レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     4.しがらみ

 石室を出ると、そこはレクタードに連れてこられた塔の地下だった。途中の部屋に食料や水が置いてあったのを見ると、ゼインとサフラはここに隠れ、塔の入り口がふさがれるのを待って行動に移したのだろうと推測できる。
 そこにちょうど騎士数人が階段を下りてきた。それぞれフォースに敬礼を向けてくる。先頭にいた騎士の表情がんだ。
「レイクス様。ご無事でしたか」
 その、思い切り息を吐き出し、見るからに安心した様子の表情が、再びしくめられる。
「でも、られたんですね。手首の拘束の跡も傷に」
「こんなの平気だ」
 フォースが苦笑を向けると、騎士は遅れて出てきたジェイストークに、不安げな顔を向けた。
「陛下は心配されますでしょう。責任問題にならなければいいのですが」
 その言葉に、フォースは眉を寄せた。
「責任って一体。あ、俺のか?」
「は? いえ、決してそのような。でも、レイクス様にそう言っていただけると安心です」
 その騎士の笑みが、優しげなモノに変化し、周りの騎士もホッとしたように胸をなで下ろす。
「中には犯人の遺体と、気を失ったサフラがいます。確保をお願いします。処置処遇は追って連絡します」
 ジェイストークの言葉に、テグゼルたち騎士は敬礼を返し、中へと入っていった。
「陛下の親書もありました。これの重大さに気付かなかったんでしょうか、封印もそのままです。これが神殿にれたら、大変なことになるところでした」
 ジェイストークはそう言いながら、手にした親書をフォースに渡す。
「間抜けだな」
 フォースはそう返したが、実際は、ゼインは自分に恨みを晴らそうと一生懸命で、親書だと分かっていて見向きもしなかったのかもしれないと思う。フォースは苦笑しながら親書を受け取った。
「歳をとった神官が、レイクス様が逃げたと勘違いするような言い方をしたらしいのです」
 ジェイストークは階段を上り始めた。フォースは黙ってその後に続く。アルトスはフォースの後ろに付き従い、声をかけてくる。
「だが、塔から走り去るレイクス様らしき影を見た、という言い方をしていた。問いただせば見間違いと言われて終わりだろう」
 そのアルトスの言葉に、フォースは眉を寄せた。その状況では、何もないとされていた塔の中は、間違いなく捜索しないだろうと思う。
「だけど、ここにいるってよく分かったな。下には何もないなんて言っていたから、誰も来ないだろうと思ってた」
 フォースの言葉に、ジェイストークの声が明るくなる。
「ソーンが気付いてくれたんですよ」
「ソーンが?」
 その意外さに声を大きくしたフォースに、アルトスは軽くため息をつく。
「あの鳥が屋根にいた。窓から出たのなら連れて行くはずだと」
 フォースが言葉に詰まったのを感じたのか、前を行くジェイストークが笑顔でチラッとだけ振り返った。
「ソーンは、窓から出たら見えるから忘れないはずなのに忘れている。だからレイクス様は外に出ていない。そういう風に言ったんです」
「ソーンはお前との約束は守ったぞ。前に窓から外を見た時、お前の反応が異様だったことを思い出したから気付いたが」
 アルトスの言葉に肩をすくめ、フォースは振り返って苦笑した。
「いやもう、そのままバッチリ俺の鳥が屋根にいるって言ったとしても、ソーンを怒ったりできないよ。恩人だ」
 フォースがそう言うと、アルトスは安心したのか、フッと息をついたのが背中に聞こえた。
 ジェイストークは、クロフォードの部屋へと続くドアを開けて入っていく。フォースはファルがいると知って、先に部屋へ戻りたいと思った。だが、ここまで来てごねられるのも面倒だと考え直し、まずはクロフォードを優先することにしてジェイストークの後に続く。
「残念ながら、状況は何一つ変わっていません。いえ、むしろ変わらなくてよかったのかもしれませんが」
「そうだな」
 フォースはジェイストークの言葉にうなずいた。
 確かに、自分が出発した後にこんなことが起こったら、大変なことになっていた。神殿に黙って自分を逃がしたと分かれば、当然何かとうるさくなる。それこそ神の力を使った実力行使もあるかもしれない。
 それを思えば、むしろゼインやクエイドのことが分かって、け物だったと思うべきだろう。実際の被害は殴られてできた傷と手首に残った拘束の跡くらいだ。
 だが、ドナの事件はやはり自分に関連して起こったことだったのだと、ハッキリ分かってしまったのは辛かった。自分がどこにいても起こった事件には違いないが、実際その場景を思い出すと、とても犯人だけが悪いとも言い切れそうにない。
 押し黙ったフォースを、ジェイストークが心配げに振り返った。フォースは苦笑を返してまた足元に目をやる。
諜報部ってのは、割と個人主義的にできていると思っていたんだけど、そうでもないんだな」
「は? がりは縦一本くらいですよ?」
 不思議そうな声のジェイストークに、フォースは顔を上げた。
「二世とか三世ってのも、繋がりは残るのか?」
「ゼインのことですね。繋がりは無いです。ただクエイドが利用しやすい立場にありましたからね」
 フォースは突然出てきた二人の名前に顔をしかめる。
「どうしてクエイドのことまで」
「私がゼインの隊にいたのをお忘れですか?」
「あ……」
 すっかり忘れていたが、初めてジェイストークを見かけたのは、ヴァレスの神殿周辺警備の任に就いたゼインの横だった。いやににこやかな顔をして隣に立っていたのが記憶によみがえる。
「城都で彼らがケンカしているのを聞きましてね。その時に祖父と孫なのだと知ったんです」
 ゼインとクエイドのケンカなら、直接関係のない自分でさえ何度か聞いたことがあった。ゼインの隊にいれば、その機会も増えるに違いない。
「なんだか、メナウルのことでさえ俺よりジェイの方がしいな」
 その言葉に、ジェイストークはノドの奥で苦笑したような息を漏らす。
「ただ、一時こちらに出入りしていたクエイドの息子は、メナウルに行ったきり行方不明らしいのですが」
「処刑されてる。ドナの犯人だそうだ」
「そうなんですか?!」
 ジェイストークは足こそ止めなかったが、驚いた目を一瞬フォースに向けた。
「クエイドとゼインが祖父と孫なら、その間にまった人間に興味が向きます。私が調べた限りでは、その後の行動が何も出なかったモノですから」
「さっきゼインがそう言ってたんだ」
 犯人が処刑されたのは知っていた。自分が誰なのか口を割ることもなく、ただ毒を入れたのは自分でライザナルの人間だと声高に叫び、抵抗することなく処刑されたと聞く。
 ただ、祖父に反発し、ライザナルにいいように使われた末に処刑されたとゼインが言ってはいたが、それが処刑された事実とどう繋がっているのかは、推測の域を出ない。
「結局、どういう理由で毒を入れたかは分からずじまいだ」
「あとはクエイドが何を知っているかでしょうね」
 ジェイストークの言葉に、フォースは、そうだな、とうなずいた。後は帰りさえすれば、すべてを知ることができるかもしれない。
 ジェイストークがため息をつく。
「こちらの資料には、クエイド本人の記録はないですが、クエイドの父と息子の記録があったんです。こちらはできる限り利用しようとする、彼はなんとかバレないようにと躍起になる」
「それでゼインを使ったと……」
「多分そうでしょうね」
 ジェイストークの暗い声に、フォースは大きく息をついた。どこかでその二世三世といういましめを、解くことはできなかったのだろうか。
 クエイドが先の皇帝陛下に打ち明けることができたなら。その息子がクエイドの恐れを理解できたなら。ゼインが騎士になることを承諾しなかったなら。
 何もかも今さらだとは思う。だが、彼らのうちの一人でもそれを実現していれば、ここまでの悲劇にはならなかっただろう。
「クエイドを利用した時点で、そのケガはやはり私の責任ですかね」
 ジェイストークのつぶやきに、フォースは眉をしかめ、声を大きくする。
「冗談じゃない。そんなモノまで責任になるなら、なんにもできないだろうが」
「そう思っていただけるんですね。では、レイクス様もドナのことで、ご自分を責めたりなさらないでください」
 その言葉に、フォースは狼狽の色を隠せなかった。ジェイストークはフォースの顔が見えるだけ、ほんの少し振り返ると、再び前を向いて歩を進めながら言葉を継ぎ足す。
「誰も産まれてくることに責任はありません。しかも、レイクス様の場合は神が存在を望まれたのでしょうから、責任があるとしたら神にでしょう」
 事も無げに言ったジェイストークは、フォースが呆気にとられているのを知ってか知らずか振り向きもせず、見えてきた通路の突き当たりを指差した。
「そこです」
 ジェイストークは、くぼんで見える場所で左を向き、そこにあるドアをノックする。
「レイクス様をお連れしました」
 その言葉が終わるか終わらないかで、ドアが開けられた。自分で開けたのだろう、ドアの向こうにいたクロフォードが、ジェイストークが開けた道を通ってフォースの前まで来る。
「申し訳ありません。思い切り油断してしまって」
「そんなことは、どうでもよい。生きていてくれてよかった」
 クロフォードはフォースをき抱いた。殴られた部分に痛みが走ったが、フォースは顔を歪めただけで声を出さなかった。クロフォードの向こうにいるジェイストークはそれに気付いたようだが、クロフォードを止めることもできず、おたおたしている。
 腕がむと、フォースは平静をよそおい、顔をのぞき込んでくるクロフォードに恥ずかしげな苦笑を返した。
「顔を殴られたのか。大丈夫か?」
「平気です」
 フォースが努めていつもと変わらないよう、ゆっくり返事をしたことについたのか、クロフォードはフォースの手を取り、部屋へと引き入れた。
「リオーネ、手当てを頼む」
「は? と、とんでもない、そんな」
 フォースは慌てたが、クロフォードが手を離さないため、机の側に立っていたリオーネのところまで連れて行かれた。どうぞ、と、リオーネが椅子を引く。そこに駆け寄ってくるレクタードに、フォースは向き直った。
「フォーじゃなかった、レイクス! 大丈夫か?」
 レクタードの心配げな顔に、フォースは鼻で笑ってみせる。
「全然平気。このくらいのケガならガキの頃から日常茶飯事だ」
「なんだと?」
 不機嫌な声に目をやると、クロフォードが思い切り顔をしかめていた。余計なことを言ったと思い口をつぐんだフォースに、レクタードは満面の笑みを向けてくる。
「まぁ座って。黙って手当てされてくれ」
 レクタードはフォースの肩に手を置き、椅子の前まで誘導すると、手に力を込める。フォースはその力に黙って従った。場所を入れ替わって顔を寄せてくるリオーネと目が合い、フォースはどうしていいか分からず目を閉じる。
「いったい何が起こったのか、俺には全然分からないんだ」
 レクタードが不安げな声を立てた。
「気が付いたらられていて、どこだかサッパリ分からない。しかも男の方が、フォースがしていたペンダントを見せて、お前は共犯者だなんて言ってくるし。俺、何かしたのか?」
 レクタードの問いに、フォースは傷の手当てを受けながら、昨晩レクタードがとった行動を伝えた。夜中に部屋をねてきて、見せたいモノがあると階下に連れて行かれたこと、いきなり手をつかんで引きられ、抵抗して引き倒したら気を失ったこと。
 リオーネが離れる気配にフォースが目を開けると、リオーネがイヤに青ざめているように見えた。レクタードはまだ胸騒ぎを抑えられないといった顔でフォースを見ている。
「いつものレクタードとは様子が違った。きっとられていたんだと思う。あの溶けてしまった兵士のように」
 フォースの言葉に、レクタードの表情がさらに強張った。
「操られるだなんて。そんなことが……」
「その通りです」
 突然リオーネが口を開いた。リオーネは驚き集まった視線を一つずつ見返すと、気を落ち着かせるためか、肩が上下するほどの息をつく。
「マクヴァルは、人を操るすべを知っているんです」
「リオーネ、どうして……」
 クロフォードは眉を寄せ、疑わしげに目を細める。リオーネは、その視線を避けるようにうつむいた。
「エレン様とレイクス様を拉致するよう、命令を出したのは私です。もちろん私の意志ではありませんでした。でも、私なのは確かなんです」
 フォースは、ただ黙ってそれを聞いていた。その言葉にクロフォードが顔を歪めたのが目に入ったのか、リオーネはしっかりと目を閉じる。
「私がだました兵士が斬られるのを見て、その衝撃で我に返りました。そこにはマクヴァルがいて。お前も共犯者だ。口外するようなことがあったら、お前も終わりだ、と……」
 フォースは密かにジェイストークに視線を向けた。ジェイストークは何を考えているのか、視線を落としたまま動かない。
「陛下にお伝えするべきか悩みました。ですが、人を操るほどの力を持っているという恐れと、エレン様がいなくなるという恩恵もあり、口外できませんでした」
「恩恵、か」
 ボソッとクロフォードがつぶやいた。そのつぶやきに、はい、と返事をしつつ、リオーネが頭を下げる。
「陛下が私のところへ帰ってきてくださると思いこんでしまい、何が起こったのかお伝えしませんでした。すぐにお伝えすれば、お二人を救うこともできたかもしれません。ですから私はマクヴァルが言ったように共犯者なんです。でも、まさかレクタードまで利用するなんて……」
 リオーネは顔を上げると、椅子に腰掛けたままのフォースの前にひざまずいた。
「どうか、お願いです。レクタードは決して共犯者などではありません。どうか、レクタードだけは」
 リオーネが深くお辞儀をするのを、フォースは呆気にとられて見ていた。ふと我に返ると席を立ち、フォースはリオーネに手を差し出す。
「立ってください。どちらも共犯者ではありませんよ」
「ですが、レイクス様。私は……」
 リオーネはフォースが差し出した手を見て、うろたえている。フォースは苦笑した。
「そういう言い方をするなら、母も共犯者かもしれないんです」
 その言葉に、リオーネの定まらなかった視線が、フォースに注がれる。
「母は、神の守護者と言われる種族に伝わる詩を知っていました。それが実現して行くに連れ、自分がその詩で語られているのだと分かったはずです。反目の岩で母が父に、あ、いえ、ルーフィスに会った時も、アテはないがメナウルに住みたいと何度も言っていたそうですし」
「エレンが、そんなことを……」
 クロフォードのつぶやきにうなずき、フォースは言葉をぐ。
「仮定にしかならないのですが、その詩の示す運命をたどって、自らメナウルへ行った可能性もあるんです」
 フォースは、気が抜けたように床に座り込んだリオーネに、もう一度手を差し出して立ち上がらせ、自分が座っていた椅子に座らせる。
「今となっては母がどんな気持ちでここにいたのか、メナウルへ行くことを受け入れたのかは知りようがありません。もう、すべて過去です。母の感情がどうであれ、何も変わらないんです」
「……、そうだな。もう過去なのだな。私も過去にしないといけないのだな」
 クロフォードが大きくため息をついた。リオーネはフォースに向き直る。
「許してくださるんですか……?」
「許すも何も。共犯とは違う、ただ動かされただけです。それに俺は、この世に存在できたことも、メナウルで育てられたことにも感謝しています。母のことを色々知って俺なりに考えたことで、このまま吹っ切れると思いました。もう、こだわりません。今の俺には、もっと大事なことがあるんです」
 フォースの言葉に、リオーネは両手で顔をった。その隣にレクタードが立ち、背中に手を添える。
「お前はあの詩の通り、根本からメナウルの人間に育ってしまったんだな」
 ため息のような息で言葉にしたクロフォードに、フォースはうなずく代わりに頭を下げた。クロフォードはフォースの正面に移動する。
「だが、お前はエレンが残してくれた私の息子だ。何をどう考えようと、どんな行動を起こそうと、それは変わらん」
 その言葉にフォースが顔を上げると、クロフォードは何度かうなずいて見せた。
「親書は無事だったのか?」
「はい。封印も無事です」
 フォースの返事にホッとしたように息をつき、クロフォードはやかな笑みを浮かべる。
「これから塔の部屋の窓をふさぐ作業を行う。その間は部屋にいて欲しい。終わり次第、……」
 クロフォードの笑みが歪む。フォースは、分かりました、と、軽く頭を下げた。クロフォードはフォースの両肩に手を乗せる。
「もう一度言う。バレた時点でお前は逃げたということにする。だが、都合のいい話だが、どうか戻って欲しい。あの詩が本当なら、ライザナルを救えるのはお前しかいない」
 必ず戻ります、と、フォースはしっかりとうなずいた。クロフォードはその心配げな顔を、ドアの側に立ったままのアルトスに向ける。
「レイクスがメナウルに入るまでの護衛を頼む。名目は、そうだな、拉致援護としておけばいい」
 御意、と一言返事をすると、アルトスは深々と頭を下げた。

   ***

拉致援護って言ったよな」
 フォースは塔の部屋、ドアのところから、中を確認しているアルトスに声をかけた。
「ああ。そうおっしゃっていた」
「本隊が別にあるのか」
 ムッとした声を出したフォースに、アルトスは冷たい視線を向ける。
「当たり前だ。お前が逃げたら拉致を実行すると、前々から準備だけはされていた」
 アルトスの言葉に、フォースはため息をついた。あるかもしれないとは思っていたが、本当にあると聞くのはやはりいい気分ではない。
「援護なんて名目で行ったら動かなければならない、なんてことは無いだろうな」
「無い。あるとすれば、命令が下った時だ」
 アルトスはドアのところまで戻ってくると、フォースとその後ろにいたジェイストークを部屋へと通した。
 フォースは窓から周りを見回し、誰もいないのを確認すると、ファルを手だけの合図で部屋へと呼び寄せた。ファルは向かい側の屋根から部屋へと飛び込んでくる。
「音も声も使わずに……」
 何か考え込んでいたのか、今まで静かだったジェイストークが驚嘆に目を見張った。アルトスはドアを背に立ったまま、感心したようにうなずく。
「これでは気付けなかったはずだ」
「ファル、持ってきたか?」
 フォースが話しかけると、ファルは手紙の付いた方の足を差し出した。フォースはそれを抜き取ると、元いた位置に戻るよう、手で指示を出した。ファルは素直に従い、向かい側の屋根に戻っていく。
 フォースは、手にした手紙をそっと開いた。中は想像通りリディアの字だ。だが、小さく詰めて書いた後に、大きく走り書きのような文字で、どうか一度戻って、とある。フォースが、何かあったのかと心配になって顔をしかめると、その変化に気付いたのか、ジェイストークが顔をのぞき込んできた。
「どうしました? なにか悪いことでも?」
「分からない」
 戻れなどと、リディアには一度も言われたことがない。今なぜ、戻れ、なのだろうか。この急いで付け足したような文字が気になる。
 いつもの小さな字では、大きく分けると二つの事柄が書いてあった。一つは、身体に神を閉じこめる呪術があり、神の力を自分の意志で使えるようになること。もう一つは、神を有した者の意識は、魂が生まれ変わった後に復活できること。
 文字のことで、ジェイストークなら何か感じ取ってくれるだろうとは思うが、この内容だ。これが本当ならば、マクヴァルがたどってきた二重人格に似た状況の裏打ちにもなるのだから、それどころではないだろう。
 ジェイストークにはリディアの一言より、この手紙の内容を知りたいと思うに違いない。フォースはその手紙を、ジェイストークに差し出した。
「いいんですか?」
 そう問いつつも、ジェイストークはフォースから手紙を受け取り、文面に目を落とす。その表情は手紙を読み進むに連れ硬くなっていった。
「これは……」
「こっちに来る少し前に、メナウルで古い本が大量に見つかったんだ。それで色々調べてくれている」
 ジェイストークは、古い本、とかすかな声で反芻する。
「では、これが本当なら、父の意識はマクヴァルの意識下に、まだ存在するかもしれないと……」
「そういうことになる」
 フォースがうなずくと、緊張が解けたのかホッとしたのか、ジェイストークは大きく息をついた。
「やはりレイクス様が斬らなければ意味がないんですね。早まらなくてよかった」
「自分で斬る気だったのか?!」
 驚いて聞き返したフォースに、ジェイストークはわずかに苦笑した。
 走り書きのような文字については、やはりジェイストークには聞けそうにない。そう思った時、フォースは左腕、媒体の布が熱くなってくるのを感じ、右手で触れた。
 とたん、脳裏に白く広い建物の内部が浮かんできた。まっすぐ前を眺めていて、そこがシャイア神の神殿で、シャイア神の像の目から見ている光景だと気付く。
 まるでその場にいるような臨場感に辺りを見回すと、足元にひざまずき、頭を下げた琥珀色の髪に目がとまった。
「リディア?」
 ゆっくりと上げた顔は、確かにリディアだ。フォースは集中しようとしっかりと目を閉じた。リディアは胸の前に手を組むと、小さく口を開く。
「ファルは間に合ったんでしょうか。フォースは無事なんでしょうか。……、いったい何が起こっているんですか?」
 その言葉で、手紙が半端だったのは、シャイア神が何はともあれファルをマクラーンに来させようとしたのかと思いつく。リディアはわけが分からないまま戻れと急いで書き足し、シャイア神に従ったのだろう。
「戻ってなんて書いてしまって後悔しています。もし無理に帰ろうとしてフォースが危険な目にってしまったら……。どうかフォースをお守りください。どうか……」
 フォースは、無事でいること、もうすぐ帰れることを、どうにかしてリディアに伝えられないか、せめてシャイア神に分かってもらえないかと祈った。
 だが、シャイア神がその祈りをリディアに伝えてくれる気配は少しも無い。しかも、媒体の熱と共に、神殿の光景は視界から消えていく。何も通じないその歯痒さに、フォースは顔を歪めた。
「レイクス様?」
 声をかけられて目を開け、フォースはすぐ側から心配げにのぞき込んでいるジェイストークに目を留めた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、いいんだ」
 そう答えながら、フォースは気持ちを落ち着けようと努力した。
 自分が何を考えていようと、シャイア神はすっかり理解しているに違いない。それなのに気持ちが一方通行なのは、何か意味があるのだろうか。それとも単にシャイア神が無慈悲なだけかもしれない。
「早く帰りたい……」
 フォースは、ほとんど無意識にボソッと言葉にした。リディアをあの状態で放っておくなど考えられない。居てもたってもいられなくなってくる。
「ガキの顔になってるぞ」
 気持ちを茶化すようなアルトスの言葉に顔をしかめ、フォースはアルトスに背を向けて、南向きの窓からヴァレスの方向を眺めた。
 窓をふさぐための材料を持ってきたのだろう、階段下からのざわめきが大きくなってくる。振り向くとすぐに騎士達が姿を現し、フォースがいる南側の窓をけ、北側の窓からふさぎ始める。
 いつまでかかるだろうかとため息をつきながら窓の外に視線を戻すと、フォースの視界に黒い神官服が入ってきた。ひどく歳をとっている様子のその神官も、黙ったままこちらを見ているようだ。
 フォースが身体を回して正面を向くと、その神官は笑みを浮かべ、うやうやしく頭を下げた。側に来たジェイストークもフォースの視線に気付き、のぞき込むように神官をめる。頭を上げた神官は、サッサと背を向けて去っていった。
 たまたまそこにいたのか、それとも窓をふさぐ作業を見に来たのか。神殿の人間というだけで、フォースには不審に思えた。ふと、ジェイストークの顔色がよくないことに気付く。
「レイクス様」
 声を潜めたジェイストークに、フォースは話を聞こうと耳を寄せた。
「申し訳ありません。私もマクヴァルに使われたようです」
 そう言うと、ジェイストークは深く頭を下げる。妙な雰囲気に気付いたのか、アルトスがフォースの後ろに立った。フォースはわけが分からず、ジェイストークの顔をのぞき込む。
「使われた? って……」
「はい。すべてを思い出せたわけではないのですが、たぶんナルエスに巫女の拉致の密命を下したのだろうと」
 その言葉に、フォースは息を飲んだ。思考が凍り付いたように動かない。アルトスがフォースの肩口から口を出す。
「密命ならナルエスは一人で行動しているはずだ。分かってけモノ、急げば追い抜けるかもしれん」
 アルトスは冷めた声で言うと、フォースに視線を向けてくる。密命だけに、行動はすべて一人だ。当然寝なくてはならないし、食事もある。常時進んでいられるわけではない。
「馬は乗り換えながら進むために間隔を開けて置いてあります。要所要所に馬車を用意してありますから、馬だけ使うことも、移動しながら睡眠を取ることも可能です」
 それだけ言うと、ジェイストークは眉を寄せてうつむく。
「ただ、ナルエスはレイクス様に心酔していますから……」
 確かにナルエスよりは所要時間は少なくて済むかもしれない。ただ、出発はナルエスが早いし一人ゆえの動きやすさもあるだろう。追いつけるかは分からない。
「ファルに手紙で、攻撃があるだろうことと俺が出した指示ではないことを知らせてもらうよ。先に分かっていれば、なおさら黙ってやられっぱなしにはならないさ」
 本気でそう思いつつも、窓をふさぐ作業が終わらない限り出発できない焦りが、フォースの全身を支配していく。
 ふと、クロゼットのドアが目に入った。ちょうど隠すつもりで、紙もペンもインクもクロゼットの小さな机にしまってあるのだ、そこなら作業中の騎士に見られることなく手紙を書ける。今書いておけば、出発してすぐにファルを呼び寄せ、手紙を運んでもらうことができそうだ。ファルなら間違いなくナルエスより先にヴァレスに着ける。
「あそこで手紙を書いてくる」
 フォースは口を閉ざしてしまったジェイストークに耳打ちした。ジェイストークは、分かりました、とうなだれた頭をさらに下げる。
「大丈夫か?」
 思わずたずねたフォースに、ジェイストークは無理に作った笑顔を見せた。
「ありがとうございます。今はもう、少しだるいくらいですので」
「気持ちの方も?」
 フォースの心配げな瞳に、ジェイストークはいくらかほぐれた顔で、わずかだが自然な笑みを浮かべる。
「ありがとうございます」
 フォースはジェイストークに笑みを返すと、クロゼットに向かった。ジェイストークがアルトスにかけた声が、背中に伝わってくる。
「何もかもスマン。兵はすでにレイクス様の捜索に動いている。どうか気をつけてくれ」
「ああ。できる限りのことはする」
 アルトスの返事を背中に聞きながら、フォースはランプを手にクロゼットへと入った。