レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
4.気がかり
イージスからライザナルでの話しを聞いて、今まで調べてきた話の内容が、グレイの中で一本に繋がった。
「やっぱり、そのマクヴァルって奴からシェイド神を解放できるのは、フォースだけってことか」
神殿の居間兼食堂にいるのは、イージスとグレイの二人だ。静かなためか、グレイの声が余計に響いて聞こえる。
グレイは、フォースが背負っている血の宿命を思って、大きくため息をついた。机をはさんで向かい側にいるイージスは、積まれた本をじっと見ている。
「こちらにそれほどの資料があるとは驚きでした」
「いや、当然だよ。ライザナルにあって始末されてしまったら元も子もないんだから」
本に囲まれたいつもの席から顔を上げ、グレイが笑顔を向けると、イージスはホッと息をつきながらうつむき、頬を緩めた。ルーフィスとの話しの内容も合わせ、すべてが通じたことで、イージスの張っていた気が緩んだのだろうとグレイは思った。
机の木目しか見えないだろうその目を、安心したように細めていたイージスが、不安げに顔を上げる。
「先ほど上の騎士に聞いたのですが」
「バックスに? なに?」
笑みを浮かべたままのグレイに、イージスは言いづらそうに視線を泳がせた。
「レイクス様と巫女様が、昨晩から一緒にお休みになっているとか」
「ああ、気にしなくて平気。リディアには護衛が付いているんだ。部屋の中にいるはずだよ」
その言葉があまりにも意外だったのだろう、イージスはキョトンとした顔でグレイを見つめてくる。
「部屋の中に、ですか?」
「そう。強力なのがね。だから大丈夫」
グレイがティオのことを口にすると、訝しげな顔をしつつも納得せざるをえなかったのか、イージスはため息をついて、再び目の前の机に視線を落とした。グレイは、ノドの奥で笑いながら言葉を付け足す。
「一度侵入されたから、対処方法も教えたらしいし」
半分ふざけたつもりで言ったグレイに、イージスは、すみません、と、きちんとしたお辞儀を返した。予想外の反応に、グレイは肩をすくめる。
「それにしても、簡単に入られたモノだよな」
「警備がゆるくなったのは、薬のせいです」
イージスの言葉に、グレイは目を丸くした。
「何か盛ったのか?」
「はい。あ、身体に残るような薬ではありませんのでご安心ください」
「残ったら困るよ」
安心して大きく息を吐いたグレイに、イージスは苦笑してみせる。
「ライザナルは薬の種類も豊富で研究者も多くいます。こちらに来て少ないことに驚きました」
イージスの説明に、グレイはため息をついた。
「そういや最初から毒薬使われてたんだっけ。辟易したろうな、フォース」
「ええ、たぶん。解毒剤すら嫌がっておいででしたし」
イージスが、たぶん、と言うのは、フォースは薬をひどく嫌っていることすら話さなかったということなのだとグレイは思った。フォースはライザナルで、そのくらい気を張りつめたままでいたのだろう。
「そりゃあ、フォースにとっての薬は、ガキの頃からどういう作用をもたらすか分からない、得体の知れない物体だったからな」
その言葉に、イージスが表情を曇らせたことにグレイは気付いた。視線が合うと、イージスは目を伏せて口を開く。
「戻っていただけるでしょうか」
「どうして?」
「やはり、色々と隠していらしたようですし」
イージスの深刻そうな顔に、グレイは苦笑した。
「隠すってより、きっと話さなかったってだけだよ」
「ですが。こちらにいる時のお姿が、自然な立ち居振る舞いだと思うと」
「ライザナルではガチガチだったって?」
グレイが言葉を継ぐと、イージスは、はい、とうなずく。
「あのような生活に戻ろうとは、思っていただけないのではないでしょうか」
「慣れない場所だと、誰だってそうだよ」
「それは、そうですが……」
イージスはグレイの明るい声にも、その表情を変えなかった。グレイは向かい側のイージスをのぞき込むように見上げる。
「やっぱりフォースが戻らないかもしれないって思ってるんだ?」
「ええ。それもあります」
その答えに、グレイは眉を寄せた。一度は否定したのだ、どちらを信じていいのか分からなくなる。その疑わしげな視線に気付いたのか、イージスはスミマセンと頭を下げた。
「昨日は失礼いたしました。レイクス様の前で信じられないとは言えなかったのです」
「言っちゃってもよくなった? 俺に言えばフォースに筒抜けかもしれないのに」
グレイの言葉に、イージスは何か考えるように目を伏せる。
「お伝えするしないは、グレイさんが決めてくださってかまいません。実際、もしレイクス様があきらめてしまわれたらライザナルは……」
イージスの切実な雰囲気に、グレイは苦笑した。
「場合によっては言って欲しいってわけか」
その言葉にイージスは、はい、とかすかな声を返してくる。グレイは可笑しさにノドの奥から笑い声を漏らした。
「俺って、そんなにいい人じゃないよ?」
そういわれると返す言葉もないのだろう、口をつぐんでしまったイージスに、グレイは肩をすくめて見せる。
「フォースは最初から、神とか国とか考えているわけじゃない。シャイア神からリディアを取り返そうとしているだけだよ。戦があろうがなかろうが、降臨を解いてしまうのは簡単だけど、そうすることでリディアが持ってしまう罪悪感とか、間違いなく出てきてしまうだろうリディアに対する敵意とか、そういうモノを全部払拭しようとしてる」
グレイが笑顔を向けると、ただ黙って聞いていたイージスが、疑わしげな瞳を向けてきた。
「一度レイクス様ご本人にうかがったことがあります。でも、本当に……」
「リディアを取り返すだけなら、もっと簡単な方法がいくらでもあるだろ? そうじゃなきゃライザナルへ行くのを止めてる」
その言葉で、イージスはハッとしたように目を見開いた。グレイは不機嫌に小さく息を吐くと言葉を継ぐ。
「だから、フォースがライザナルに行かないなんて考えられない。リディアが、ちょっといい方向に変わったのもあるし。イージスさんは心配する必要もない」
じっと目を見つめたまま聞いていたイージスが視線を落とし、はい、と返事をした。表情は緊張したままなので、すべて同意できたわけではないのかもしれない。それでも聞き入れようとする姿勢には好感が持てるとグレイは思った。トゲがあったかもしれない声に、いくらかの安堵が混ざる。
「そのニーニアって子のことも、あまりあおらない方がいい。黙っていた方がよほど気になる」
「ええ、そうかもしれません。そうさせていただきます」
そう言うとイージスは軽く頭を下げた。この人当たりのよさは女性ならではだろうか。それとも、イージスの性格なのかもしれない。とりあえずでも、納得してもらえてよかったとグレイは思った。
「いや、分かってくれてよかったよ。でさ。それでもこっちにいるつもり?」
グレイの問いにイージスは、はい、とハッキリ返事をした。やはりそう簡単には追い出せないかと、グレイは苦笑しながらイージスが口を開くのに目をやる。
「再びライザナルに入られた時に、お守りできるのではと考えています。剣を持てる人間が一人でも多い方が」
待って、とグレイは両手の平をイージスに向けた。
「それは違うんじゃ? 男が一人で女性を二人連れて歩くよりも、子供連れの若い夫婦の方が目立たないし、襲う方にしたら儲けも少ないと思うだろ」
「子供連れ、ですか?」
疑わしげな顔のイージスに、グレイは舌を出してみせた。
「あれ? まだ見てなかったっけ? ティオ」
その名前を聞いたのか、ソファの下から緑色の髪が出てきた。寝ぼけた目までをのぞかせた状態で、グレイを見つめてくる。
「なに?」
「なにって、そんなところにいたのか」
グレイは苦笑しながら、イージスにティオを指し示した。
「そいつが子供の役目をして、あれ?」
グレイは言葉を止め、もう一度ティオに目を向ける。ティオはズルズルと上半身を表に出した。
「なに?」
「いつからここにいるんだ?」
目を丸くしているグレイを見て、ティオは満面の笑みを浮かべる。
「昨日の夜からだよ。ベッドの下にいたんだけど、リディアが俺にイビキをかかないで寝ろって言うから、こっちで寝たんだ」
イビキ、と繰り返し、グレイは冷笑した。
「護衛はどうしたよ。リディアのところにいるモノだとばかり思ってた」
「ええっ?! 護衛というのはこの子供だったんですか? ではレイクス様はリディア様とお二人で一晩?!」
話す勢いと共に立ち上がったイージスに、グレイは、声をおさえて、と、両手の平を向ける。
「いや、そうだろうけど、そんなに心配しなくても。好きな娘からありったけの信頼を受けてたら、男はなかなか裏切れないものさ」
グレイの言葉にも、イージスは不安を拭えないのか心配そうな顔つきを崩さない。
「あれ? 信じてくれないのかな? 過去を疑いたくなっちゃうな」
肩をすくめたグレイに、イージスは眉を寄せた。
「そうではありません。もしリディア様がライザナルへ行きたくない、レイクス様を行かせたくないとお考えでしたら……」
「リディアがフォースを襲うって? そりゃ面白い」
グレイは思わず朗笑した。イージスは、フォースとリディアのいる二階を気にしながら、困り果てている。
「いえあの、面白いとか、そういった話しでは……」
本気で困っているその様子に、グレイは笑いながら席を立った。
「分かったよ。様子を見に行こう」
グレイはイージスに手招きをすると、階段を上がった。後ろから足音がついてくる。
階段を上りきって二階の廊下を見ると、部屋の前にいるバックスが手を振ってきた。少し歩を進めると、ついてきたイージスが目に入ったのだろう、バックスの表情が少し硬くなる。グレイはそれに気付かぬふりでバックスに笑みを向けた。
「まだ寝てるんだ?」
「部屋に入って鎧外して、たいして経たないうちにグーグー寝やがったらしい。リディアちゃんが側にいたいって言うから、後はそのまんま」
いくらか控え目な声でそう言うと、バックスは肩をすくめた。グレイはドアを指差す。
「ティオが一緒じゃないのに?」
「え? 中だろ? じゃなきゃ、フォース冷やかしに行ってる」
その言葉で、イージスが目を丸くした。グレイはイージスに苦笑を向ける。
「いや、こっちじゃただの騎士だからさ。もどっていきなり敵国の王子様扱いされても困るだろ」
はぁ、と、イージスはあいまいな返事をした。グレイはもう一度バックスに向き直る。
「ティオはソファーの下で寝てるよ」
「ホントか! じゃ」
バックスはくるっと後ろを向くと、グレイを通すためにサッサとドアを開けた。止めようとしたイージスの手が空を切る。グレイは部屋へ入り、ベッドの側に立った。
「うはっ、なんてカッコだ」
そう言うとバックスは、ドアの側で吹き出すのを無理矢理押さえたように息を詰めて笑っている。グレイはベッドの隣に立って二人に目をやった。リディアは、その両腕でフォースの頭を胸に抱え込むようにして眠っている。
「リディア? 朝だよ。いい抱き枕だね」
笑いをこらえて、グレイはリディアに声をかけた。リディアがゴソゴソと動き出す。
「ん……、グレイさん? おはようございま……、えっ?!」
どういう格好でいたのか理解したのだろう、リディアが一気に顔を赤くして飛び起きた。
「わ、私……」
バックスはドアのところに立ったまま、笑いながら口を開く。
「フォースのこの状況、運がいいのか悪いのか、どっちだろうね?」
「しかし、相変わらず起きない奴だな」
グレイが眠っているフォースに顔を近づけた時、バックスの鎧が音を立てた。それと同時にフォースの目が開く。
「うわっ! ぐ、グレイ?! なにやってんだよ。せっかく気持ちよく寝てたのに」
フォースは目の前の顔に驚いて上半身を起こし、グレイに不機嫌な顔を向けた。グレイは馬鹿笑いをはじめる。
「そりゃ気持ちいいだろうよ」
爆笑しながらそう言ったグレイに、フォースは訝しげな顔を向けてくる。リディアが顔を赤くしているのが視界に入ったのだろう、フォースはリディアに疑問を向けた。
「どうしたんだ?」
「え? あ、わ、私……」
ますます顔を赤らめて言葉を詰まらすと、リディアは両手で隠すように顔を覆った。バックスは見張りの体勢でこちらに背を向けたままだが、肩が揺れているので笑っているのが分かる。
「なーんでもないよ、フォース。知らない方が幸せってこともあるさ」
バックスの言葉に、グレイは思わず何度もうなずいた。実際フォースが先に起きていたら、本気で大変な思いをするだろう。そう思うと、よかったと言えなくもない。
パタパタと近づいてくる足音が聞こえ、バックスが階段の方向に、おぉ、と声をあげた。
「ブラッドさん、助かりそうよ」
「ホントか?!」
「意識を取り戻したの。今はまた眠っているけど」
部屋の入り口に、アリシアが姿を見せた。アリシアは部屋をのぞき込み、笑顔になる。
「聞こえた? よかったわね、フォース」
緊張して聞いていたのだろう、硬かったフォースの表情が緩んだ。フォースはアリシアに、ありがとう、と返すと、嬉しさに半分涙目なリディアの肩を抱き寄せて視線を合わせ、そっと髪を撫でる。
恋人とはいえ、フォースは今はまだ、リディアを守る代表みたいなモノだ。部下のはずの兵士たちは、家族のように見える。しかもひどく制約の多い二人だからか、なおさら一緒にいるのを妙に穏やかな気持ちで受け入れてしまう。
ふと気付くと、リディアがじっとフォースの口元を見ている。目が合わなくて落ち着かないのか、フォースがリディアの顔をのぞき込んだ。
「なに?」
「ヒゲ」
「そりゃ、ほっとけば出てくるって」
「まだら」
フォースは、リディアの言葉に吹き出す。
「頼むから、そうじゃなく、薄いって言って」
そのやりとりに、バックスとアリシアが顔を合わせて笑いあっている。
「急いで戻ったってわりには、身なりはちゃんとしてたよな」
グレイはノドの奥で笑いながら、思ったままを口にした。フォースは苦笑を向けてくる。
「一緒に来た奴が、毎朝やかましかったんだ。そんなことよりも移動が先だってのに」
「それはレイクス様に、あ……」
イージスは、フォースの視線に一度口をつぐみ、改めて言葉を継ぐ。
「フォース様に、少しでもお休みいただこうと思ったのではないかと」
フォースに様付け、とつぶやいたアリシアをいちべつして、フォースはイージスに視線を戻す。
「そんな殊勝なことを考えるか? アルトスが?」
その言葉に今度はバックスが、アルトスかよ、と、ため息混じりに言葉にした。気に障ったのか、フォースが眉を寄せてドアの側にいる二人を見やると、リディアがフォースの袖を引っ張る。
「考えてくれていたわ」
「え?」
「アルトスって人。フォースのこと、ちゃんと考えてくれていたわ」
リディアの言葉が意外だったのか、フォースは呆気にとられたようにリディアを見つめている。
「そういえば、リディアは会ったことがあるんだっけ」
グレイが口をはさむと、リディアはコクンとうなずいた。
「どうでもいい存在だと思っていたら、反目の岩での時、助けてはくれなかったと思うの。必死だったし」
「俺が死んだらアルトスも、いや……」
生きていたとしても処分は充分にありえると分かっているのだろう、フォースはなにやら考え込んでから口を開く。
「でも疲れるとか身体を壊すなんてことよりも、リディアの無事の方がずっと大事なんだけど」
「フォース……」
心配げに頬を膨らませて見せたリディアに、フォースは困惑したように顔を歪めた。
「え? あ、そうじゃなくて……」
まずは自分を大事にして欲しいというリディアの気持ちも分かるが、シェイド神の運命が左右されるだけの大事なのだ、この際リディアの気持ちなどと言っていられないだろうとグレイは思う。
「リディア、フォースは本気で健康を損ねようだなんて思ってないだろ?」
そう言ったグレイに小さくうなずくと、リディアは苦笑を浮かべたフォースと視線を合わせた。それを見て笑みを浮かべながら、グレイは言葉をつなぐ。
「それに、フォースはそんなことよりアルトスに対する嫉妬の方が大きいだろうし」
「は? バカ言え、アルトスに嫉妬なんて、……」
フォースは思いも寄らなかったのか、そう言いながらグレイを見たが、最後まで言い切る前に口を閉ざす。
「嫉妬なんて?」
グレイが聞き返すと、フォースは眉を寄せたまま視線を逸らした。
「……、してるかもしれない」
その返事に、グレイは思わず吹き出しそうになる。リディアが驚いて目を丸くしているのを見ながら、グレイは笑いをこらえていた。
グレイに対すると、フォースは変に正直なところがある。それは笑みを浮かべた表情とは裏腹に、グレイにとってはひどく気がかりだった。
神官である自分に嘘がつけないのは、ただバカ正直だからではなく、罪の意識がいつも胸に残っているからなのだと思う。そしてこの呪縛から逃れるためにも、フォースはやはりライザナルに行くことになるのだろう。
救いたい人を救えないのは、グレイにとっては重たい事実だった。だがフォースにはリディアがいる。神殿に救えなくても別の方法ならあるのだ。
フォースと離れ、それでも想いだけは一緒にいることができたのだろう、リディアは成長したし強くなったと思う。小さな時から見ていて妹のようなリディアが今、グレイには女神そのものに見えた。
ドアの側にいたバックスが、壁をノックして音を立てる。
「フォース、ルーフィス様だ」
その名前でフォースの表情が引き締まる。バックスとアリシアの間から、来い、とルーフィスが手招きをしたのを見て、フォースが立ち上がる。
「行ってくる」
フォースはリディアに笑みを残し、部屋を出て行った。
***
「無視できるのは、今回だけだ」
机をはさんで向かい側のルーフィスは、なにか書き込んでいた書類から顔を上げて言った。フォースは、机の側に運んだ椅子に腰掛けたまま、分かっています、とうなずいて見せる。
「手筈を整えてきました。もう二度と起きないはずです」
フォースが向けた視線の先で、ルーフィスは大きくため息をついた。信じてもらえているだろうかと不安になる。
「なんにしても、お前が無事でよかった」
リディアではなく俺のことか、と突っ込みたくなる気持ちを抑えて、フォースは頭を下げた。
「ご心配をおかけしました」
「また行くのだろう。リディアさんはどうするつもりだ?」
フォースはその言葉に、連れて行きますと即答したかった。だが、リディアとはまだその話しを少しもしていない。
「彼女が行ってくれるなら、一緒に行きたいと思っています」
「まぁ、そうできれば一番なんだろうがな」
当然反対されるだろうと思っていたフォースは、思わず訝しげな目でルーフィスを見た。ルーフィスはまっすぐ見返してくる。
「まだ聞いていなかったか。シャイア神の特性として、巫女と、その視界範囲内にいる戦士は、他の神から存在を隠して行動できるんだそうだ」
「悟られずに動けるってことですか!」
フォースが驚きに目を見開くと、ルーフィスはフォースにうなずいてみせた。
「そういうことだ。ちょうどいい。城都へ行くなら、シェダ様にリディアさんを連れて行くことの了解を取ってこい」
「え、……」
シェダの名を聞いて、フォースはギクッとした。言われて初めて、許しを得なくてはならないのがシェダだと思い当たったのだ。
「なんだ、不満か? 神官長に黙って、巫女を国外に連れ出すわけにはいかないだろう。それとも駆け落ちでもするつもりだったのか?」
「は? い、いえ。ただ、なにを言われるだろうと思ったら不安で」
顔をしかめたフォースに、ルーフィスは苦笑した。
「一緒にライザナルへ行くなど、結婚を申し込むのと変わらないだろうからな。確かに想像がつかん」
なにか助言してくれるのかと思ったらコレだ。フォースは脱力してため息をついた。
「エレンは親のことすら話さなかったのだから、私に想像しろと言っても無理な話だ」
そう言うと、ルーフィスはノドの奥で笑い声をたてる。フォースの脳裏に、ふと母のいた部屋でクロフォードに言われた言葉がよぎった。
「母の墓は、マクラーン城の神殿地下に移設されたようです」
「ようです? 見ていないのか」
見たいという気持ちは確かにあった。だが、墓を暴かれた衝撃も、悔しさもある。しかも、墓に行くためにはシェイド神の神殿を通らねばならない。それを押して行ったとしても、気持ちを逆撫でされるだけだろう。
だが、それよりもルーフィスの気持ちが問題だと思う。遠く離れてしまい、寂しくはないだろうか。辛くはないだろうか。
口をつぐんだフォースに、ルーフィスは苦笑を向けてきた。
「問題は墓の場所じゃない。私はいつでもお前にエレンを感じている。お前はそれを大事にすればいい」
その言葉に安心して、フォースはしっかりとうなずいた。
神の守護者としての血。フォースはそれを間違いなく引き継いでいる。そして、昔はこの血のせいで、色々とひどい目に遭っていたと思いこんでいた。
だが今は、この血にとばっちりを受けているとは思わない。この血があるからこそ、リディアを取り返す努力もできる。必要なのだ。相殺しても恩恵の方が多くさえ感じる。
そしてそれをルーフィスも感じてくれているなら、自分はなおさらマクヴァルの思想に負けるわけにはいかないのだとフォースは思う。
「明日にでも、城都に向けて発とうと思います」
ルーフィスは、分かった、と大きくうなずく。
「気をつけて行ってこい」
フォースは立ち上がり、ルーフィスに敬礼を向けた。
***
先を行くアリシアが、ドアをノックした。そのすぐ後ろにはリディアが手を胸の前に合わせ、不安そうに立っている。
ドアを開けたアリシアが様子をうかがうように顔を突っ込むと、アリシアさん、と弱々しいが名前を呼ぶブラッドの声が聞こえた。
「起きてた? お客さんよ。少しでも眠って欲しいから、あまり長い時間は駄目だけど」
「……、リディアさん?」
自分の名前が先に出てきたことに驚いたのか、リディアがキョトンとした目で振り返った。フォースは黙ったまま微笑みを返す。
「そう、リディアちゃんよ」
アリシアの笑いを含んだ声が、ドアの隙間から漏れてくる。フォースがドアを指差すと、リディアはうなずいてそのドアを押し開いた。フォースが目に入ったのか、うつぶせに寝かされ、首だけでこちらを向いたブラッドの目が丸くなる。
「隊長? す、すみません」
いきなり謝られ、フォースは呆気にとられた。
「すみません、って。なんで?」
「え? あ、いえ、あの」
ブラッドは言いずらそうに口ごもると、覚悟を決めたように息をつく。
「隊長がいない間、ずっとリディアさんの笑顔がよりどころだったなんて……」
その言葉で、リディアは驚いた目をブラッドに向けた。ブラッドは照れ笑いを浮かべる。
「知ったらやっぱり怒りますよね」
それを聞いて、アリシアが何度もうなずいた。
「そうね。嫉妬深いものね、フォース」
「どうしてだよ、怒らないよ。俺だってよりどころだったのは変わらないし、そりゃ側にいられたのは羨ましいと思うけど」
幾分むきになったフォースに背を向け、アリシアが可笑しそうに笑い出す。
「嫉妬と怒りは、別物ってわけね」
「てめっ、……」
文句を言おうとしたが言葉が出ず、フォースは口をつぐんだ。その左腕にリディアが腕をからめ、穏やかな笑顔で見上げてくる。
「妬いてくれるの、嬉しい」
背伸びをして耳元でささやかれた言葉に、フォースはくすぐったい思いで頬を緩めた。アリシアはブラッドに肩をすくめて見せる。
「でも、本当にリディアちゃんが無事でよかったわよね」
そう言うと、アリシアはフォースに背を向け小声でつぶやくように言葉を継ぐ。
「フォースがグレたら大変だもの」
ブラッドは息でフッと笑うと、背中の傷に響かないよう、まばたきをしながらそっとうなずく。
「斬られてから見た隊長が幻覚だったら、どうしようかと思いましたよ」
ブラッドはホッと息をついて微笑んだ。逆にフォースは表情を硬くする。
「俺、ブラッドが怪我してることに気付けなくて……」
「冗談じゃないです。こっちは必死で無事なフリをしてたのに、簡単に見破られてたまりますか」
ブラッドが、うろたえたように早口になった。苦笑したブラッドに微かな笑みを向けて、フォースは頭を下げた。
「ありがとう。リディアが無事だったのは、ブラッドのおかげだ」
「仕事ですからね。それを一番に考えなくては」
その言葉を聞き、フォースの左腕を掴んだリディアの手に力がこもる。
フォースには、今リディアが思っていることが手に取るように分かった。守るために命を犠牲にしてはいけないと、何度もリディアの口から聞いてきたのだ。
フォースは空いている右手で、左腕をつかむリディアの手を包み込んだ。ここで言って欲しくないとフォースが思っていることを感じ取ったのか、リディアはフォースに寂しげな笑みを向けると、控え目に視線を落とす。フォースはそれを隠すように、ほんの少しだけ声のトーンを上げた。
「そうだ、明日から城都に行ってくるよ。陛下宛の親書を届けてくる」
「そ、それって……」
ブラッドは大きく見開いた目を細め、フォースに満面の笑みを向けた。
「気を付けて行ってきてください」
「帰ったら、また来るよ」
ブラッドがうなずくのを見て、フォースはドアに向かった。リディアがブラッドに向けて手を振るのを少し待ってから、その部屋を後にする。
リディアはフォースの腕をとったまま、うつむき加減で歩いている。
リディアの言いたいことは分かる。だからこそ、自分は犠牲にならないように気を付けているつもりだ。だが実際、自分が犠牲にならないとリディアを助けられないという場面になったら、まず間違いなく犠牲になることを選ぶだろうと思う。
「男はそういう生きものかもしれない。器用にはできてない」
つぶやくように言ったフォースに、リディアは小さくため息をついた。
「それでも、自分を大切にして欲しいの。たくさんの人が守るのは、一人も犠牲にしないためなんでしょう?」
それは確かにそうなのだ。だが。
「俺は、一番犠牲になって欲しくない人を守ってるんだ」
リディアはハッとしたように目を見開いた。自分が犠牲になってもと一番強く思っているのは、リディアなのかもしれないとフォースは思う。
「だから少しでも早く、一人も犠牲のいらない状況を目指そう」
その言葉に、リディアはまぶしそうに目を細めてフォースを見上げてくる。わずかだが、しっかりうなずいたリディアの唇に、フォースはキスを落とした。