
「分かってる」
メナウルとのやりとりで、リディアは直接迎えに来ないと動かないという、余計な返事が混ざっていたことを思い出す。その返事があったのは、どこかで質問が紛れ込んだとしか考えられない。
疑われたのではないだろうか、変わってはいないだろうかと不安になる。だが、それは向こうもそうだろう。早く帰って話をしたい、誤解があるなら解きたいと思う。
「ああ、それとだ。デリックの娘サフラが、何者かに手引きされ、逃亡した」
アルトスの報告に現実に引き戻される思いで顔を上げ、フォースはまたかと肩をすくめた。
「彼女が悪い訳じゃないだろうに」
「逆恨みということもあります。念のためですよ」
そう言うとジェイストークは、同意を求めるようにアルトスに視線を移す。
「お前がとんでもないフリ方をするからだ」
アルトスはそっぽを向いて鼻で笑った。ホクロと言いつつ胸の膨らみを指差したサフラを思い出し、絶対に違う理由だろうと思いつつも反論できず、フォースは顔を覆ってため息をついた。