レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜

第3章 森林の光影

     1.旅立ち

 石室に入ると、マクヴァルは床に描かれた線の前まで、することなく進んだ。まわりを確認するように視線を巡らすと、円形の図柄に向かって両手を差し伸べる。体制が整うと、ごく自然に風の呪文が口をついて出た。
 床の白い線から、黒い砂粒が舞い上がるようにが舞い上がる。そして、いつものように円の中央から妖精の一部が見え始め、大きくれ上がっていく。
 時間を見つけては神殿地下の石室にこもり、マクヴァルはこの作業を幾度となく繰り返していた。回数はすでに覚えていない。引きずり出す妖精も、それなりの皮膚を持ち、最低限の知識だけは保っていられるようになった。その上、人間よりもがたいが大きく、襲わせるという意味でも使える力のあるモノになっている。
 線から立ち上っていた闇が収まっていき、妖精が完全に姿を現した。いびつだが行動に支障のない両手両足を、伸びをするように大きく広げる。手を下ろしたマクヴァルは、まだ同じ風の言語で妖精に向かってつぶやきを続けていた。
 大きな炎の音に聞こえる息遣いが、部屋に低く響きだす。この不気味な音を聞いて、普段目にする妖精だと思う人間は、たぶん一人もいないだろう。
 意思の疎通ができたのか、マクヴァルは薄い笑みを浮かべた。入り口と反対側の壁に手を伸ばし、口の中でブツブツと呪文を唱えるマクヴァルが見据えた壁が、重たく引きる音を立てて左にずれていく。妖精は自らその向こうにある暗い通路に姿を消した。
「でかいな」
 無意識になのかそうつぶやき、マクヴァルは再び左にずれた壁に手を伸ばすと、呪文を唱えだした。壁が元の通りに収まっていく。
 その途中、円の白い線から闇が浮いたような気がして、マクヴァルは壁を戻す手を止め、円に手を差し出した。
 何度かこういうことがあった。暴走、という言葉が頭をよぎったが、首を横に振る。がってしまったのなら、この状態が続くはずだ。だが妖精を召喚した後、その名残のように弱い力を感じるだけで、何事もなかったかのように収まっていく。
 まだ人が一人通れるほど細く開いている壁に視線を投げ、大きさのある妖精を呼べば簡単に通り抜けられないだろうと考えると、マクヴァルは再び床の円と向き合い、風の呪文を口にした。
 すぐに円の中心から光があふれ出した。マクヴァルは驚いて声を止めたが、光は強さを増していく。
 まぶしさに細めたマクヴァルの視界の中、その光は床を離れて浮かび上がった。光が弱くなるに連れ、その光を放っているのが人の形をしていると分かってくる。
 きゃしゃな体付き、そしてその身体に見合った細い腕を胸の前に合わせている祈るような格好のそれは、光を失うと同時に足先を床に降ろした。柔らかそうな半透明の布が何枚も舞い降りて細い足をまで覆い隠し、浮かんでいた長い金色の髪が身体に添うように落ち着いていく。
 引きずり出したのとは違う、妖精そのものの姿に、マクヴァルは眉を寄せた。妖精はゆっくりと閉じていた目を開き、赤みの強い茶系の瞳をマクヴァルに向ける。
「あなた、誰?」
 それはこちらが聞きたい、とマクヴァルは思った。絵にあったような妖精を見たのは初めてだ。実際には何歳だか想像もつかないがメナウルの巫女と変わりない若々しい顔立ちをし、背にはけたカゲロウのような羽まで付いている。
「人間って、どうしてこう簡単で面倒なのかしら」
 妖精は高い声でそう言うと、冷たい笑みを浮かべてマクヴァルの方へと近づいてくる。
「私はソリタリア・リーシャ。あなた方の言うヴェーナの者よ」
 ヴェーナという響きが、一度死ぬ前にり去った教義をマクヴァルに思い出させた。
 ヴェーナはナディエールというメナウル南東に浮かぶ島国、エスフィルという妖精が住む国、トルヴァールという命ある者すべてが死後に行くとされる天の国、その三国を指す地名だ。どの国も滅多なことで人間が立ち入ることはできない。
 髪からのぞいているった耳の先端や、身体の細い線などの容姿も、見るからに妖精だ。長ったらしい名前が耳障りに思う。
 ソリタリア・リーシャと名乗ったその妖精は、眉を寄せたままのマクヴァルの前に立って嘲笑を浮かべた。
「分かったわよ、リーシャでいいわ。あなたはマクヴァルって言うのね」
「精神を読んでいるのか」
 マクヴァルは、口の端だけにわずかな笑みを浮かべた。こちらからはリーシャが何を考えているのか読めないだけに厄介だと思う。それすら読んでいるのだろう、リーシャは眉をピクッと動かした。
「引きずり出す呪術を利用して、ここに来たんだな」
 口の中でつぶやくように言ったマクヴァルの言葉に、リーシャは隠すところのない笑顔を見せる。
「察しがいいのね。もう一つ、分かってくれないかしら」
 分かって欲しいこと。それは間違いなくこの妖精の目的なのだろう。
「詩は知っているのか?」
「知ってるわ。あなたが影よね」
 リーシャは笑顔をすことなく、マクヴァルを見つめ続けている。
 妖精を引きずり出すことをやめろと言うのが、目的としては妥当な線だろう。影と分かっていて影に望むなら、シェイド神を自由にして欲しいのか、逆にこのままシェイド神の恩恵が欲しいのか。
 考え込んだマクヴァルに、リーシャは高い音で軽い笑い声をたてた。
「あなたの方が、詩を全部は知らないみたいね」
 腹立たしさに口を開こうとしたマクヴァルを指差すと、リーシャはその指でリュートをつま弾くしぐさを見せ、口を開く。
「火に地の報謝落つ。風に地の命届かず。地の青き剣水に落つ」
 リーシャは歌いながら羽を動かし、音もなく石台へ移動すると腰を降ろした。高い音程での詩が続く。
「水に火の粉飛び、火に風の影落つ。風の意志、剣形成し、青き光放たん。その意志を以て、風の影裂かん」
 その最後の二節は、マクヴァルの目を見開かせた。
「風の意志、剣形成し、青き光放たん。その意志を以て、風の影裂かん」
 マクヴァルはノドから絞り出すような声で、詩の初めて聞いた部分を復唱した。それが何を示しているのか、すぐに頭に浮かんでくる。
 風の意志、剣形成し、青き光放たん。これは鏡に閉じこめたあの老人が言っていた戦士、すなわちレイクスのことなのだろう。そして、その意志を以て、風の影裂かん、というのは、まだ勝つとも負けるとも、運命は決められていないということだ。
 レイクスは塔で動けずにいるのだから、これからいくらでも策を講じることができる。最終的に命を奪うか、そこまではできなくても、最低限戦士としての契約の破棄を狙えばいいのだ。うかつに手を出せない今は、戦士としての特性である武器を取り上げることを考えればいい。そうすればシャイアも手を出してはこられないだろう。
「そう、その男が戦士なの。想像よりもずいぶん若いわ」
 なんとかなるかしらね、とつぶやくと、リーシャは不機嫌に顔をしかめたマクヴァルに、クスッとノドの奥で笑って見せた。そして遠景を見回すように首を巡らせ、その目をレイクスの部屋がある塔の方角で止める。
 自分の思考から、レイクスの顔なのか精神なのかを感じ取り、場所まで読んでしまっているのだろう、厄介な存在だとマクヴァルは思った。
「大変ね。邪魔者の契約神もなんとかしなきゃならないし」
 ほんの少し眉を寄せてマクヴァルに向けたリーシャの表情が、一瞬で笑い顔に変化した。
「あなた、巫女を抱きたいのね」
 リーシャはえられないと言った風に笑い声をたてている。マクヴァルにはひどく耳障りに聞こえた。
「お前は一体」
「さぁ? 何が言いたくって、何が望みなのかしらね?」
 リーシャは笑みの残る顔でそう言うと、羽を羽ばたかせ、マクヴァルの前に降り立った。フワリと柔らかな風が、マクヴァルの横を通りすぎる。
「巫女を探して連れてきてあげましょうか」
「なに?」
「あら、信じられない? ここに巫女を連れてきてあげるって言ったのよ」
 リーシャがゆっくり繰り返したその言葉を、マクヴァルは不審に思った。だいたいこの妖精が何を考えているのか微塵も分からない。こちらの考えは隅から隅まで見通されているのに、自分のこととなるとソリタリア・リーシャという名前と、ヴェーナから来たこと以外は話そうとしないのだ。マクヴァルはお返しとばかりに鼻で笑ってみせた。
「遊び半分だと怪我をするぞ」
「あら、心配してくれるの?」
 リーシャは悪びれる様子もなく、マクヴァルに微笑みを返してくる。
「でも平気よ。私にも目的があるの。何も酔狂で付き合ってあげようってわけじゃないのよ?」
 妖精がアルテーリアに何の目的があるというのか、マクヴァルには想像すらできなかった。リーシャは笑みを崩さずマクヴァルを見つめている。
「でもね、どうしてかは教えてあげない。協力してあげるのだから、そのくらいかまわないわよね?」
「それは」
 かまわんが、と言う前に、リーシャは、決まりね、と人差し指を立て、羽を動かし始めた。軽く床を蹴ると、壁の隙間へと向かって飛んでいく。
 マクヴァルはただ黙ってそれを見ていた。自分の猜疑心など、あの妖精が振り返ればそれだけで分かることだろうと思う。
 はたして、壁の隙間まで進んで振り返ったリーシャは、マクヴァルの顔を見るとニッコリ微笑みかけ、待っていて、と言葉を残して姿を消した。石の部屋が一瞬で、色のない冷たい空間に戻る。
 今なお夢でも見ているような気持ちだった。美しいままの妖精の形が不思議でもあり、巫女を拉致してくるとの言葉にも、現実性を感じることができない。
 だが、それでいいのだとマクヴァルは思う。巫女の拉致など、その言葉を信じれば叶うなどという簡単なことではない。妖精は妖精で好きにすればいいのだ。どちらにしろ、自分は自分にできることを重ねていくしかないのだから。
 マクヴァルは妖精の消えていった壁に嘲笑を向けると、また床の円に向き直った。

   ***

「これでいいのか?」
 扉の側に置いた、ライザナルへ持っていく荷物を見て、グレイが呆れたような声をあげた。わざわざ立ち上がって側まで来ると、グレイは手にしていた厚く重たそうな本を抱え込むようにしてその荷物をのぞき込む。フォースは肩をすくめて見せた。
「なるべく少なくしないと」
「まぁ、いつもほとんど持って歩かないのに、これだけ持つんだから多いのか」
 フォースにとって自分の荷物は無いに等しかった。ほとんどはリディアがまとめた荷物だ。
「リディアの荷物はティオが持って歩くんだろうから、もうちょっと多くてもいいのにな」
「よくない」
 当然のことだが、荷物の分だけ移動が遅れるのは間違いない。フォースが言い捨てると、グレイは苦笑した。
「分からなくはないけど」
「荷物より、むしろリディアを運んでもらおうと思ってるんだ」
 フォースが笑みを向けると、グレイはポンと手を叩き、そういうこと、とうなずく。
「馬は無理か」
「併用はするつもりだ。でも、山沿いを目立たないように進むのが一番危険はない。あまり使えないだろうな」
 メナウルに戻る時に通った馬車のある拠点は、すべて記憶に残っている。そこの馬を利用できないこともない。と言っても堂々とレイクスだと言って借りられないので、黙って拝借して、黙って次の拠点に置いてくることになるのだが。
 そのくらいなら、その道筋を通るとイージスにでも頼んで話しを通し、全部利用の上で一気にマクラーン入りした方がいいだろうか。正面から乗り込むという手もあることはある。グレイは小首をかしげてからうなずいた。
「目立たないように、か。確かにそうした方がイージスさんと行動しなくて済むだろうしね。時間は掛かってしまうだろうけど」
「安全が第一だ。仕方がない」
 イージスは一緒に行動することをまだあきらめていないようだ。だが、目立たないようにするためにも、イージスのようなシェイド神の攻撃から守る手段がない人間を無事に帰すためにも、やはり側にいてはいけないと思う。
 馬を利用して一気に移動すると、マクラーンに戻ると言っていたイージスとアルトスの二人もほとんど同時に行動することになってしまうので、相当な危険がってしまう。
 マクヴァルを斬りに行くなどという行動がバレた時点で、シェイド神の力を使っての実力行使が始まるだろう。巫女と戦士以外は、なるべく同じ行動をしている者がいない方がいい。下手をしたら、イージスやアルトスも溶かされてしまうことになりかねない。
 フォースは、じかに付いて行くか行かないかの話しなのにイージスの反論が無いことでイージスの不在に気付く。
「そういやイージスは?」
「買い物だよ。ティオの服を買うってさ」
 どうりで静かなはずだとフォースは思った。
 確かに、いつものように布切れをまとったようにしか見えない服で、人間の振りをするには無理がある。通りを歩く時のために、服はあった方がいいのだろう。
 グレイはいかにも可笑しそうにノドの奥で笑い声をたてている。
「大きくなったられてしまうだろうね」
「服のせいで、でかくなれなかったら、それも困るけど」
 階段の上でコトッと音がして見上げると、リディアが手すりから上半身だけ出して手を振った。
「大丈夫よ。スルッと抜けられるから」
 話しが聞こえていたらしく、リディアはそう言って笑みを浮かべると、階段を下りはじめる。
「そうなんだ? 相変わらず便利な奴だね」
 グレイはやはり笑いながらそう言った。
 フォースは階段を下りてくるリディアに目を奪われていた。着ている服が巫女のモノではなく、街の人が着るごく普通のスカート姿なのだが、薄く明るい暖色のせいか、とても華やかに目に映る。
 階段の手すりの影からこちら側にくると、いつもは巫女の服で隠れている足が見え、フォースは思わず目を見張った。グレイがしっかり抱えていたはずの厚い本が、後頭部でバシッと大きな音を立てる。
「痛っ」
 その衝撃にフォースは頭を抱えた。リディアが駆け寄ってくる。
「グレイさんっ?! なんてコトを! 大丈夫?」
 フォースは、心配げにのぞき込んでくるリディアに苦笑を返した。
「いや、俺の挙動が大丈夫じゃなかったから」
「そうそう。シェイド神よりも難敵だと思うよ」
「何もそこまで言わなくても」
 とっさにそう返したが、考えようによっては仕方がないかもしれないとも思う。フォースは反論する気までは起こらなかった。
 まさか足が隠れるからと、巫女の服を着ていてもらうわけにはいかない。だが実際神殿を出てしまえば、周囲に気を配っていなくてはならないので、リディアの方ばかりを見てはいられないのだ。その上ティオもいるのだから、人に心配されるほど危険だとは思わない。
 グレイにため息を向けてからリディアを見下ろすと、リディアはわけが分かっているのかいないのか、すぐ側から顔を心配げにのぞき込んでいる。フォースが笑みを浮かべると、リディアは安心したように微笑んだ。
 ノックの音がして、扉が外から開けられた。まず入ってきたのは洋服を着たティオで、その後からイージスが入ってくる。ティオはまっすぐフォースとリディアの所に駆け寄ってきた。
「とうちゃん!」
「はぁ?!」
 ティオの発した言葉が自分に向けられていると分かって、フォースは素っ頓狂な声を出した。リディアもキョトンとしてティオを見ている。
「かあちゃん……?」
 ティオはもう一度、今度はリディアの顔色をうかがうように、おずおずと声を出した。フォースが何も言えずにいると、また笑い出したグレイが口を開く。
「はぁじゃないだろ。ティオ、いいんだよ、それで」
 グレイにいいと言われて嬉しかったのだろう、ティオはケラケラと笑っている。フォースはその様子を見てため息をついた。
「よくない。なんか物凄い抵抗が」
 買い物をしながら、イージスが教えたのだろう。フォースは静かに笑みをたたえているイージスに視線を向けた。
「一緒にいる子供が他人というのは、おかしいです」
「そうだけど。いくつの時の子だよ」
 実際、こういう細かなところに気付いてくれるのだから、ありがたいとは思う。でもやはり違和感が激しい。当惑しているフォースを見て、イージスは苦笑した。
「私はお兄ちゃん、お姉ちゃんと呼びなさいと言ったのですが」
 その言葉を聞いて、フォースは思わずリディアと顔を見合わせた。それから二人でティオに視線を向ける。
「おい」
「ティオ」
 ほとんど同時の声に肩をすくめ、ティオは目をキョロキョロさせた。駆け出す一歩手前で、フォースはティオの襟首をつかんで引き留める。しっかりした洋服を着ているというのは、こういう時にも便利だ。
「こら。逃げるな」
 リディアはフォースに苦笑を向けると、服をつかまれたままでいるティオの前にかがみ込んだ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん。ね?」
「……、はい」
 ティオがリディアの顔を見て素直に言うことを聞いたのは、実はリディアの感情を読んで怖かったのだろうとフォースは思った。ティオはエヘヘと笑いながらフォースを見上げてくる。
「女心なんて、どうやって勉強するの?」
「俺に聞くなよ」
「そうだね」
 ティオの即答を聞いて、フォースは苦笑いと共にため息をついた。ティオはニッコリ微笑むと、グレイの所へ走っていく。もしかしたらグレイに聞きに行ったのかと不安に思いながらリディアに目を向けると、リディアは困ったような顔でフォースを見上げてきた。
「どうした?」
 フォースがたずねると、リディアは一瞬目を丸くし、うつむいて首を横に振った。頬が上気しているように見える。
 イージスが申し訳なさそうに、あの、と声をかけてきた。
「やはり、ご一緒させてはいただけないのでしょうか」
 イージスの言葉に、フォースはうなずいて見せた。イージスは、そうですか、と明らかに寂しそうな顔をする。だが、これはお互いの安全のためにも、譲るわけにはいかないのだ。
「ライザナルに入ったということを、アルトスに伝えて欲しいんだ。それと、一緒に残った兵士の怪我もだいぶいいようだから、ライザナルに連れ帰って欲しいし」
 イージスは素直に、ハイ、と返事をして頭を下げた。分かってくれただろうかと思いながら、他の不安も頭をよぎる。
「マクラーンにはファルに行ってもらおうと思っているんだけど、キチンと伝えられるか不安なんだよな」
 フォースがファルを呼び寄せた合図を、ジェイストークが覚えていれば、手紙は渡るはずだ。やりとりができるようになれば、間違いなく便利になる。ただ、塔の窓は二つともふさがれているのだ、その状態で無事に手紙を渡せるかは分からない。
「フォース?」
 駆け戻ってきて見上げてくるティオに、フォースは視線を向けた。
「ファルには、上手くいかなかったら俺をして戻ってくるように伝えるよ。何度か頑張れば大丈夫だよ」
 思考を読んだのだろうティオの言葉にめられているような気がして、フォースは少し照れたように苦笑した。
「私もアルトスとマクラーンに戻りますので、レイクス様とリディア様がライザナルへ入られたこと、お伝えいたします」
 イージスの言葉に、ああ、とうなずきながら、別行動を取ってくれる内容の返事に心底ホッとする。
「他に何か、お伝えすることは」
「いや。会って話すよ」
 フォースの返事に、イージスはいくぶん緊張の残った笑みを浮かべた。
「ぜひ、そうされてください」
 イージスはそういって頭を下げると、再び口を開く。
「それでは、私は兵士と連絡を取って、明日出発することにいたします。どうか、ご無事で」
 イージスは深く頭を下げると、部屋を後にした。ティオが、ファルを呼んでくる、と、イージスのあとから外へと出て行く。
「イージスさんは時期をずらして明日か。ホントに、もう行くんだな」
 グレイはそう言うと、いくらか引きつった笑みを浮かべた。
「またサーディが来る前に行くのか?」
「ケンカしそうだしな」
 一人でライザナルへ行く時も、前日には言い合いになってしまった。しかも、絶対決着が付かないような、昔のことまで引きづり出してきてだ。その時はひどくバカバカしいとも思ったのだが。
「フォース、俺はそれも必要だと思うよ」
 グレイが言った言葉にうなずきたい気持ちがあるのを、フォースは漠然と感じていた。
 あれはケンカとは違ったのだろうか。ただ、それまで積み重ねてきた関係を、確認したかったのかもしれない。だから無意味なことで言い合ったのだ。
「スティアを迎えに途中まで出てるんだろ? 無理だ。イージスの日程と被る」
 そう言いながら、イージスを先に帰してしまえばよかったかと思う。だがそれだと、イージスが一緒に行動しようと思うと、いくらでも都合が付けられてしまうのだ。信じていないわけではなかったが、万全を期したい。
「まぁ、フォースが早く帰ってきてくれれば問題ないけどね」
 肩をすくめたグレイを見て、フォースは笑みを浮かべた。
「サッサと戻るさ」
 フォースが扉の側に置いた荷物に手を伸ばすと、その扉にノックの音が響いた。その扉はすぐに開かれ、頭にファルを乗せたティオが入ってくる。なんだティオか、と思い、再び荷物に目をやったフォースの視界に、人の足が入ってきた。視線を上にやると、目が合ったその顔が笑みを浮かべる。
「サーディ? ずいぶん早いな」
「また何も言わずに出ちまうんじゃないかって思って、急いで戻ったんだ」
 半ばあっけにとられてその言葉を聞くと、フォースはうつむいてノドの奥で笑い声をたてた。
「すぐに会えるのに」
「お前は、またそうやってっ。スティアから聞いたよ。向こうでの、いろいろ……」
 人がられるとか、溶けるとか、そういったことを聞いたのだろうか。サーディはひどく心配げに顔をしかめる。
「大丈夫だ」
「そんなこと言っても」
「気をつけなくてはならないのは、マクヴァル本人と神官、特に信仰の厚い人間くらいだ。大きな神殿は避けて通るし、だいたいが俺は幽閉されていることになっているんだし」
 伝えるのがこの程度なら、心配せずにすむだろうかと、フォースはそれだけを口にした。だが、サーディの表情は変わらない。
「俺はそんなことを聞いても、どの程度危険かなんて分からない。心配なのは変わらないよ」
「だから、大丈夫だって」
 フォースはサーディの顔に目をやって笑みを向けた。サーディはフォースのすぐ側に立って顔をのぞき込むように見る。
「今度は一人じゃないんだ、そんな気軽に考えていたら」
「言われなくても身に染みてる」
 フォースは視線をリディアに向けた。見下ろしたリディアが微笑みを向けてくる。
「フォース、俺……」
 サーディの声が耳に届き、フォースはサーディに視線を戻した。目が合ったことで自分が声をかけられたのだと気づく。
「何?」
 聞き返したフォースと向き合い、一呼吸おいてサーディが口を開きかけると、いつの間にか側に来ていたグレイが、手にした厚い本でサーディの後頭部を叩いた。
「うわっ?!」
 その衝撃にサーディが頭を押さえる。
「グレイさんっ?! もう、どうしてそんな」
 グレイに歩み寄りかけたリディアを追い抜いて、ティオがグレイに駆け寄った。
「頭叩いちゃダメだよ。メナウルもライザナルも、次期皇帝がバカになっちゃうよ」
 頭を押さえたままのサーディがブッと吹き出す。フォースは、継がないよ、と苦笑した。視線を向けてきたグレイとサーディに、フォースは順番に目を合わせる。
「マクヴァルは立場的には半分親みたいなモノだからな。失脚させるというのは、そういうことだ」
 グレイとサーディは、沈痛な面持ちになり、目をそらすようにうつむいた。フォースは肩をすくめる。
「それに、皇帝を継ぐ者が隣国の皇女と婚姻関係を結ぶことになる。願ったり叶ったりだろ?」
「でも、お前はライザナル皇帝の……。せっかく分かったのに……」
 サーディはすべてを言葉にできず、口をつぐんだ。
「俺は最初からメナウルの騎士だ。その点じゃあ得たモノはあるけど、何も失っていないよ」
 フォースの言葉にサーディは、暗い表情で、そうだけど、と口ごもる。
「向こうでの地位なんてどうでもいい、何も失うわけにはいかないんだ」
 そう言ってリディアと笑みを交わすと、フォースはサーディにその笑みを向けた。
「首にするなよな」
「しねぇよっ」
 サーディは、眉を寄せたままの顔で言い捨てるように答えた。その様子にフッと息で笑うと、フォースは荷物に手をかけた。
「じゃあ、行くよ」
 その言葉に、サーディは慌てて視線を向ける。
「え? もう?」
「ああ、行け行け」
 グレイは、いつものように涼しげな顔で言う。フォースは、その会話に懐かしい思いがあることが嬉しかった。またここに帰ってこられる、そう確信できた気がした。
 フォースは、ティオと一緒に荷物を持って、リディアと外へ出た。ティオの頭にとまったままのファルに、頼むよ、と声をかけ、足輪に厚い紙に書いたジェイストークへの手紙を差し込む。
 フォースに元気よくうなずいて見せたティオが何事かファルに話しかけると、ティオはファルを、よろしくね、と空に放った。ファルはぐんぐん遠ざかり、すぐに視界から消えた。
 フォースは扉の所にいるサーディとグレイに手を振り、リディアと笑みを交わして神殿を後にした。