レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     4.愛情

 城に戻ったフォースが数日滞在するために通された部屋は、神殿にある女神の部屋の一つ手前、護衛が寝泊まりするための部屋だった。
 初めてリディアの護衛を引き受けた時も、リディアが降臨を受けた時も、リディアはその女神の部屋を使っていたし、護衛だった自分は当然ここに寝泊まりしていた。
 たぶんディエントが気をって、慣れた場所を提供してくれたのだろうとフォースは思った。部屋へ入るとフォースの身体に、何も知らなかった自分が懐かしく思えるような気持ちが広がってくる。
 いつもリディアは奥にいたのだが、今日はここにいない。神殿で本職ソリストのアテミアに会った後、ほんの少し顔を合わせただけで、実家へ帰る予定だと言っていた。
 今頃はシェダとミレーヌの元、親子水入らずで過ごしているはずなのだ。同じ城都にいるのだが、一緒にいられないのはやはり寂しい。
 明日になればまた会える。だが、こちらからリディアの家へ出向いて、シェダからリディアをライザナルへ連れて行く許しを得なくてはならない。
 いくらシャイア神が行くと言っているとしても、危険には変わりないのだ、シェダには了承しがたいだろうと思う。しかもこんな状態で、結婚の了承まで得られるわけはない。はなから反対されるのは間違いないだろう。
 フォースは身に着けていたを外しながら、なんと言って話を切り出せばいいのだろうと悩んでいた。いろんなセリフが浮かんでは消える。結局は物別れに終わりそうだと思うと、そのどれもがふさわしくなく、言いづらく感じた。
 フォースは、ディエントの計らいだが、先にシェダに知らせだけが届けられたのも気に掛かっていた。ヴァレスでグレイが言っていたように、事実を知ったシェダとリディアがケンカなどしていなければいいのだが。ほんの少しの時間でも、シェダに会っておくべきだったとの後悔がある。
 だが今さらだ。久しぶりに会うのだから、悪い方だけに行くわけでもないだろうとも思う。
 鎧を外し終わり、ベッドに腰掛けた。身体は軽くなったが、気持ちは重たいままだ。
 ふと夫人の手を握りしめているクエイドの顔が、脳裏によみがえってきた。何もかもを失ってしまったとは言ったが、クエイドには夫人が残っている。
 だが、それだけでは幸せとは言えないのだと、クエイドはその姿で語っていた。幸せに過ごすためには、まわりの環境も必要なのだろう。リディアにとって父親の反対は、間違いなく不幸の一つだ。
「私はどうすればいいのだ。……か」
 クエイドの言葉を口にして、クエイドのことなど自分に分かるわけはないと思いながら、フォースは自分も結局は、いつもどうすればいいのか迷っていたような気がしていた。思いを吹っ切ろうと、ベッドに身体を投げ出し、詩の存在を思い出す。
 母はあの詩を間違いなく指針にしていたようだ。自分にとっても神がつけた指針のように思う。それがあってよかったとは思えない。だが、悪かったとも言えない。だいたい、何が正しくて何が正しくないのかすら分からないのだから、それすら判断のしようもないのだ。
 この詩が本当に起こることとして歌われていたのなら、クエイドの息子は単純に神が造った道を歩かされていただけということになる。でも、母がメナウルに入る道を選んだから、クエイドやその息子が不幸になったとは思いたくない。
 クエイドもその息子も、ゼインも、本当は例外なく誰もが意志を持っている。クエイドでも息子でも、自分と母がドナにいることをどちらかの国に伝えていれば、それだけで違う未来があったはずだ。
 きっと、どこかでいつもその方向を選んできたから、今こうしてここに存在しているのだ。
 自分が意志を持って決めるということは、神の守護者だからではなく、人間としてどうするべきかなのだろう。神の声が聞ける特別な種族だから意志を持っているわけじゃないのだから。
 あの詩についても、自分は意志を持って行動しなくてはならない。鏡から解放された種族の老父が言ったように。そしてその語り継がれてきた詩が示すように。すべての答えはそこにあるのだ。この道に立ってどこに向かうか、しっかりこの目で見極めなければいけない。
 ドアにノックの音がした。フォースには、この時間に訪ねてきそうな人に心当たりがなかった。ため息をついて立ち上がると、ドアに向かう。その途中で、もう一度ノックの音がした。
「今開けます」
 ドアを開けるとそこには、お茶をのせたトレイを持って立っているリディアがいた。思わずポカンと、そのはにかんだような表情をめる。
「ティオは中庭なの」
 消え入りそうな声で話すリディアの頬に、フォースは手を伸ばした。
「どうしてここに、……、もしかしてシェダ様に何か言われた?」
 そうねたフォースに、リディアは笑みになりきらない笑みを浮かべてみせた。
「少しでも……、納得してもらえるように話せればよかったのだけど」
 心配していた通りケンカをしてしまったのだろうと思い、フォースは苦笑した。だがそんなことよりも、リディアがシェダに言いくるめられずに自分の所へ来てくれたことが嬉しかった。リディアはうろたえたように視線を泳がせる。
「あ、こんな時間に邪魔よね。ごめんなさい」
 フォースは視線を落としたリディアの手から、トレイを受け取った。
「邪魔なのはこのお茶だけだよ。これを無視して抱きしめたら、落として壊しそうだ」
 フォースはそのトレイを机に運んで置いた。その背中にリディアが抱きついてくる。フォースはリディアの手をつかみ、その身体を胸に引き寄せ抱きしめた。
「ごめんな。もしかしたらって思ったんだから、一緒に行くべきだった」
 リディアは腕の中で、フォースの胸に顔をすりつけるように首を横に振った。細い肩が震えている。
「もう家に行かなくていいわ……」
 ピッタリと寄り添っているためか、フォースにはリディアの声が、自分の身体の中から響くように聞こえた。
「そんなわけにはいかないよ」
 フォースはできるだけ柔らかい声で、すように口にする。リディアの腕に力がこもった。
「だってお父様、フォースのことをひどく言うの」
「そりゃそうだろ。リディアが悪いわけじゃないんだから、俺を言うしかない」
 フォースは思わず苦笑した。リディアが抗議の表情を向けてくる。
「フォースだって悪くないわ」
 その言葉にまっすぐな笑みを浮かべると、フォースはリディアの髪をでた。
「ああ。だから大丈夫だよ。心配いらない」
 そんなことを口で言われても、不安が消えるはずもなく、リディアは悲しげに瞳を伏せた。そんな表情を見ていると、シェダがどれだけ怒っていようが、どうでもよくなってくる。ただしっかりと、リディアを守らなくてはいけないと思う。
 リディアが一緒に行くと言った時にディエントが笑ったのは、たぶんこうなると予測していたからなのだろう。だが改めて考えてみると、自分がいきなり話を持ち出すよりは、先に知っていてくれた方が都合がよさそうにも思えた。
「行ったらきっと罵倒されるわ」
 リディアが不安そうに眉を寄せて見上げてくる。
「かまわないよ」
「なにを言っても許してくれないかもしれない」
「シェダ様はそう簡単に折れる人じゃないんだから、しかたがないだろ」
 フォースが苦笑すると、リディアは胸に顔を埋めてきた。その腕にも力がこもる。
「フォース……。お願い、嫌いにならないで」
「え?」
 何を言い出すのかと、フォースは思わずリディアの顔をのぞき込んだ。リディアはその視線を避けるようにうつむく。
「だって、父のこと、負担でしょう?」
 リディアが小声で言った言葉に、フォースはますますわけが分からなくなった。
「負担ってよりも、しかたがないと思ってるけど。それがなんでリディアを嫌いになるなんてことに? 関係ないだろ」
 リディアは不安げにおずおずと見上げてくる。
「私、よく父に似ているって言われるの。父のことが嫌だって思ったら、もしかしたら私のことも……」
 その言葉に一瞬あっけにとられてから思いきり吹き出し、フォースは笑いながらリディアを抱き寄せた。
「全然平気、まったく大丈夫だよ」
 抱きすくめられたリディアは、フォースの胸に腕を突っ張り、眉を寄せている。
「笑わないで。真剣なのに」
 見上げてきた泣きそうな顔にキスをして、フォースは相変わらず笑いながら、もう一度リディアの身体を自分にり付けるよう、抱く腕に力を込めた。
「ゴメン、でも止まらない。可愛いよ、愛してる」
 普段聞かない言葉に驚いたのか、わずかに抵抗していたリディアは腕の中で固まったように動かなくなる。フォースは少しだけ身体を離し、リディアの上気した顔をのぞき込んだ。
「俺、別にシェダ様は嫌いじゃないよ。強敵だとは思ってるけど」
「強敵って……」
 心配げに眉を寄せたままのリディアに、フォースは笑みを向けた。リディアの逃げがちな視線と視線が交錯する。
「敵味方は立場だけの問題だよ。争うのはリディアの所有権なんだし」
「所有、権……?」
 リディアはキョトンとした顔をしてフォースを見上げてきた。その視線で自分が口にしたのは求婚の言葉と変わらないことに気付いて苦笑し、フォースはリディアの視線をまっすぐに見返す。
「反対されても、ついてきてくれるか?」
 不安げに聞いたフォースに、リディアは笑みを返してうなずく。
「はい。ついていきます。ついていくわ。フォース……」
 その頬を涙が伝い、フォースはその涙ごとリディアを抱きしめた。

   ***

「シャイア神はくまなく流伝す水であり、すべてを伝える使いの神である。その特性として他の神から存在を隠して行動できる。また、その視界内にいる戦士も同様である」
 口をブツブツと動かし、シェダは椅子にゆったりと座ったままその文書を読んだ。読み終わると眉を寄せ、対面で座っているフォースに向かい、短いため息をつく。
「それで一緒にだなどと」
 小さくつぶやかれた言葉に気付かないふりで、フォースは口を開いた。
「これから陛下の親書を持って、もう一度ライザナルへ行かねばなりません」
「まぁ、それで戦も終息に近づくというわけなのだからな。だが」
 シェダの視線が、トレイにお茶を乗せて運んできたリディアに向き、その後フォースをえる。
「陛下から、リディアを連れて行くと聞いているが、それは本当か?」
「はい。どうかご承諾下さい」
 フォースのその言葉でシェダの眉が寄り、目が細くなった。
「それがどういうことかは分かっているのだろうね」
 もう一度、はい、と、うなずいたフォースに、シェダはフンと鼻を鳴らす。
「だったら、なぜ連れて行くなどと言えるんだ? 危険は承知しているのだろう?」
「お父様」
 わざと気を引くためかそう呼びかけると、リディアは緊張した顔でお茶をテーブルに移しだした。
「私も行かせてください」
 手を動かしながらのリディアの言葉に、フォースはホッとすると同時に、昨晩リディアから聞いたように、ケンカになってしまうのではと心配が頭をもたげてくる。お茶を置き終わってまっすぐシェダを見つめたリディアに、シェダは形だけの笑みを見せた。
「お前はまだ巫女なのだよ? 危険だ、そんなことはさせられない」
「でも、シャイア様も行くとおっしゃっているの。巫女としてシャイア様のお言葉を受け入れないわけにはいかないのでしょう?」
 そういったリディアの鼻先を指差すように、シェダは人差し指を突き出す。
「何かあった時、シャイア様は降臨を解けば確実に無事でいられる。だが、お前は違うんだぞ? その場に残されてしまうんだ」
 シェダの言葉で、いくらか勢いの削がれたリディアは、その人差し指に眉を寄せた。
「でも私は」
「巫女ならばメナウルのためにもシャイア様のためにも危険なところへなど行くべきではない。君もそう思うだろう? そう思うはずだ」
 フォースに向き直り、少しずつ大きくなるシェダの声に、フォースは一呼吸置いて口を開いた。
「私はリディアさんに一緒に来て欲しいと思っています」
「何度言えば分かるんだ。何かあったら君はどうやって責任を取るつもりだ?」
 苦渋に満ちた声がフォースの耳に響く。何か起こってしまったら、責任の取りようなどない。むしろそこはシェダの気持ちに近いのだろうとフォースは思う。
「今回のことだけではなく、私にはリディアさんが必要なんです。どうかリディアさんを私にください。力の限り守ります」
 頭を下げたフォースの目の前で、シェダは手を握りしめた。
「君の力などしれている! 君はシェイド神の力を敵に回しているのだぞ?」
 リディアの手が、声を荒げたシェダを止めようか止めまいか、迷っているのが見て取れる。
「はい。分かっています」
 フォースはそう答えながら、ケンカになったら大変なのはリディアだとグレイが言っていたことを思い出していた。自分が怒っていないことをリディアに示すためにも、さらに頭を低くする。そこにシェダの大声が降ってきた。
「ならばリディアは置いていけ。この状況で君に娘はやれん。すべて終わらせてからえにくればいい」
 頭を上げかけると、リディアの手がシェダの袖をつかんでいるのが見える。
「私が側にいることでフォースの危険が減るのが明らかなのに、ここでただ待てと言うんですか? もう失うのを恐れながら待つのはイヤなんです」
 その言葉に、シェダは困惑した顔でリディアの表情をのぞき込んだ。
「だから一緒になるなとは言っておらん。お前はここにいれば安全に過ごせるんだ」
「私にも幸せをつかむ努力をさせてください。お父様は神官長でしょう? それなのにシャイア神のおっしゃることを無視なさろうだなんて」
 シェダの表情が、サッと苦渋に満ちたモノになる。
「私はお前の親でもあるんだよ。少しでも幸せに生きて欲しいと思うから言うのだ」
「安全な場所に押し込められることが幸せとは思えません。幸せになれるのを待てだなんて。私は今幸せになりたいんです」
 リディアは、すがるような瞳でシェダに視線を注いでいる。シェダはフォースに一瞬突き刺すような目を向けてから、リディアに向き直った。
「それはその男が騎士だからか? 神の守護者だからか? それともライザナルの人間だからか? ならばそんな男に娘はやらん!!」
 その言葉尻はひどく強かった。それが売り言葉に買い言葉だと分かっていても、事実だけに辛い。リディアは、つかんでいたシェダの手を離した。
「……娘でなければいいですか?」
「なに?!」
 シェダの、フォースと同様に驚いた声が高く響いた。リディアはシェダに向かって頭を下げる。
「どうか私を勘当してください」
「リディア、お前……」
 リディアの腕を取ろうとしたシェダの手に、シャイア神の火花が散った。愕然としたようにシェダは目を見開いている。
「私はフォースとライザナルに行きます。巫女としてフォースの側にいることが今の私の幸せなんです」
「お前はその男に利用されているのだぞ!」
 シェダにいきなり指を指され、フォースはさらに何も言えなくなった。リディアは顔色を変えて声を高くする。
「ひどい! フォースはそんな人じゃないわ! お父様こそ私にくれた幸せは、戦で戦っている人たちを利用した幸せだったじゃない!」
 言い過ぎだとフォースが言う間もなく、シェダは握りしめた手を机に叩きつけた。バンッと盛大な音がする。
「もういい、勝手にしろっ! このうちから出ていけ!!」
 シェダに勘当を言い渡され、リディアはホッとしたように微笑み、深々とお辞儀をした。
「ありがとうございます。今までお世話になりました」
 顔を上げたリディアに腕を引っ張られ、フォースは立ち上がった。火花が飛ばないからか、その腕を見つめるシェダの目が悲しげに見える。
「あなた、なんて大きな声を」
 ドアの所からリディアの母ミレーヌが、シェダに声を掛けた。顔をしかめたまま通り過ぎようとするリディアを引き留めようと、肩に手を置く。
「リディア、お待ちなさい」
「放っておけ! 私たちには娘なんぞ最初からいなかったと思え!」
「あなた!」
 一度立ち止まったリディアは、シェダの言葉でドアを廊下に出た。
「いいか?! お前もだ! 二度とこの家に来るな!!」
 激高しているシェダに、フォースは深く頭を下げた。その手をリディアにつかまれ、引っ張られる。
「ちょっと待ってちょうだい」
 ミレーヌが外に出ようとするリディアを止めるのを、ドアまで来たシェダが、放っておけ、と引き留めた。フォースはリディアに手を引かれるまま外に出る。
「なにを言われても許さんぞ!」
「怒鳴らなくてもいいじゃありませんか」
 背中から聞こえるシェダとミレーヌの声が、扉の閉まる音によってさえぎられた。
 リディアはうつむき加減でフォースの手を引っ張ったまま家を離れていく。フォースは、泣いているのか時々開いた方の手を顔にやるリディアの後ろ姿を見て、どうめたらいいかだけを考えていた。
 リディアは道を左に曲がり、たくさんの木が植えてある公園へと入っていく。
「もう。どうしてそんなに落ち着いてるの? どうして怒らないのよ」
 相変わらず前を向き、顔が見えないようにか先を歩きながら、リディアが声を掛けてきた。
「ケンカになったら大変なのはリディアだ。もし止められるならと思って我慢してたんだけど」
 その答えに驚いたようにリディアが振り返り、また進んでいた方向へと歩き始める。顔は一瞬しか見えなかったが、やはりリディアの頬には涙が伝っていた。
 リディアは公園の一角にある、特に木の生い茂っている場所へと入っていく。植林したにしても不自然に多い木の間を向こう側に抜けると、そこにはい空間があった。リディアがようやく立ち止まる。
「変な場所でしょう? 子供の頃、木が離れていたら可哀想だと思って、間にを足しちゃったの」
 そう言ってたてた笑い声は、力が抜けてしまっていて元気がない。
「可哀想なことしちゃった」
 フォースは向こうを向いたままのリディアを後ろから抱きしめた。空間を求めて伸びた枝が、視界のすぐ側に入ってくる。
「このゴタゴタが全部終わったら、シェダ様にもう一度ご挨拶に行こう」
 その言葉で、リディアの身体がビクッと揺れた。
「イヤ。もうフォースのあんなひどい悪口聞きたくない」
「そりゃあ事実なだけに、グサグサくるけど」
 苦笑したフォースを振り向くと、リディアは眉を寄せて身体を向き合わせる。
「違うわ。私が行きたいんだもの、それを利用だなんていわない」
「そう言ってくれると嬉しいよ。でも、シェダ様はリディアが大切だから言っているのは分かるんだ」
「大切だったら、こんな別れ方はしないわ」
 悲しげに歪めた顔に残る涙の跡を、フォースはそっと指でった。
「大切だよ。リディアに幸せになって欲しいって思いは、シェダ様も俺も同じだから分かる」
 少し口をらせ、不満げに見上げてきたリディアに、フォースは苦笑してみせる。
「そりゃ立場は違うから、まるきり同じとは言えないけど」
 リディアは何か考え込んでいるのか、うつむいて黙り込んでしまい、返事はない。
「リディアがシェダ様を大切に思うのは、今も変わらないだろ?」
 フォースはリディアの声を引き出そうと疑問を向けた。リディアは眉を寄せてフォースを見上げてくる。
「そんなこと。フォースの方がずっと大切だもの。だから、もういいの。いいのよ」
 言い切ろうにも、どこか引っかかるのだろう、リディアの声が小さくなった。
「本当に? 今の、シェダ様も大切だって聞こえたよ? ミレーヌさんだって大変だろうし」
 フォースはリディアの顔をのぞき込んだが、目を合わせられないのかリディアの視線がれる。
「だけど、……、またフォースに嫌な思いをさせてしまうわ」
「そんなの、かまわないよ」
「だって」
 反論しようと顔を上げたリディアの唇に、フォースは指を当てて言葉をさえぎった。
「シェダ様がなんと言おうと、どうなさろうと、リディアは俺と行く道を選んでくれた。今だって俺の側にいてくれる。だからシェダ様にどんなことを何度言われようと、俺は耐えられる」
 リディアの唇が、声もなくフォースの名を形作る。見つめ合う瞳で、フォースはリディアに微笑みを向けた。
「それに、娘に触れることすらシャイア神に拒否されたんじゃ、シェダ様だってショックだったと思うよ。俺が平気なんだからなおさら」
「それは、そうかも……」
 リディアは視線を落とし、寂しげに眉を寄せる。
「一つ状況を改善するごとに、許してもらいにうかがおう。リディアにはシェダ様のことで悩んで欲しくない。他のこともそうだ。俺以外のことを考えて欲しくない」
 その言葉に、リディアはキョトンとした目でフォースを見つめた。フォースはその表情に苦笑する。
「無理だって分かってるよ。だけどほんの少しでも余計なことは解決したい。いつでも幸せだって思っていて欲しいんだ。思い出したら最悪なことが、リディアにあるなんて許せない」
「フォース……」
 リディアはこぼれてきた涙を隠すように、胸に顔を埋めてきた。フォースは腕に力を込めながら、もう泣き虫じゃない、と言ったリディアの言葉を思い出す。
「リディア? 前言撤回しなきゃダメかな」
 その意味が通じたのだろう、リディアは胸に顔を付けたまま首を横に振った。
「ダメ。嬉しい時くらい泣かせて」
 確かに泣き虫ではなくなっているリディアが、嬉しいと言って泣いているのが、ひどくおしく感じる。フォースは震えているリディアの髪を、そっと撫でた。
「ごめんな。俺が意地でもシャイア神からリディアを取り返したいなんて思うから、こんなケンカさせてしまうんだよな」
「そんなことない。本当にフォースのことだけ考えていられたら、……、嬉しいもの」
 泣いていたことを恥じるように、リディアは控え目に顔を上げた。フォースはその涙の跡にキスを落とし、指で拭う。指が近づいて閉じられたまぶたに誘われるように、フォースはリディアの唇に唇を寄せた。
 突然耳元にガサッと枝葉の擦れる音が響き、驚いて振り向いた目の前に顔があった。
「うわ?!」
 思わずあげた声にリディアが視線を向ける。
「お母様?!」
「やっぱりここだったのね」
 息を飲んだそのままの顔で見つめているリディアに、ミレーヌは、入るわよ、と声を掛け、枝をくぐってこちら側にきた。リディアはばつの悪さからか、フォースの後ろに下がる。
「ご迷惑をおかけします」
 フォースは気を取り直し、ミレーヌに頭を下げた。
「いいえ。こちらこそ、ごめんなさいね」
 ミレーヌの崩れない微笑みに、フォースは安堵した。ミレーヌは手を口に当ててフフッとおかしそうに笑う。
「ここでの話しも全部聞いちゃったわ。ありがとう」
「え? い、いえ、そんな……」
 向けられた感謝の言葉にうろたえながら、バレてはまずいことをしていなかったかと、フォースは思わず記憶を探った。リディアはフォースの腕を取り、怖々顔を上げる。
「お母様、どうしてここが」
「あら、怒られて飛び出したら、リディアは必ずここに来ていたじゃない」
 ミレーヌの言葉に、あ、とリディアは口を押さえる。フォースは見上げてきたリディアと視線を合わせて苦笑した。ミレーヌの視線がとても優しい。
「シェダも頑固よね。娘がどこで何をしていようと、心配は変わらないのに。私はね、むしろ一緒にいてくれた方が安心なの」
「お母様……」
 フォースの腕をつかんでいたリディアの手から、力が抜けていく。
「気をつけていってらっしゃい」
 ミレーヌがリディアに手を差し出した。駆け寄ったリディアを抱きしめ、小さな子供にするように頭を撫でる。何度も撫でながら、ミレーヌはフォースに視線を向けた。
「元気で帰ってきて、またシェダの文句を聞いてやってね」
 そう、リディアを幸せにするためにも、必ず無事で戻らなくてはならない。
「はい。必ず」
 決意を胸に、フォースはミレーヌに向かって頭を下げた。
「ありがとう。この娘をお願いね」
 はい、としっかり返事をし、フォースはまっすぐミレーヌに視線を返す。その視線の先で、ミレーヌが浮かべた少し寂しげな笑みが、母エレンのかしい笑みと重なった。