レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
   3.煽動

 夜明けが近いのだろう、空が薄闇に変わり、星が少しずつ輝きを失ってくる。リディアは御者台に座るフォースの横で、その空を見上げていた。
 怪物、妖精と、立て続けに剣を合わせたせいか、フォースは疲れて眠そうな顔つきで、それでも周りをうかがっている。ティオは食べ物を集めに森に入って行ったきり、まだ戻ってこない。
「風が出てきたな」
 フォースがつぶやいた言葉に、リディアは、ええ、とうなずいた。マクラーンに程近くまで北へ移動すると風は冷たく、体温を簡単に奪い去っていく。
「もう一枚着た方がよさそうだ」
 そう言うと、フォースは御者台から飛び降り、リディアの方に回る。フォースが差し出してくる手を取って、リディアも御者台から降りた。フォースは馬車の扉を開け、椅子の下に片付けてあった荷物を引っ張り出している。
「ファル、大丈夫かしら」
「ファル?」
 そのままの体勢で聞き返され、リディアはうなずく。
「ええ。だってヴァレスとマクラーンを行ったり来たりでしょう? 暖かかったり寒かったり」
「そういえば、そうかもな」
 フォースは返事をしながらローブを引っ張り出し、リディアの前に立った。ローブを差し出そうとして、いきなり驚いたように目を見開くと、フォースはきつく眉を寄せ、目も閉じると下を向く。
 リディアは、急な頭痛でもしたのだろうかと心配になり、様子をうかがいながらフォースが口を開くのを待った。フォースはゆっくり顔を上げたが、視線に力が無いせいか目も合わず、ちょうどリディアの胸の辺りを見ている。
「フォース?」
 リディアの声に、フォースはハッとしたように顔を上げた。
「どうしたの?」
「い、いや、なんでも……」
 そう答えたが、フォースは眉を寄せたまま、何かを振り切るように頭を振った。視線が定まっていない。
「フォース?」
 もう一度呼びかけたが、今度は答えを返さず、頭を抱えるように手をやった。手にしていたローブが道に落ち、息がだんだんと荒くなってくる。
「フォース、どうしたの? 具合でも」
 心配してかけた声も、届いているのかいないのか分からない。フォースは身体を支えるためか、馬車に手を付いた。
「に、げ……」
「え? 今、なんて?」
 よく聞き取れずに問いを向けたが、やはり返事がない。何が起こっているのか分からず、リディアはフォースの側に立つと、熱があるのか確かめようとして手を首に伸ばした。
 そこをいきなり抱きすくめられた。馬車の車体に背中を押しつけられる。
 一瞬のことで、声も出なかった。出そうと思った時には、唇でふさがれていた。髪の中に指を差し込み、頭をつかまれているので動けない。息苦しさにやっとの事で唇から逃げると、大きく息をしたそのノドをキスが下りていく。
「フォース? 待っ、あ……」
 身体を探る手を避けようと身体をよじるだけ、逃げ場が無くなっていく。その手を抑えようとして、逆につかまれる。
「お願い、離して……っ」
 その時はじめてフォースが言いかけた言葉が、逃げろ、だったのだとリディアは気が付いた。だが、フォースからどこに逃げろというのだろう。きっと時間を稼げばティオが戻ってくる。でも。
「あっ、痛いっ」
 はだけた胸元を強く吸われ、リディアは思わず声をあげた。フォースの力がむ。そのを逃さず、リディアはフォースの腕からすり抜けた。
 そのまま森の中へ駈け込んだ。すぐ後ろからフォースの気配が迫ってくる。振り返っている余裕はない。
 痛いという言葉に反応してくれたのだから、フォースは基本的に変わっていないはずだとリディアは思った。逃げろと言ったのも、守ろうとしてくれたからだろう。
 術か何か、得体の知れない力がフォースにかかっているのだ。シャイア神が反応していないので、シェイド神の力でないことだけは理解できる。
 これが何かの術だとしたら。リディアの脳裏に、湖で会った妖精が浮かんだ。フォースと剣を合わせた妖精たちは、彼女のことをリーシャと呼んでいた。風を使い、服を操っていたのも術の一種だと思われる。
 そこに風が吹き付けてきた。不自然な風に服のがひるがえり、側の木に引っかかる。その風で、フォースの急変は、やはりリーシャの術だろうという予測が確信に変わった。と同時に、追いついてきたフォースに腕をつかまれる。
 足元から注意がれて木の根につまずき、リディアはその場に倒れ込んだ。フォースが覆い被さってくる。
「逃げるな」
 そうつぶやいた唇が、リディアの唇をふさいだ。顔のすぐ側に肘をつき、もう片方の手が身体に触れている。痛いほどの動悸で、息が苦しい。その胸にシャイア神の感覚がらんできた。
 あふれ出した虹色の光がフォースにからみつく。だが、シャイア神の力は戦士には効かないのだ、止めることはできない。自分がなんとかして止めなければならないが、気が動転していて、どうしていいのかすら考えられない。
 周りを見回したリディアの目に、草や枝が異常に伸びていくのが映った。それはどんどん生長してフォースの身体に向かい、引きはがそうとからみついてくる。その枝の一本がフォースの首に触れ、巻き付いた。
「シャイア様、駄目っ、フォースが死んじゃう!」
 リディアは手を伸ばし、その枝をほどきはじめた。フォースは苦しげな顔でそのリディアの腕をでる。リディアの言葉のせいか、枝や草がユラユラと揺れながら生長を迷っているように見えた。
「もう。じれったいわね」
 その声にギョッとして、リディアはまわりを見回した。側の木の枝に笑みを浮かべたリーシャが座っている。
「やっぱりあなたなの!」
 リディアの声に冷笑を浮かべると、リーシャは枝を飛び降り、側の地面にフワッと着地した。
「なんてことを!」
 きつい視線を向けたリディアにクスクスと笑ってみせると、リーシャはフォースに視線を移す。
「ほら、早くあなたのモノにしないと、彼女、また逃げちゃうんだから」
 その言葉にフォースが悲しげに顔をしかめた。
「嫌だ、離さない」
 フォースはリディアの肩口に顔を埋めた。鎖骨の辺りに唇を感じる。
 再びまわりの草木がざわざわと音を立てはじめた。獲物を見つけたヘビのようにフォースに鎌首を向ける。リディアは妖精を睨みつけると、フォースの頭を抱えるように抱きしめた。
「逃げないわ。私はフォースのモノよ。だから両方の手で抱きしめて。私を離さないで」
 リディアはその言葉で、フォースの手が迷いながらも背中に回るのを感じた。やはりフォースは術に抵抗してくれているのだ。思考も身体も、すべてを乗っ取られて動かされているわけではないことに安堵する。
 リーシャが不機嫌な表情になり、フォースの耳元に口を寄せる。
「さっさと降臨を解かないと、あんたがシャイア神に殺されるわよ?」
 フォースがシャイア神に殺されるくらいなら、私が代わりに殺されたい。でも今は、降臨されているこの身を守らなくてはならない。降臨を解くことで、すべてが水の泡になるのがリーシャの狙いなら、絶対その通りにはなりたくない。
「フォース、お願い、離さないで。強く抱きしめて。息ができないくらい」
 リディアはリーシャの言葉を無視して、フォースの耳元に必死でささやきかけた。リディア、と名前を呼ぶ声が胸元にかかり、その腕に力がこもる。
「何してるのよ、愛してるんでしょ? あんたが思ったようにしていいんだってばっ」
 リーシャが唇を噛み、胸の前で手のひらを向かい合わせた。その間に青白い光がれ上がってくる。
「他のこと、何も考えられないようにしてあげる」
 リーシャは手を突きだし、フォースをめがけてその光を飛ばした。近づいてくる光球を見て、リディアは思わずフォースを抱く手に力を込め、シャイア神に祈った。れてくる虹色の光が、リーシャの発した光球を包み込む。チッと舌打ちし、リーシャは木の上へと飛び上がりながら、再び手に光球を作り出す。
「リディア!」
 ティオの声が少し離れた場所から聞こえた。戻ってきたのだ。ティオがいると思うと、いくらかだが心強く感じる。
「ティオ! フォースが。どうやったら解けるのか教えて」
「術だね? あの妖精、捕まえなきゃ」
 ティオは小さな姿になり、勢いよく木に登っていく。リーシャは楽しげな目でそれを見つめ、手に届くか届かないかのところで隣の木に飛び移った。ティオは枝を伝って追いかけている。
 どんな術なのか、光球が飛んでくる回数は減るだろうが、それもリーシャの余裕なのだろう。届かない中空なら、邪魔されずにいくらでも攻撃ができるはずなのだ。
「リディ……、くっ」
 フォースの腕にさらに力がこもる。リディアも精一杯の力を込めてフォースを抱きしめた。
「フォース、離さないで。お願い……」
強情ねぇ。最初はあの神官に抱かれるより、その男がいいんでしょ? 二度目からは神官だろうから同じようなモノだろうけど」
 可笑しそうに笑ったリーシャから飛んでくる光球を、再びシャイア神の力が包み込む。
「一度くらい抱かせてあげたら? ほら、あんたも。その女を抱けるのは今しかないんだから、あっ」
 リーシャの足にティオの手が届く。だが、簡単に振り払われて枝の上に落ちた。リーシャはムッとした顔をティオに向ける。
 リーシャが光球を作り、ティオに向けて飛ばそうと構えた時、辺りに強烈な光が満ちた。
 フォースの身体がビクッと跳ねる。リディアはしっかりと目を閉じ、フォースの頭を肩口に押しつけるように抱きしめた。リーシャは木から落ちたのか、悲鳴と共に枝が折れる音がしてくる。
 まぶたの裏側にさえも強い光が充満した。フォースが剣を合わせている時に馬車の中で見た光と酷似している。
 光が少しずつ収まってきて、それに合わせ、リディアはゆっくりと目を開いた。フォースの身体から力が抜けている。
「フォース?」
 リディアは慌てて腕をめ、フォースの顔をのぞき込んだ。荒かった息がゆっくりと落ち着いていく。大きくなったティオが近づいてくるのが視界の端に入ってきた。
「リディア?」
「フォースが」
 ティオはフォースの顔をのぞき込み、ニッコリと笑う。
「大丈夫みたいだよ。さっきの光、術を解く術だもん。気を失っているだけ」
 何がどうだから大丈夫なのかを聞きたかったが、ティオは意に介せずにフォースを持ち上げ、リディアの手を引いて起こした。リディアの横座りの太股に頭が乗るように、ティオはフォースを寝かせる。
「リーシャは?」
「逃げたよ。さっきの妖精達が、捕まえてくるって言ってた」
 大きく戻ってしまった身体を小さくしながらティオが言った言葉に、リディアはホッと息をついた。緊張が解け、身体からも力が抜けていく。ティオの、ほら、という声に顔を上げると、フォースと話した三人の妖精が、リーシャを捕まえて戻って来たのが見えた。リディアは慌ててはだけていた服の胸元をかき寄せる。
 一人の若い妖精に後ろ手をとられたまま、リーシャは憎らしげな顔をフォースに向けた。
「どうして思い通りにならない、好きなようにしない? 人間のくせに」
 そのつぶやきで、リーシャが術でフォースをろうとしていたのは間違いないのだとリディアは思った。フォースと剣を合わせた妖精が、フッと息で笑う。
「よく見てみろ。抱きたい欲求も強いが、望んでいるのはそれだけじゃない。好きなようにしたから、結果がこれだ」
 リーシャは不機嫌そうに眉を寄せ、眼を細めてフォースを見た。その瞳が驚きで丸くなる。
「な、なによそれ……」
 リーシャの言葉に、リディアは顔を上げた。妖精が不安げにしているリディアに視線を向けてくる。
「戦士の欲求は巫女、あなた自身だ。身体も気持ちも取り巻く環境も、すべてが欲しいらしい」
 そう言って妖精は満面の笑みを浮かべる。リディアは顔が赤くなった気がして、恥ずかしさにうつむいた。
「あなたが拒否すれば、戦士も意地になったかもしれないが。あなたはただ守られているだけではない。しっかり戦士を支えておられる」
 リディアにとってフォースが支えと思ってくれていることほど、嬉しいことはなかった。そして支えることができているのなら尚のこと、少しでもしっかりした支えになってフォースに応えられるように、強くならなくてはいけないと思う。
 フォースのノドからくような息が漏れた。術が解けているとはいえ、フォースの様子が気にかかる。
「緊張の糸が切れたのだろう。意識も完全になくしてはいないからすぐに気が付く。ひどく疲れてはいるだろうが大丈夫だ」
 妖精の言葉に、リディアはホッと息をついた。声にはしなかったが、ありがとうございます、と妖精に気持ちを向ける。
 リディアは、通り過ぎた冷たい風を感じ、こんなところで寝ているのだ、フォースが寒いのではと気になった。それに気付いたのか、ティオが、ローブを取ってくるね、と若い妖精二人の間をすり抜け、馬車の方へと駆けていく。
 リーシャはティオの動きを視線で追うと、リディアに嘲笑を向けた。
「人間ってのは、鈍感な生きものなのね。襲われても怖くないなんて」
 その言葉で、フォースの髪をでていたリディアの指がビクッと跳ねた。リディアが思い起こした恐怖を感じ取ったのだろう、リーシャは驚いたようにその指を見つめる。
「だったら、どうして抱きしめたりできるのよ」
 どうしてと言われても、リディアはその理由をすぐには思いつけなかった。
 でも。痛いと言った時にやめてくれたことで、すべてを操られた知らない誰かではなく、フォースなのだと分かった。だから信じた。怖くても信じることができた。それだけのことだ。
「あんなことされても信じるって、バカじゃない」
「でも、裏切られてないわ」
 リディアが返した言葉で、リーシャは目を見開き、ムッとしたように眉を寄せた。フォースと剣を合わせた妖精が、リーシャの感情をうかがうように目を向ける。
「理由はアルテーリアとヴェーナが離れるのが嫌だ、といったところか。戦士を殺し、シャイア神を捧げ、神を有したままの神官も殺害する」
 リーシャは口をとがらし、妖精からツンと顔を背けた。
「そうしておけば少しの間自由に往き来できるんだもの。往き来ができないと、あの人に会えなくなっちゃう。それを強いられるなんて、もうイヤだわ」
 その言葉に妖精同士が暗い顔を見合わせると、ため息をついた一人が口を開いた。
「彼は、……、すでに死んでいた」
「えっ?!」
 リーシャの目が驚きに見開かれる。
「この世界では七十四年前だと墓石に掘ってあった。人間の生は短い」
「そんなことは」
 知っていると言いたかったのだろう。だがリーシャは口をつぐんだ。すべての力が抜けたように崩れそうな身体を、妖精が横から支えている。
「それでも……、それでも私はこの世界に来たい。風だって、まだあの人を覚えてる」
 リーシャのつぶやきに、リディアの胸が痛んだ。
 フォースと離れていた時の苦痛は、とても大きかった。ただ生きていて欲しくて、でも祈ることしかできなくて。それでもファルを介して文字のやりとりができたから、ずっと身近に感じられたのだと思う。リーシャは文字のやりとりもなく、長い間それを強要されてきたのだ。
 リーシャの羽の真ん中に、大きな傷ができているのがリディアの目に入った。元通りになるのだろうかと心配になる。それに気付いたのか、リーシャはフッと空気で笑った。
「あの人がいなければ、もう逃げることも追うこともない。こんなものっ」
 妖精の手をふりほどこうとして、リーシャは若い妖精二人に腕を取られた。フォースと剣を合わせた妖精が、リーシャに向き直る。
「お前が加担しているのは、影なのだぞ?」
「……、分かってるわ」
「神の選択に口を出すなど」
 横から吐き捨てるように言った若い妖精を手で制し、一番年上に見える妖精は眉を寄せてリーシャを見つめる。
は同じヴェーナ、トルヴァールにいる。それでいいではないか」
 死後の魂が住むとされるトルヴァールは、ヴェーナにある。人間にとって死を経験した魂が違う世界にあるのは寂しく、辛いことだ。だからこそ神を介してその魂を側に感じたいのだとリディアは思う。
 リーシャはゆっくり、そしてだんだんと大きく首を振る。
「でも、でも。トルヴァールに行った魂など、それはもう彼じゃない。記憶もない、身体もない、何もかも無くしているのに!」
「寂しいのね」
 思わずつぶやいたリディアを、リーシャがみつけた。
「あ……。ごめんなさい」
 リディアはリーシャに謝りつつ、自分ならどうするだろうかと思考をらせる。
 思い出の地は大切だし、離れたくないのはよく分かる。でももし本当に魂がトルヴァールに行くのだとしたら。思い出にしがみつくよりも、やはり少しでもその魂の側にいたいと思う。
 その思考を読んだのだろう、リーシャは眉を寄せた悲しげな瞳をした。
「魂なんて、まっさらなモノなのよ? そいつも死んだらあんたのことなんて、綺麗さっぱり忘れ去るんだから!」
 フォースが死んだら。そう思うだけで寂しい、悲しい思いがリディアの胸を突く。
「でも。私はこの人が好きなの。思い出してくれなくてもかまわないわ。ただ、私が側にいたいの」
 離れ離れだった時もそう思っていた。同じように、死んでも側にいたいという気持ちは変わりそうにない。
「あんたの魂は死ぬことに慣れているから、そんなふうに言えるのよっ」
 リーシャの声が震えている。リディアは胸に詰まる思いを必死で飲み下した。
「そうかもしれません。でも、死んだらまっさらになってしまうのでしょう? リディアとしての私は、まだ死んだことはないわ」
 その言葉に、リーシャの目が見開かれた。その瞳が寂しげに伏せられる。
「私も……。私だってあの人に逢いたい。覚えてなくてもいい、ずっと好きだったって、今でも好きだって、ちゃんと伝えたい」
 そうつぶやくと、リーシャはため息をついた。
「どうして。そんな一瞬で死んでしまうのよ……」
 人間が相手なら、時がしてくれるとめることもできる。でも、リーシャは妖精だ。これからの気が遠くなるような長い年月、忘れることもできずに過ごすのかもしれない。
 フォースと剣を合わせた妖精が、リーシャと向き合った。
「リーシャ。とにかく影に加担することは許さない。召喚を止めねばならないことくらいは分かるだろう」
 リーシャは視線を落としたまま、微塵も動かずにいる。返事も返ってこない。
「あの男と会えなくなったのも、影のせいだというのに」
 若い妖精のため息が混ざった声に、リーシャは小さく息を吐き出す。
「分かってるわよ。でも、そんなことはどうでもよかったの。ただ彼を感じていれさえすれば。感じていれさえ……」
 涙も流さないリーシャを、リディアはただ心配げに見ていた。妖精たちも何も言えずに黙っている。
 ふと、足にくくり付けてある短剣が熱を帯びてきた。服の上からその場所に触れると、指の間から生地を通り抜け、虹色の光があふれ出す。
「短剣です。少し熱を持って光り出すことがあって」
 訝しげな妖精たちにリディアが答えると、妖精は納得したように何度もうなずき返してくる。
「それは我々の間で、意志を伝えし剣、と呼ばれるものです」
「意思を伝えし剣……」
 くり返した言葉に、妖精は笑みを浮かべた。
「戦士の剣を巫女が所有する間に、神の力が宿るといわれています。その剣を媒体に、戦士の気持ちも神に伝わる」
 ティオがローブを二枚持って戻ってきた。一枚渡されたリディアは、フォースにそっと掛ける。もう一枚はティオがリディアの肩に掛けた。
 この短剣で、フォースは神官を斬らなくてはならないのだ。それはとても悲しいことだとリディアは思う。神を持った人格があるとはいえ、フォースの信頼する人の父親なのだから。
 悲しい思いに目を伏せたリディアに、妖精が苦笑した。
「ええ。それで影を斬るのです。でも、傷は浅くてもかまわない。外皮けばいいのですから」
「本当に?!」
「神が出て行く道ができれば、それでいいのです」
 リディアが嬉しさからついた大きな息に、フォースは小さくうめき声を上げた。うっすらと目を開く。
「フォース、大丈夫?」
 気付いて声をかけたリディアを、フォースはボーッと見つめていた。反応のないフォースに、リディアは心配げに顔をしかめる。
「フォース?」
「あっ。お、俺っ」
 状況を理解したのか、フォースは慌てて起きようとした。だが上体を起こそうとしただけで、ノドから苦しげな息が漏れる。
「身体はそんなにすぐ自由にはならんよ。このまま少し休んだ方がいい。それまで私たちがここにいる」
 妖精の言葉に、若い妖精が二人でうなずき合うのを見て、リディアはフォースの肩を抱えるようにすると、そっと頭を膝に戻した。
「俺、何やって……」
 後悔に歪めた顔で言ったフォースに、リディアは微笑みを浮かべて首を横に振った。
「フォースは悪くないわ。それに、私は無事よ」
 フォースは眉を寄せ、リディアの首元にあるキスの跡に手を伸ばしてくる。リディアはその手を取って自らの頬に当て、その甲を手のひらで包み込んだ。
「必要としてくれているって思えて、かえって嬉しかったくらいなんだから」
「ゴメン。怖かったろ」
 それでも不安げなフォースに、リディアはもう一度首を横に振って見せる。
「でも、ちゃんと守ってくれたじゃない」
 フォースはもう片方の手で、開いているリディアの手をそっと握った。
 妖精がフォースの目を隠すように手をかぶせた。フォースの身体からスッと力が抜けていく。妖精を見上げたリディアに、苦笑が返ってきた。
「回復してもらわねばな。術で眠らせたよ。感情の操作はしていないが」
 その言葉に、ティオが満面の笑みを浮かべる。
「いらないよ。フォースなら大丈夫」
 そのニコニコとしたティオの表情に見入って、妖精はため息をついた。
「人とは、不思議な生きものだな」
 ひとりごとなのかもしれない妖精の言葉に、うん、とティオがうなずく。
「俺らはさ、いつかは、待っていれば、って思うんだけど人間は違うよ。どうしよう、こうしよう、って、いつも悩んだり決めたりしてる」
「時の流れも世界も違うのだ。そこに生息する生きものの考え方が違うのも、ごく自然なことだ」
 少し不機嫌そうに言った妖精に、隣にいた妖精が顔を向ける。
「だが、神のなさることだ。こうして一時でも同じ世界に生きたということは、そこにも何か意味があるのかもしれない」
 その言葉に、年上に見える妖精がポンと肩を叩き、お前は強くなれるかもしれないな、とつぶやいた。
「神が解放されてもされなくても、結局ヴェーナとアルテーリアは離れていく運命にあるらしい」
 その言葉に、リーシャはうつむいていた瞳を閉じた。風の音もしない静寂れる。
「あ、ファルだ! ファルー?! こっちだよ!!」
 ティオの元気な声が朝日が差し始めた空に向かって響く。リーシャさえ、ティオとその先にいるファルに視線を向けた。
 手を振って走り出したティオをめがけてファルが降りてきた。ファルが頭にとまると取って返し、今度はリディアに向かって走ってくる。
「ジェイって人、だいぶよくなったみたいだって」
 ホッとしたように表情を和らげたリディアに、ティオは真面目な顔になって耳元に口を寄せる。
「手紙もあるんだ。マクラーン城への侵入経路と時間」
 小声で言われたが意味がない。まわりの妖精も表情を引き締めたのが、リディアの目に入った。
「目的地はマクラーン城ですか。では、ご一緒させていただこう。遠見鏡によると、召喚の術を使われているのがマクラーン城なのです。術の根源を絶たねばなりません」
 召喚された黒い妖精が増えている中、リーシャがいるとはいえ、三人の妖精の存在が心強かった。