レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
     2.決断

 マクラーン城に入り、アルトスはイージスと共にクロフォードの自室に向かっていた。いつもよりも靴音が耳に響く。後ろから付いてくるイージスの歩調も、ハッキリと分かる。
 この静けさも、あの黒い怪物のせいなのだろうとアルトスは思った。いつもなら着飾った女性達が石造りの城内に花を添えている。だが今は家に閉じこもっているのだろう、時折聞こえるのは騎士が立てるの音だけだ。
 街には女性どころか、人の姿も数えるほどしか見あたらなかった。マクラーンに近づくほど深刻になっているのは、怪物が北から発生しているのか、それともマクラーンからなのか。
 ジェイストークの怪我も気になる。最後の連絡では、ずいぶん回復しているとのことだったが、顔を見るまでは安心できない。クロフォードとの話しがすんだら、すぐにでも会いに行こうとアルトスは思っていた。
「すでに入られたと、お伝えしようと思います」
 後ろからイージスが声をかけてきた。いや、イージス自身に対する確認だったのかもしれない。アルトスは返事を返さぬまま歩を進める。
 イージスは、フォースがライザナルに入ったところをに見ずに戻っている。だが、フォースが入ると言ったのなら、入っていると思いたい。
 事実だけを考えても、拠点で起こった馬の盗難は、妖精でも使わない限り無理なモノだった。現在ライザナルには妖精がいないことを考えると、イージスから報告を受けていたティオという妖精の仕業に違いないと思う。
 そして、放置した馬車と共に消えているのだから、バカ正直に巫女を連れてライザナルにいるのだろう。
 そう思うと安心ではあるが、不安でもある。妖精がいるとはいえ、一人で巫女を守りきれるだろうか。いくら戦士といっても人間だ。何日も寝ずにいられるわけがないし、食べずにいられるわけでもない。
 だからといって、手を出せる部類のモノでもない。種族の問題なのだろうし、フォースの手にすべてが握られている。
 だがそれが神の運命、すなわちライザナルの、ひいては世界すべての様態にかかってくるのだ。当人はそのことを微塵も感じてはいないようだが。
 騎士二人に守られたクロフォードの部屋のドアが見えてきて、アルトスはため息をつきたい気持ちを飲み込んだ。
 まっすぐドアへと進み、ノックをする。はい、とレクタードの声がして、中からドアが開かれた。
「待っていたよ。入って」
 レクタードは、アルトスとイージスの顔を確認すると、ドアを大きく開いて二人を通した。真正面に置かれた椅子に落ち着いているクロフォードに一礼すると、アルトスはイージスの先に立って入室する。
 正面上部にあるエレンの肖像が視界に飛び込んできた。その笑顔を避けて目を伏せ、クロフォードの前まで進みひざまずく。イージスも一歩下がった場所でアルトスにった。
「怪物にも何度か出くわしたと報告を受けている。道中無事でよかった」
「陛下もお元気そうで、なによりです」
 アルトスが返した言葉に一度大きくうなずくと、クロフォードは身体を乗り出した。
「ところで、レイクスはどうしていた」
 イージスは、はい、と返事をすると軽く頭を下げる。
「ライザナルに入られています。ただ、今どちらにいらっしゃるかまでは」
「それが分かれば充分だ。行動してくれているのだな」
 クロフォードの顔に幾分笑みが浮かんだ。横に立っているレクタードは眉を寄せたままで口を開く。
「分かっているのはそれだけ?」
「いえ。恐らく我々が放置した馬車を使い、拠点の馬を二頭引きにして移動しておられます」
 馬車と聞いて、クロフォードとレクタードは一瞬視線を合わせて微笑み合った。しげな視線を向けたアルトスに、レクタードがそのままの笑みを向ける。
「さっきこっちに連絡があったんだ。ギデナの拠点で馬が二頭、いつの間にか違う馬と入れ替わっていたって」
 アルトスはイージスと顔を見合わせた。イージスは安心したように頬を緩めたが、アルトスは不安を拭いきれなかった。
 ギデナは、マクラーンから国境までの距離では、三分の一ほどマクラーン寄りに位置する街だ。馬車を利用しているとしても、結構な早さで移動していることになる。
 だが怪物の数が増えていることを考えると、それでも遅いくらいだと思うのだ。少しでも早くマクラーンにたどり着いて欲しい。この城でなら、いくらかでも援護ができるかもしれない。
「マクヴァルに悟られぬ範囲で手助けしてやりたいのだが……」
 クロフォードがアルトスをうかがうように言葉にした。
「できる限りのことはいたします。今は、こちらの体勢を崩さぬようにいることが一番かと」
 アルトスは、頭を下げて眉を寄せた。この場所にいると、エレンの肖像に見下ろされている感覚がある。何もできないことを悔しく思う。
「私では何ができるのか見当もつかん。ジェイストークと相談して決めて欲しい」
御意
 頭を下げたままそう返事をし、アルトスはジェイストークを思い浮かべた。レクタードがフフッと息で笑う。
「ずいぶんよくなったんだけど。顔を見るまでは心配だよね? ここはイージスに任せて、ジェイに会いに行けばいいよ」
 慌てて視線を上げたアルトスに、クロフォードが笑みを向けてくる。
「そうしてくれ。彼は軍部の個室にいる」
 ありがとうございます、と、アルトスはもう一度頭を下げた。立ち上がり、部屋を出るアルトスに、レクタードが手を振った。だが、見送るその目に余裕は感じられなかった。
 ドアを閉めると、アルトスはすぐにジェイストークのいる部屋へと向かった。知らず知らずのうちに、急ぎ足になる。そう離れていない場所が、ひどく遠く感じた。
 ドアの前にはテグゼルがいた。敬礼を交わすと、気を落ち着ける間もなくノックする。
「どうぞ」
 すぐに帰ってきた声で、思わずテグゼルに視線を向けると、テグゼルは笑みを浮かべてドアを開けた。ベッドに上体を起こしているジェイストークが、やぁ、と手をあげる。
「大丈夫なのか?」
 そう言いつつ部屋へ入る。後ろでテグゼルがドアを閉める音がした。
「心配かけたね」
 ジェイストークは幾分恥ずかしげに苦笑する。
「まさか俺があの人を助けるだなんて。驚いたよ」
 人格が入れ替わっているとしても、ジェイストークはマクヴァルを親だと思っていることに違いはない。たぶん自然なことなのだろうとアルトスは思う。
「生きていてくれて、よかった」
 その言葉に目を見開くと、ジェイストークはノドの奥で笑い声をたてた。
「それより、窓の外」
 ジェイストークが指差した先の窓に、アルトスは目をやった。木の枝に一羽の鳥がとまっている。
「あれは」
 一目で分かった。フォースが飼っていた鳥だ。
「合図、覚えてるか?」
 呼び入れろということなのだろう。アルトスは窓を開けると、まわりに人がいないか確認し、フォースの手の動きを真似してファルを部屋へ入れた。
 ファルはアルトスの側を通り過ぎ、ベッドの端にとまる。アルトスは開いた窓を背にしてジェイストークの行動を見つめた。
「ファル、持ってきたか?」
 その問いに、ファルは足が見えやすいように伸ばして寄こす。そこに付けられている手紙をファルに触れないように抜き取り、ジェイストークはそっと広げた。
「……、ギデナを越えられたらしい」
「ああ」
 知っていたことに驚いたのか、アルトスの返事にチラッとだけ笑みを向けると、ジェイストークは再び手紙に視線を落とした。
「相変わらずシェイド神の力を使った攻撃も続いているそうだ」
 その言葉に、アルトスは思わず不機嫌に眼を細めた。やはり危険だろうがなんだろうが、シャイア神は側にいないと駄目なのだ。
「マクラーンに入ったら、知らせをくださるそうだよ。先に侵入経路を決めておいた方がいいな」
 ジェイストークが向けてくる視線に、アルトスはうなずいて見せた。
「私は急ぎ北へ行ってみようと思う」
「無駄だよ」
 静かに帰ってきた言葉に、アルトスはしさを言葉にする。
「だが、怪物の発生源がどこだか見当を付けられる」
 その言葉に、ジェイストークが自嘲するように笑った。
「神殿だ」
「なっ?!」
「神殿なんだ。でないと、どうしてあの時、地下墓地にマクヴァルがいたのか説明がつかない」
 抑揚の失われた言葉に、アルトスは憂愁に閉ざされかけたジェイストークの思いを感じた。ジェイストークは奮い立たせるように首を横に振ると、アルトスと視線を合わせてくる。
「神殿に何かある。それもレイクス様が動いたときの予防線なんだろう」
 そうだとしたら。いや、そうだとしても。最後に行かねばならないのは神殿だろう。避けて通るわけにはいかない。
「だが今の状態では、神殿とは当たらず障らずという状況でなくてはな。神官以外の人間がいれば、少しは歯止めにもなるだろうが」
アルトスの言葉を聞いて、ジェイストークはため息を一つつく。
「それが。私の代わりにと、エレン様の墓所にレクタード様が日参しておられるんだ」
 ジェイストークが言った言葉に、アルトスは言葉を失った。
「お止めしたのだが。こんなことくらいしかできないとおっしゃって、聞いてくださらない」
 レクタードも、一度言いだしたら聞かない性格だ。もし自分が止めても、やめないだろうと思う。とにかく、一刻も早いフォースの到着を願うしかない。それまでレクタードが神殿とのゴタゴタに巻き込まれたりしないように、気を付けなくてはならない。
「せめて手落ちの無いように入城していただくための策を立てなくてはな。今ならこの鳥で手順を伝えることもできる」
 アルトスの言葉に、ジェイストークは力の無い笑みを浮かべた。

   ***

 剣身が怪物の黒い巨体にめり込んでいく。実際は斬っているのだが、薄闇の中、皮膚を覆う液体が一瞬で傷を隠すため、フォースの目には斬っているように見えない。
 腰の辺りを斬られて平衡感覚を失い、怪物は前につんのめった。だが地面に手を付きながらも、もう片方の腕を振り回して攻撃してくる。
 フォースは身体を引いてその腕を見送ると、怪物の肩口に飛び込んで腕を切断した。腕で身体を支えたつもりで、肝心の腕がなかった怪物は、勢いよく地面にひっくり返る。転がった身体を避けつつ、フォースは怪物の頭に剣を突き立てた。
 意識の無いもう片方の手が、振り払おうとした惰性で身体にぶつかってくる。避ける暇無く払い飛ばされ、道路脇の木に背中から衝突した。
 フォースは、道の真ん中で怪物が形を失っていくのを見ながら、その場で背中の痛みに耐えていた。心配げな視線を送ってくるリディアに気付き、フォースは苦笑を浮かべ手を振って見せる。
 街道を通ると、大きな神殿のある街を抜けなくてはならなくなるので迂回した。道が細く森に近いことが怪物との遭遇率を上げている要因なのかもしれない。それが原因なら、街を越えれば街道に戻る予定なので支障はない。
 だが、シェイド神の力を使ったマクヴァルの攻撃を、シャイア神が受け止めているからだとしたら一大事だ。そのたびに居場所を感づかれ、怪物を呼び寄せてしまうことになる。
 増えてしまった怪物に閉口しながらも、フォースとリディア、そしてティオは、確実にマクラーンに近づいていた。
「腹減ったよ、フォース」
 馬車の中からティオが顔を出す。
「ちょっと待て」
 息切れの残る声でそう答えると、フォースは剣を一振りして黒い物体を落とし、に戻しながら馬車に戻るためにゆっくりと足を踏み出した。
「怪物ばっかりで遠くまで取りに行けないから、たくさん集まらないんだもん」
 頬を膨らませたティオがキョロキョロとまわりを見回し、南方に視線を定めた。視線がきつくなる。
「フォース? 誰かこっちに来る。二人増えた」
 ティオの視線につられ、フォースは同じ方向を見やった。
「増えた?」
 増えたということは、今まで一人いたということだ。ティオは一言もその話しをしていなかったが。
「三人、妖精だよ。怪物じゃないみたい。分かりやすい敵意を持ってる」
 だが、言った言わないという話しどころでは無さそうだ。フォースは鞘に収めたばかりの剣を、もう一度抜いた。
「このあいだの奴か?」
「ええと、前のはそうだったけど、いなくなったみたい」
 湖でリディアを襲った妖精が三人を呼んだのか、それとも避けて離れたのか。とにかく今は、向かってくる三人をなんとかしなくてはいけない。
「リディアに手を出させるな」
「うん、分かってる。リディアはここね」
 ティオに言われ、リディアは馬車の中で体勢を低くした。
 気配と緊張感が大きくれ上がる。目の前の空気がいきなりぶれて、フォースは右に移動しながらその真ん中に剣を突き入れた。フォースの顔の左横を剣身が通り過ぎる感覚と共に、うわっ、という焦りの声が発せられ、若く見える妖精が切っ先に姿を現す。
 金髪を振り乱して驚愕した顔のまま、その妖精はさらに攻撃を仕掛けてきた。突きに出た細い剣を剣身で叩いて回避しながら身体を寄せ、フォースは妖精の腹の上部に剣の柄を叩き込む。
 くずおれる身体をすり抜けるように前に出ると、フォースは剣を一時左に持ち変え、馬車に向かう二人に向けて短剣を投げた。短剣は二人の間をかすめ、馬車の後部に突き立つ。
 妖精が一瞬ひるんだ隙に二人と距離を詰め、るほどすぐ後ろで剣をいだ。その攻撃を無視できず、片方が振り向く。その顔は、ちょうど義父であるルーフィスと同じくらいの歳に見える。もう一人の若そうな妖精と馬車との間に立ちふさがるように、ティオが巨大化した。
「なんの用だ!」
 何度も突き出される細い切っ先をかわしながら、フォースは叫んだ。余計な肉のない白い顔に苦渋の表情を浮かべ、妖精はさらに突きを出してくる。
「神官を出せ!」
 その言葉の違和感に、フォースは攻撃を剣で受けつつ眉を寄せた。シャイア神をシェイド神と勘違いしている可能性がある。だが、まさかシャイア神だと名乗りを上げるわけにもいかない。
「これ以上の召喚は許さぬっ」
 言葉と共にまっすぐ突き出されてくる細い剣身に剣身をぶつけて方向を変え、フォースは攻撃を回避する。
「召喚?」
「その剣で斬っただろう!」
 再び目の前に迫る切っ先を右に見送りながら、フォースは一歩踏み込んだ。
「あの怪物かっ」
 細い剣身を生かした突きだけで戦うには、短すぎて辛い間だ。思った通り、距離を取ろうと妖精は身体を引いた。
 不用意に浮いた細い剣身をい、フォースは剣を思い切り振り下ろした。ギンッと鈍い音がして、細い剣身が二つに折れる。
 驚愕に歪んだ顔に、フォースは切っ先を突きつけた。その後ろで、ティオがもう一人の妖精の剣をその手ごとむのが見える。
 その時、フォースの後ろで真っ白な光がれ上がった。ティオが顔を背け、ぶら下がった妖精は目を閉じている。フォースは左目を閉じ、右目を細く開けた状態で後ろをうかがった。最初にした妖精が気付いて、目をくらませる術を発動したらしい。
「戦士?!」
 光によって紺色に見えたのだろう、眼前の妖精がフォースの目を見て驚きの声をあげた。その声にまわりの光が急激に引いていく。
「ならば、ここにおられるのはシャイア神か!」
 術を発動した妖精の声が後ろから響く。元の薄闇に戻ったのを見て両目を開けると、フォースは妖精を正面から見据えた。
「だから何だ」
 フォースの返事に、妖精は切っ先の無い剣を下ろす。
「シャイア神がライザナルにいるとは」
 明らかな戦意の喪失に、ティオが掴んでいた妖精の手を離した。細身の剣を鞘に収めて駆け寄ると、フォースに剣を向けられている妖精の一歩後ろに立つ。
「シェイド神の気配だとばかり思い込んでいた」
 その言葉は嘘ではないのだろう、馬車を離れずにいるティオは話しを聞いているが、なにも反応を返してこない。
「どうか、剣をお引きください。そのスプリガンを呪術で召喚された妖精と勘違いしたのです。できの悪い妖精を斬ったのかと」
 ひどいや、とティオのつぶやきが聞こえた。さすがにムッとしたらしい。
「彼は仲間だ」
「ええ。申し訳ない」
 フォースと対峙した中年に見える妖精が頭を下げ、もう一人は一瞬眉を寄せてからそれにう。それを見てからフォースは剣を鞘に収めた。
「人間に頭を下げるなんて? って、その人偉い人なの?」
 ティオが馬車の所から声をあげた。後から頭を下げた妖精は、驚いたように頭を上げ、うろたえたように視線をさ迷わせている。
「ティオ、言葉にしては駄目」
 敵ではないと察したのだろう、リディアが馬車の窓から顔を出した。妖精の迷っていた目が、リディアに張り付く。
「シャイア神の巫女……?」
「そうだ」
 フォースの返事に反応することもなくポカンと口を開け、妖精はティオに何か言い聞かせているリディアを見つめている。ティオに偉いと言われた妖精が、呆けて開いたままの口を閉じるようにアゴを掴み、フォースの方へと向けた。
「お前も無礼だ」
 その行動に、フォースは苦笑を浮かべた。それに気付いた妖精が、失礼しました、と慌てて頭を下げる。顔を上げた視界に、術を発動した妖精が見えたのだろう、もう一度ペコッと頭を下げると、心配げな表情を浮かべ、そちらへ駆けていく。
 フォースは、剣を振るいながら聞いた召喚という言葉を思い出していた。切れ切れに聞いた言葉を会わせて考えると、マクヴァルが妖精を召喚したのが、あの黒い怪物だということになる。
「その通りです」
 妖精はフォースの思考を読んだのだろう、何も言う前に返事をしてきた。
「神官がシェイド神を身体に封じ込めていることで、妖精はヴェーナを出られない」
 フォースは気味が悪いと思いながらも耳を傾ける。ティオはリディアをフォースに預けると、話しの輪に加わらず、術を使った妖精の方へ駆けていった。
「もともとヴェーナに暮らす者、往き来できないのは何ら問題ではないのだが。ヴェーナとアルテーリアの間を呪術で無理に召喚されるのは……」
 妖精が語尾を言いづらそうにらせ、意を決したように言葉をつなぐ。
「身体は崩れ、思考も壊れてしまう。あなたの言う怪物の正体は、私たちの仲間の変わり果てた姿なのです」
 ティオから妖精だと聞いて、ある程度予感はしていた。それでもその経緯に、リディアの顔が悲痛な表情になる。フォースは支えるように、手をリディアの背中に添えた。
「何としてもやめさせたい。私たちは、術の力が強い者を選び、その術と召喚の力も利用して、こちらへ来たのです」
 だが、先にマクヴァルを暗殺されてしまっては、シェイド神の解放ができなくなってしまう。そう思い、フォースが眉を寄せると、ええ、と、妖精はうなずいた。
「戦士が存在しているとは知らず。けして邪魔をするつもりではなかったのですが」
 マクヴァルを斬るのを任せてくれるつもりなのだろう。そう思うと、フォースは気持ちが幾分軽くなった。リディアはフォースと視線を合わせると、妖精に顔を向ける。
「召喚された方たちを、元に戻す方法はあるのですか?」
 その問いに大きく、だが静かに息をつくと、妖精は視線を落とした。
「いえ、無いのです。犠牲を一人でも少なくするためにも、早いうちにその影を払拭していただきたく……」
 影という表現をしたことで、フォースは妖精もあの詩やその内容を知っているのだと理解した。その詩にある、その意志を以て風の影裂かん、という部分が頭に蘇ってくる。
 それを思ったとき、間違いなくその後ろにジェイストークの存在が浮かぶ。その立場だと、親を斬る手助けをしてしまうことになるのだ、辛い思いをさせてしまうに違いない。
 だが、誰に辛い思いをさせても自分が斬らなくてはならない。生きていて欲しいだろうが、むしろあのままで世界を意のままに操られる方が、ジェイストークにとっては辛いだろう。
 親子だろうが恋人だろうが、側にいるだけでは何の解決にもならない。クエイドとゼインがそれを教えてくれた。
「神のいない世界が不安ですか」
 ハッとして、フォースはその言葉を見つめた。
 神の庇護が無くなれば、当然色々な異変が起こってくるだろう。神のいない世界は、誰も経験したことのない厳しいモノになると予想できる。
 そう思うと、マクヴァルの言い分も理解できないわけではない。しかも、それを人の世アルテーリアに強いるのはフォース自身なのだ。
「やはり迷っているのですね」
 妖精はそう言うと、悲痛な面持ちで深くうなずく。不安げに寄り添ってくるリディアに、フォースはわずかな苦笑を向け、再び口を開く妖精に目をやった。
「分かります。ヴェーナに神がいなければ、なにも産まれないし、なにも育たない。ご加護いただけないと、私たちは生きていけないのですから」
 加護、という言葉が耳に付く。だがフォースには、加護とは少し違う気がした。それで生きていけないとまで言う妖精の存在が、赤ん坊のようにさえ感じる。
「召喚を繰り返すなら、ヴェーナのために、私は生まれ変わる影を斬り続けなくてはならない」
 確かに神はアルテーリアとヴェーナにとって親のような存在なのだろう。それならば、神は単に人の成長を望んでいるだけかもしれない。
「人は、誰もが親の庇護から離れて成長していく」
 自分に言い聞かせるように言ったフォースに、妖精は目を見張った。その見開かれた目に、フォースは苦笑を向ける。
「俺はまだヒヨッコだけど。それに、この地は元々人を育てた地だ。簡単ではないだろうが、やっていけないことはないはずだ」
 アルテーリアのこの変化が成長ならば、神の行動を受け入れるのではなく、自分から足を踏み出さなくてはならない。
 始めて剣を手にしたその時のように。騎士になったその日のように。リディアを一生守り抜くと決めた、その決断にかけて。
 迷っている暇なんて無いのだ。いつでもそうだった。その迷いは逆に自身を傷付ける。
「斬って、……くれるのか?」
 妖精は呆けたような顔を向けてきた。フォースは妖精にまっすぐな視線を返す。
「不安は変わりません。でも、やらなければならないことだとは分かります。迷いは、もうありません」
 フォースの言葉に、妖精は気が抜けたように息をついた。
「その人間からシェイド神を取り返せなくても、私はあなたを責めたりはできません。ですが、人の世アルテーリアがどんな世か、判断はその結果にかかっています」
 その言葉に、フォースは冷たい笑みを浮かべる。
「元々アルテーリアがどうとか考えていないんだ、どう判断されてもかまわない。でも、戦果がないと意味がないのは、どちらも一緒だ」
 フォースは微笑みを浮かべたリディアと視線を合わせた。
 リディアをシャイア神から取り返したい、その想いだけでここまできた。マクヴァルを斬ればその想いはほとんど達成される。
 先には神のいなくなった世界が残るのだ、当然苦難もあるだろう。でもそれも今までやってきたように、ただリディアを守っていけばいいのだ。
「戦士があなたのような方だとは、思ってもみませんでした」
 妖精の顔が力なく笑う。妖精は戦士のことを、信念を持って神を、そしてアルテーリアを守ろうとする人間に違いないと考えていたのだろう。
 確かに、詩を聞いただけなら自分でもそう思うだろうし、その方が格好も付く。情けないことなのかもしれない。
 だが、戦士としての自分も、ただ普通の人間だったというだけだ。
 恋人とか友人とか親とか同僚とか。たまたま会話を交わした人、すれ違う人々。手を伸ばして届く範囲の人が幸せであって欲しいと願う。そして自分も幸せをみたいと思う。
 その方がずっと切実なのだ。それは間違いなく自分の力になる。そして、生きている限り、手はどこまでも届くようになっていくだろう。
 黙って見ていた妖精の表情が、どんどん引き締まっていく。心が読めるわけではないが、フォースには妖精の気持ちも手に取るように理解できた。
 妖精は、ヴェーナのために影を斬り続けると言ったのだ。たぶんそれが上に立つ者としての決意であり、あるべき姿なのだ。
 自分が皇帝になれないと感じるのは、すべての人々を同じに見る度量には、まだまだ広さが足りないと、自分で分かっていたということなのだろう。
「ですが。あなたの想いは強い。しかも留まらずに広がっている。私たちすら、その手に届くほどに」
 真面目な顔で、妖精が語りかけてきた。
「広がる、じゃ駄目なんだ。それに最初から広く持ってる弟がいる。どちらが適任かは一目瞭然だろう」
 フォースが向けた視線に、妖精は難しげな顔でうなずく。同じように、きっとクロフォードも理解してくれるだろうとフォースは思った。
「ねぇ、三人だけなの?」
 ティオの声にフォースは振り向いた。腹を押さえていた妖精が、もう一人に手を引かれて立ち上がる。
「他に誰かいましたか?」
 立ち上がった妖精は視線を落とし、服に付いた葉を払い出す。代わりにもう一人がティオと向き合った。
「私たちの前に数人、通り抜けようとした者がいました。無事に来ているかはまだ分からないのです」
「女の子が一人いたんだ」
 ティオの言葉に、顔を見合わせた妖精がうなずき合う。
「リーシャだ」
 フォースと話していた妖精が、その名前に注意を向けた。
「リーシャなら、あの人間の所に居るんじゃ」
 若い妖精の言葉に、確かめてみよう、とうなずき、妖精はフォースに頭を下げる。
「では、私たちはこれで」
 頭を上げて一瞬だけ微笑むと、妖精はそれぞれ身をひるがえし、木々の間へと消えていった。
「フォース、腹減ったよ」
 間を空けずにティオが訴えてくる。
「了解。あまり遠くには行くなよ」
「分かってる!」
 ティオは振り返りもせず、木々の中へと駈け込んでいった。