レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜

第5章 創世の末葉

   1.崩落

 長い時間呪文を読み続けていたマクヴァルの口が止まった。そのとたん、虫の羽音のような音と共に、目の前にある黒曜石でできた短剣が、ほんのわずか爪弾いた弦のように震える。
 呪術が完了したのだ。呪文だけに集中していたマクヴァルは、すべてから解放されたかのように、大きく息をついた。
 短剣を手に取ってみると、石職人から受け取った時と、どこも変わらないように感じる。だが、封印ができなくても短剣には刺すという行動が必要不可欠だ。封印ができなくても死んでくれさえすればいいのだ、特に気にする必要もなかった。
 問題は鏡の方だ。遠見ができなくては鏡を作り直した意味がない。マクヴァルは鏡面に触れるか触れないかの所に短剣の切っ先を向け、縦に切り裂くように動かした。そのままの向きで短剣を台に置くと、鏡に手のひらをかざす。
 マクヴァルは鏡に向かい、ブツブツと呪文を唱えはじめた。黒く輝く鏡面に、かすかに少しずつ人影が浮かび上がってくる。
 フォースを探したはずだったのだが、その影は妙に不格好で人には見えない。疑わしく思ったせいで呪文に揺れが出たのか、影はスッと消えていく。チッと舌打ちすると、マクヴァルは大きく息をついてから、もう一度改めて鏡と向き合った。
 今度は最初よりも、いくぶんハッキリ見えてきた。今度はその影がフォース一人ではないと分かる。
 幽閉といっても、ずっと一人で過ごすわけではない。もう一人はナルエスかテグゼルか。マクヴァルは出来る限り気を落ち着かせたまま呪文を続けた。
 呪文が完成したその時、ふと、鏡の向こう側に風が吹いた。フォースのすぐ側にいる誰かの長い髪がなびくのが目に入る。
 マクヴァルはその姿を凝視した。光が差したように明るくなっていく鏡面に映ったリディアが、ハッキリと確認できる。マクヴァルの身体に緊張が走った。思わずいつものようにシェイド神の力を使い、フォースに攻撃を仕掛ける。
 フォースが一瞬だけビクッと身体を震わせたが、鏡面の世界に虹色の光が満ちた。間違いなくシャイア神だ。その光のせいで、リディアの髪の一本一本までもが、いっそう鮮明に見えてくる。
 そしてそこはフォースが幽閉されているはずだった塔の中ではない。城の東側にある抜け道のようだ。
 マクヴァルは目を細めた。口元に浮かんだのは笑みだ。フォースが何をしようとしているのかは、手に取るように分かる。だがそれはマクヴァルにとって、勝機をつかめる絶好の機会でもあった。巫女がそこにいるからだ。
 シェイド神を解放される前に、シャイア神を手に入れてしまえばいい。巫女はもう、すぐ側にいる。この場所から手を伸ばすだけでいいのだ。
「神を失ってなるものか」
 マクヴァルは鏡から離れ、床の円形に手を差し出した。妖精をできる限り召喚し、神殿側と抜け道側の両方に配置しようと思う。混乱に乗ずれば必ず勝機は巡ってくる。
 マクヴァルのぎ出す風の音により、また黒い物体が円の中央に盛り上がってきた。

   ***

 フォースとリディア、そしてティオを出迎えたのはアルトスだった。頭を下げただけで言葉もなく、視線で挨拶を交わし、城の中に入った。
 フォースは腕をリディアに貸し、一緒にその背中を見ながら、少し距離を開けて付いていく。ティオはその後に続いた。
 風が当たらなくなっただけで、城の中に入っても体感温度は低い。フォースは動きやすいようにと簡易鎧だけの姿になったが、リディアはローブを着けたままでいた。
「フォース、短剣を」
 少し歩いてから、リディアが耳に口を寄せて言った言葉に、フォースはうなずいた。助けてくれた妖精が、意志を伝えし剣と呼んでいた物だ。リディアは足を止めてスカートの中に手を入れ、短剣を取り出す。
 再び歩を進めながら、フォースは自分が付けていた短剣をリディアに渡した。お互い今まで短剣を付けていた場所に戻す。
 足音が遠くなったことをしんだのだろう、アルトスがこちらを振り返って確認した。付いてきていることを確認すると、足を止めずに進んでいく。
 妖精達とは城の手前で別れた。もしも自分がしくじったらと思うと、生まれ変わるマクヴァルを殺害し続けると言っていた言葉が大きな救いになる。
 最悪でもリディアだけは守り通したい。だが、リディアと自分の幸せは、シェイド神を解放する以外に手はない。
 できることならリディアをマクヴァルの目に触れさせたくないとフォースは思った。だが意思を伝えし剣の効力は、馬車一台を挟んだだけで落ちてしまったのだ。マクヴァルを殺さず、シェイド神を解放するために斬るには、リディアに側にいてもらう以外になかった。
 必ずマクヴァルを斬ってシェイド神を解放する。フォースは呪文のようにその言葉を胸の中で繰り返していた。
「状況は変わっていない」
 人がいなくなったところで、アルトスは足を止めず、振り向きもせずに口を開く。
「ただ、エレン様の墓所に花を供えるため、毎日レクタード様が足を運ばれている」
「毎日? 今の時間は?」
「自室にいらっしゃるはずだ」
「確認して欲しい」
 簡単に返事をすると、フォースはまわりを見回した。
 マクラーン城は非常に大きな城だ。城の内部をすべて回るには、けっこうな時間がかかるだろう。フォースはマクラーン城の一部分しか知らなかった。城に入った西側の入り口は、今回初めて存在を知ったくらいだ。そしてまだ見知らぬ場所を歩き続けている。
 謁見の間も、幽閉されていた塔も、クロフォードの私室も、知っているのは城の南側から中心部にかけての部分だ。分かるところに行き着くまでは、アルトスの後ろをついていくしかない。
 神殿への経路が分かれば、アルトスと別れて二人で行くつもりでいた。シェイド神の力を使って攻撃されると、シャイア神の守護を受けていない人間は無力に近い。どんなに剣の腕が立つアルトスでも、もし操られることがあれば逆に強力な敵になってしまうのだ。
 見張りの騎士にアルトスが駆け寄った。神殿に着くまでに、というアルトスの声が聞こえてくる。レクタードがいる場所の確認を取るようだ。
 命令を受けた騎士は顔色を変え、慌てふためいて城の中央の方向へ走っていった。少し申し訳ないと思ったが、レクタードを巻き込むわけにはいかない。
「巫女様には感謝しています。命を狙った私を、信じてくださった」
 また三人だけに戻った状況で、アルトスはひとりごとのように口にした。歩を止めずに言ったアルトスの言葉に、フォースは苦笑を浮かべてリディアを見る。どう返事をしていいか迷ったのだろう、リディアは不安げな顔でフォースを見上げてきた。
「こうして陛下のご家族に仕えていられるのも、あの時レイクス様を預けてくださったあなたのおかげです」
 フッと空気で笑ったフォースに、アルトスは一瞬だけ不機嫌な視線を寄こした。リディアが笑みを向けたのが目に入ったのか、アルトスは慌てて視線を前に戻す。
「フォースの命を救ってくださって私も感謝しています。こうしてまた一緒にいられるのは、あなたのおかげです」
 リディアは控え目な声でアルトスの後ろ姿に声を掛けた。
「あ、有り難きお言葉を」
 アルトスがっているのを、フォースは始めて目にした気がした。リディアを味方として受け入れてくれていると思うと、妙な安心感が湧いてくる。
 不意にシェイド神の攻撃が身体に伝わってきた。腕を取っていたリディアの手に、ほんの少し力がこもる。虹色の光が二人を包み込む。
 光に気付いたアルトスが振り返ったが、フォースは来ないようにと制し、変わらず足を進めた。アルトスは一瞬足を止めたが、また前を向いて歩き出す。
 ふと見覚えのある場所に出た。ここからなら案内が無くても神殿に行けると思う。だが、まだレクタードがどこにいるのか分かっていない。連絡が来れば後は神殿に乗り込むだけなのだが。
 フォースは改めてまわりを見回した。マクラーン城が懐かしいなどと思うのは、ここも自分の場所として認識しているからなのだろう。
 ここに存在するすべての人たちも守りたい。このままマクヴァルの思うようにさせていたのでは、また身体を崩されてしまう者も出てくるかもしれないのだ。
 神の力だけが存在していても、この状態は国として、人としての幸せだとは言えないだろう。マクヴァルが存続させようという神の力があっても、神が存在している世界とは違う。
 前方から二人、駆け寄ってくるのが見えだした。一人は鎧姿、もう一人はレクタードだ。
「フォース!」
 名を呼ばれて一瞬ギョッとしたが、今レイクスと呼ばれてしまっては大変なことになるのだから、逆にそれでいいのだと気付く。
「レクタード、無事でよかった」
「フォース、来てくれて嬉しいよ」
 言葉と裏腹に、レクタードの表情が引きつっている。しげな顔を向けると、レクタードは慌てて口を開いた。
「地下墓地の祭壇陰から怪物が出現しているんだ」
 フォースが眉を寄せたのを見て、レクタードはうなずいてみせる。
「俺が地下から出た時にはに三体目が。あそこには何かがある」
 フォースは思わずアルトスと顔を見合わせた。
「そんなに出現することなど、今までは無かった」
「ここに居るのがバレたのかもしれないな」
 フォースはアルトスにそう言うと、リディアと向き合った。
「急ごう」
 うなずいたリディアと、地下墓地へと向かう。すぐ後ろにいるティオに、気を付けろ、と声を掛ける。ある程度の距離を置いて、アルトスも付いてくるのが足音で分かった。
 神の力があるうちは、溶かされてしまう可能性もあるので一緒に来るのは避けた方がいいと思う。だが、どうせ簡単に言うことを聞く男ではないし、そんなことを話し合っている暇もない。フォースは、ただひたすら先を急いだ。
 神殿に入ると、年老いた神官と出くわした。その神官は顔色を変えてフォースに詰め寄ってくる。
「あなたが部屋を出られたからシェイド神がお怒りになったのだ!」
 抗議するその口元が少しれ、出血している。マクヴァルがやったのか、召喚された妖精がやったのか。
「俺が最初から幽閉されていないことくらいシェイド神はご存じだ。怒っているとしたらマクヴァル自身だ、シェイド神じゃない!」
 呆然と目を見開いている神官の横を通り、地下墓地への階段を降りる。後ろでティオが神官に、ずっとされていたんだね、と声を掛けたのが聞こえた。
 上から見下ろすと、地下墓地には黒い影が溢れていた。リディアから離れるなとティオに視線で確認を取る。ティオは分かっているとばかりにうなずいた。
 こっちに気付いた妖精が階段を上がってくる。フォースは高さを利用して妖精を目がけて飛んだ。捕まえようと伸ばしてくる腕を斬り裂きつつ肩に着地すると、脳天から剣を突き立てる。
 動きを止めた妖精の身体が、階段下側へとひっくり返り、駆け寄ってきた細身の黒い妖精を落下する勢いで両断した。後ろに落ちた頭部を振り返りざまにぎながら、リディアとティオ、アルトスを確認する。
 ティオはリディアを肩に座らせ、アルトスは石の手すりを飛び越えて地下墓地に降り立った。階段の上からは数人の騎士がなだれ込んでくる。
「深入りはするな!」
 前に向き直ったフォースの耳に、アルトスの声が響いた。
 ここは任せてしまって大丈夫だと判断し、フォースは数体の妖精を斬り捨てながら祭壇へ駆け寄った。リディアを肩に乗せたティオの足音がついてくる。フォースの目の前で、シェイド神の像が置かれている台の裏側から、ヌッと黒い手が出てきて角に掛かった。
 台の裏側に空間があることを悟ったフォースは、少し間を取って台の裏側へと回り込んだ。黒い妖精は、奥にある階段から地下墓地の床へと足を踏み出してくる。フォースは胸にまっすぐ剣を突き立てると、頭頂部から剣が抜けるように剣身で切り上げた。倒れた妖精の後ろに階段が見える。
 ティオはその階段をのぞき込み、フォースと一瞬目を合わせると、分かった、とうなずいた。言葉にしなくても、ティオは考えを読み取ってくれる。少しでも早くマクヴァルの元にたどり着きたい今、それはとても有り難かった。
 階段に足を踏み入れる。少し下って後ろを確認すると、階段には高さがないので、リディアを下ろしてその後ろをティオが歩いてくる。ティオのさらに後方、台の入り口あたりに、スチールグレイの鎧の背中が見えた。妖精が階段へ侵入するのを、アルトスが防いでくれているのだ。
 すぐに石でできた床が見え、その先が広くなっていると分かった。そこからまた召喚された妖精が階段に入ってくる。フォースはリディアとティオがいる場所と間を取るために、何段か階段を駆け下りた。
 突き出してきた手を右に回避しながら妖精に身体を寄せ、手を引く隙に乗じて突きを出す。妖精はもう片方の手で剣を払い、もう一度手を突き出してくる。その手に黒く光る短剣を見つけ、フォースは鎧で受けようとした身体を無理矢理引いた。背中が壁にぶつかる。
 鏡に封じる。そう言ったゼインが手にしていた短剣と似ていた。少なくとも材質は同じだろう。はたして本物なのか、鏡も存在しているのかは分からないが、呪術の力を持った短剣である可能性がある以上、傷を受けるわけにはいかない。
 壁を背にしたフォースに向かい、妖精が短剣を突き出してきた。攻撃から間があったせいで、フォースは余裕を持ってギリギリまで待ち、腕をくぐり抜けて妖精の後ろに回る。壁に当たって砕け散った欠片を視界の端に見ながら、フォースは妖精の頭上に剣身を振り下ろした。
 石室に目をやると、黒い妖精たちが向かってくるその後ろに、冷笑を浮かべたマクヴァルが見えた。手を伸ばした図形の中心に、妖精が新たに召喚されている。
 顔を上げ、目を見張ったマクヴァルと視線が合った。後ろからはアルトスの鎧の音が駆け寄ってきたのが聞こえる。
「あそこに行くんだね?」
 ティオが言葉で確認を取りながら、リディアを肩に乗せようと手を伸ばし、慌てて引いた。リディアの瞳が、いつの間にか緑色に輝いている。
「シャイア様は私たちを守ってくださる。だから怖くないわ、大丈夫。お願い」
 リディアがリディアの声で、そう口にした。ティオは真面目な顔で大きくうなずくと、リディアを抱き上げて肩に乗せる。リディアの瞳の緑が深くなっていく。
「行きましょう」
 ――動けなくすればいい――
 リディアの言葉とシャイア神の思考がフォースの中で被った。妖精のことを言っていることは意識が伝わってきた。だが、治せるから殺すなということか、戦力だけ削れということか。そこが引っかかったが、返事を期待して聞き返している暇はない。
 手を差し出して突っ込んできた妖精を胴体で両断し、フォースは石でできた空間に足を踏み出した。
 そこに黒い球体が飛んできた。斬るべきかと一瞬悩んだところに虹色の光がぶつかる。何度か収縮を繰り返したのち、黒い物体は虹色の光に押し包まれて消えた。
 向かってくる妖精に身体を向けたその視界の隅に、眉を寄せた厳しい表情のマクヴァルが入ってくる。もう一度差し出されたその手に黒い影が膨れ上がり、球体がシェイド神の力だったのだと理解した。
 理解したところで、自分の力では神の力など、対抗のしようがない。神の力はシャイア神に任せ、フォースは目の前の妖精を倒すことにだけ集中した。
 黒い妖精の数は多いが、フォースが前に出たことで、アルトスも部屋の中、フォースの後ろへ入ってきたようだ。しかも、シャイア神がその力を使って中空にいるため、ティオも参戦している。妖精の数は時間が経つにつれ、確実に減っていた。
 その中を、シェイド神の闇とシャイア神の虹色の光が乱舞し、交錯している。
「神を排除しようなど!」
「お前は神じゃない!」
 悔し紛れか、そう声を荒げたマクヴァルに、フォースも叫び返した。
 マクヴァルが産みだした闇が、手の先から離れないうちに虹色の光で包まれる。マクヴァルは身をひるがえすと、対角にある壁の隙間へと入っていった。
「追えっ!」
 アルトスの声が、ほとんど同時に駆け出したフォースの背中に飛ぶ。フォースは床の円形を剣の鞘で傷付けながら、その通路に駈け込んだ。
 シャイア神も高度を下げ、フォースの後に続いてくる。ティオはシャイア神の背中を守るようにその後から入ってきた。想像通り、ここにも黒い妖精が数多く放たれている。
 抜け道とおぼしき通路があるだろうことは、はじめから予測していた。もしかしたら術の根源を絶つと言っていた妖精は、この通路の先から来るかもしれないと思う。この状況は長くは続かないはずだ。フォースはそう信じて、ただ剣を振るった。
 通路がほんの少し広くなっている場所に出た。黒い妖精の数は格段に減っている。通路の向こう側で、やはり乱戦になっているらしく、召喚された妖精が斬られた悲鳴なのか咆哮なのかが聞こえてくる。
 城の手前で別れた彼らがいるのだろう。光明が見えた、そう思った時、広くなっている場所の中程にマクヴァルがたたずんでいるのが見えた。身体をこちらに向けて目を閉じている。
 間にいる妖精が伸ばしてくる腕を裁ち、足を斬って動けなくすると、フォースはその妖精の前に出た。フォースのさらに前に、アルトスの背中が躍り込んでくる。
 そこで、あと何歩かで届くだろうマクヴァルの口元が、忙しく動いているのに気付いた。術が発動される気配か、嫌な予感か、フォースの背筋に冷たいモノが走った。
「レイクスを斬り捨てろ」
 そう言うとマクヴァルは目を開いて冷笑を浮かべた。前にいたアルトスが動きを止め、ゆっくりと身体をこちらに向ける。その表情からは感情が消えていた。
 アルトスは無造作に攻撃を仕掛けてきた。操られているせいで動きは鈍いが力は強い。その攻撃を剣で受け、ここに来るまでにけっこうな体力を使っていることに気付かされる。だが、アルトスがいなければ、こんな疲れではすまなかっただろう。
 この戦いを長引かせるわけにはいかないが、簡単に決着を付けられる相手ではない。この状態で決着を付けてもいけないと思う。アルトスが相手では、短剣も手にしてマクヴァルを狙うなどできそうにない。どうしたらいいかと考えを巡らせながら、フォースは何度かの攻撃を受け流した。
 ブツブツと呪文を唱え続けていたマクヴァルが、ふと視界から消えた。思わずリディアのいる空間に視線を走らせると、虹色の光をフォースの後方へと向けている。フォースは振り下ろされた剣身をかいくぐってアルトスの後ろへと回り込み、少し距離を取った。
 アルトスの剣身は床直前で止まった。切っ先が目の前を通ったのだろう、そのすぐ前でマクヴァルがアルトスを見つめて顔を青くしている。
 その手には、黒い短剣が握られていた。それこそが呪術の短剣なのだろう。妖精が持っていたモノと比べものにならないほど、前に見た短剣と同じに見える。
 そしてマクヴァルが硬直している間は、アルトスも動かなかった。狙い目はそこにしかない。
 アルトスは振り返りざま右から左へと剣をいできた。フォースはその攻撃を受け流すと、開いた右に飛び込みマクヴァルの前に出る。
 アルトスが体制を整えるより先に短剣を抜こうとしたフォースに、横から黒い妖精が飛び込んできた。短剣での攻撃をあきらめ、黒い妖精の胴をぐ。
 マクヴァルが放ったシェイド神の力を、飛来した虹色の光がフォースの側で押し包む。その光を断つようにアルトスの剣身が向かってきた。その攻撃を剣で受け、飛ばされるまま間を取る。そこにまた召喚された妖精が向かってきた。
 アルトスとマクヴァルに気を配ったまま、黒い妖精を斬り捨てる。向き直るフォースの視界に、城の手前で別れた妖精が見えた。味方が三人増えれば、今よりは優位になるかもしれない。
 マクヴァルの手にある黒い力の球が、ティオに向かって飛び、虹色の光がそれを捉える。フォースにはアルトスが斬り掛かってきた。
 振り下ろされる剣を受け、上に向いた視界の中に、リディアに当て身を食らわせるリーシャが入ってきた。
「リディアっ!」
 思わず名前を呼んだが、中空なので手が出ない。短剣を抜き、リーシャに向けて投げようとしたフォースに、アルトスがさらに攻撃を仕掛けてくる。
 リディアが気を失ってしまったからか、短剣が光っていない。いつもなら触ることすら許さないシャイア神の火花も飛んでいない。リディアを抱えて石室に戻ろうとするリーシャに向かって、ティオが巨大化を始めた。
 リディアに手を伸ばすティオに、マクヴァルが飛ばした闇の球体がぶつかって破裂する。ティオの巨大化が止まり、手が届かぬままひっくり返る。
 数体の妖精がティオの下敷きになり叫び声を上げ、地鳴りの音と共に辺りが揺れた。バラバラと天井から小石が落ち始める。
「崩れる!」
 通路の奥から若い妖精の声が響いた。マクヴァルはフォースに冷笑を向けると、身体をひるがえして石室へと向かう。後を追おうとしたフォースの前に、アルトスが立ちはだかった。
 いでくる攻撃を受けた時、ティオが頭を上げるのが見えた。バリバリと天井が大きな音を立てる。
「危ない!」
 ティオの声のあと、視界が落ちてくる石や土でさえぎられ、身体のあちこちに衝撃がくる。壁にあったランプが落ち、その上にもがれきが重なっていく。
 空間は闇に包まれ、遅れて落ちた小石がひとつ、カランと乾いた音を立てた。