レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜
   3.はじまり

 バラバラと騎士が石室に入ってきた。何人かが手にしているランプで、辺りがとても明るくなる。その中の一人がフォースの側でひざまずいた。それを見て、ジェイストークが指示を出すようフォースにす。
「マクヴァルに危害を加えず、拘束だけしておいてくれ」
 その命令で、三人の騎士がマクヴァルの元へ行った。フォースは残っている騎士に目を向ける。
「奥にアルトスと、両足を怪我した妖精がいる。その仲間も二人いるはずなんだ。彼らを救助して欲しい。あ、黒い妖精も一緒に埋まっているから気を付けろ」
御意
 一人の騎士がフォースにそう返事をすると、手で合図をし、約半数の騎士と共に通路に入っていく。
「もう一つ」
 フォースは石の床に落ちている黒曜石の短剣を指差した。
「その短剣と、たぶんこの部屋のどこかに呪術の黒鏡がある。見つけ出して破砕してくれ」
 その命令で、残りの騎士達も動き出す。その中の一人が短剣を拾い、壁に向かって投げ付けた。カシャンという軽い音と共に、短剣は壁で砕け散る。
「それと」
 フォースはジェイストークに向き直った。向き合ってくる真剣な眼差しに、思わず苦笑する。
「塔の部屋を開けて欲しいんだけど」
「お休みになるのでしたら、レイクス様の私室にご案内いたします」
 ジェイストークは、かしこまって頭を下げた。私室と聞いてキョトンとした顔のフォースに、ジェイストークは笑みを向けてくる。
「ギデナの拠点を越えたとの知らせを受けた時点で、レイクス様の私室を整えてございます」
「……、は? そんなモノが?」
「お伝えしていませんでしたか? 幽閉などされませんでしたら、最初から使っていただけたのですが」
 ジェイストークに、そうか、と苦笑を返しながら、フォースはリディアを抱き上げようとした。リディアは自分で石台から降り、フォースの前に立つ。
「私、自分で」
「だけど、辛そうだ」
 息の荒いリディアの言葉をさえぎって、フォースはそう口にした。リディアは心配げにフォースを見上げる。
「でも、フォースも疲れているのに」
 フォースはリディアを見下ろし、肩からかけている神官服の隙間に一瞬のぞいた肌から目を逸らす。
却下。歩いたら見えそうだから駄目」
 フォースは、目を丸くしたリディアに笑みを向けた。顔を赤らめたリディアの足元まで、神官服でていねいに包み込んで抱き上げる。リディアはまわりから顔を隠すようにフォースの胸に顔を埋めた。
 それを見てジェイストークが足を踏み出した時、マクヴァルのまわりが騒がしくなった。いつ気付いたのか、マクヴァルが立ち上がっている。フォースと目が合うと、マクヴァルは騎士に腕を取られながらも前に出た。
「どうして私を殺さない。殺せっ」
 フォースに向かってこようとするマクヴァルを、騎士が左右から押しとどめる。フォースはリディアを抱いたまま、マクヴァルを見やった。
「あんたを殺すことが目的じゃない。俺がやらなければならないのはここまでだ」
「いまさらどうやって生きていけというのだ」
「生きていけなんて言ってない。神を抱いてはいたが、あんたは死んだはずだ。それを思いだしてくれるだけでいい」
 フォースの言葉に、マクヴァルは嘲笑を向けてくる。
「馬鹿なことを。これでアルテーリアは神の手を離れたんだぞ?」
「神は見守ってくれる。充分だろう」
 マクヴァルは厳しい表情でフォースをみつけた。その視線がふとジェイストークをえ、懐かしそうに歪む。
「ジェイ、……か?」
 マクヴァルの口から、かすれたような声がした。
「……、父上っ?」
 ハッとして目を向けたジェイストークを見て、マクヴァルは力を込めてまぶたを閉じる。
「駄目だ、この命も身体も渡さん! シャイア神を私によこせっ。神がいないとアルテーリアは……」
「マクヴァル殿」
 ジェイストークはマクヴァルの正面に歩を進めた。いまいましげに細く開けたマクヴァルの視線をまっすぐ見返す。
「すでに神の力で安穏な生活が手に入る時代ではありません。もうあなたは必要ない。父を返してください」
 マクヴァルの見開かれた目が力を失って伏せられる。ジェイストークはマクヴァルに背を向けると、フォースに頭を下げた。
「お待たせしました」
 ジェイストークは顔を上げ、まいりましょう、と微笑むと、フォースの先に立って歩き出す。ひとつひとつは細かなことだが、ジェイストークの言葉づかいや態度が、前よりも丁寧だとフォースは思った。
 石室を出る時、フォースはティオを振り返った。ティオはリーシャを撫でている手をフォースに向かって振り、後でね、と口を動かす。フォースはうなずくと、階段に入った。
 階段を抜け、地下墓地へと出る。真ん中に設置されている新しいが目に付いた。たぶんそれが母のモノなのだろうとフォースは思う。
「マクヴァルの側に、いたかったんじゃないのか?」
 ふと思いつき、フォースは前を行くジェイストークに声を掛けた。ジェイストークは変わらずに歩を進め、神殿へ続く階段を上り始める。
「いえ。レイクス様が危害を加えないよう指示を出してくださいましたので」
 そうは言ったが、うつむいたジェイストークの歩調が一瞬んだ。
「父は、……、戻ってくれるでしょうか」
「時間はかかるかもしれない。でも、きっと大丈夫だ。存在する意味を失ったマクヴァルには、もう気力もないだろうし」
 前を行くジェイストークの表情は見えないが、ありがとうございます、とハッキリと言葉が返ってきた。
「そういえば、ジェイの怪我は?」
 フォースがそう言うと、ジェイストークは軽くフォースに身体を向けて、頭を下げた。
「ご心配、恐れ入ります。すでに支障なく過ごしております」
 フォースの胸の辺りで、よかった、とリディアの声がする。それが届いたのか、ジェイストークはもう一度頭を下げた。
 そのままジェイストークの背中を見ながら歩を進めていくと、この城を出た時に通った廊下に出た。二人の騎士が見張りをしている間を通り抜ける。
 奥まで進めばクロフォードの私室がある廊下だ。ジェイストークはクロフォードの私室からひとつ手前の、だがだいぶ離れたところにあるドアで立ち止まった。
「こちらです」
 ジェイストークはドアを開け、フォースに入るようにす。ありがとう、と礼を言ってフォースは室内に目を向けた。クロフォードの部屋ほどではないが、異様に広い。
 正面には大きな窓、部屋の奥には左右に二枚ずつのドアがあり、真ん中手前側には、向かい合った大きなソファが二つと、間にテーブルが見える。部屋に足を踏み入れると、ソファーの横に飾り棚があるのが分かった。
 左手奥のドアからイージスが出てきたのに気付き、フォースは足を止めた。イージスは側まで来るとひざまずき、フォースに向かって頭を下げる。
「レイクス様、リディア様、お帰りなさいませ」
 フォースは思わずリディアの顔を見下ろした。抱き上げられたままだからか、恥ずかしげにしているリディアと目が合う。視線をらし、リディアはかすかに身体をよじるように動かした。フォースはリディアをそっと下ろす。
「本日よりリディア様にお仕えさせていただくことになりました」
 イージスはフォースとリディアに敬礼を向けてくる。
「リディアに? って、一体……。ニーニアはどうした?」
「ニーニア様には、私の部下である女性騎士が配属されております」
 部下、という言葉が引っかかった。身分だの地位だのと、ライザナルは結構うるさい。ということは、リディアがニーニアよりも上に見られているのかもしれない。
 ジェイの言葉尻も前とは違う。フォースはジェイストークの顔に見入った。
「もしかして、ジェイは」
「はい。私はレイクス様の身の回りのお世話をさせていただきます。私とイージスは便宜上、無断で私室に入ることが許されております。ご命令があった場合はその限りではありませんが。どうかご承知おきください」
 無断で、という言葉が頭に響く。確かに王族には違いないのだから、ここに居る間、好き勝手できないのは分かる。だが、それでも妙な違和感がえない。
湯浴みの準備ができております」
 イージスの言葉に、小さな息を繰り返すリディアの頬が、かすかに緩んだ。これだけのことがあったのだから、湯浴みをしたくて当然だろうと思う。だが、相変わらずシャイア神の光が見え隠れしていて、ひどく辛そうに見える。
「大丈夫か? もし倒れでもしたら」
「私が介添えさせていただきます」
 イージスがそう言って礼をする。シャイア神に拒否されると思っていないようなので、敵意はないのだろう。その点では安心できるものの、すべて任せてしまっていいものかと、フォースは眉を寄せてイージスを見つめた。イージスは柔らかい笑みを返してくる。
「あ。申し訳ありません。レイクス様がご一緒に入られますか?」
「はぁっ? いっ、いや、いい。頼むよ」
 思わずみで頼んでしまってから、フォースは口をってため息をついた。
「フォース、持っていて」
 リディアは服の裏側からペンタグラムを外して差し出してきた。それを受け取り、フォースは手のひらに包み込む。
 イージスは、こちらです、と部屋の左隅にある二つ並んだドアの奥側を開け、リディアをエスコートして入っていく。そんなところにそんな場所がと驚いていると、ジェイストークがその隣にあるドアを開けた。
「寝室はこちらです。そちらのドアは厨房に続いております」
 厨房まであるとなると、部屋というよりも普通に一件の家だと思う。ジェイストークはもう一つのドアを示し、さらに言葉をつないだ。
「そちらの部屋にもベッドはございますが、極力どちらか一部屋だけお使いいただくようお願いします」
「ああ、掃除が面倒だからか」
 フォースがつぶやいた言葉に、ジェイストークは笑いをこらえながら苦笑を向けてくる。
「何のご冗談ですか。ご一緒に過ごしていただかないと、お世継ぎの誕生が望めないからですよ」
 その言葉に、フォースはブッと吹き出した。
「冗談はジェイの方だろ。なんでそんな心配を、……、世継ぎ?」
「ええ。ライザナル王家の血筋が途絶えるようなことがあっては一大事です」
 淡々と言ったジェイストークに、フォースは疑わしげな顔を向ける。
「それならレクタードとスティアが」
「皇帝を継がれるのは御嫡男がよろしいかと存じます」
 その言葉に、フォースは呆気にとられた。クロフォードはフォースが継ぐことを、あきらめてくれたとばかり思っていたのだ。
「レクタードに継がせるんじゃ……」
「陛下はレイクス様をお望みです」
「だけど、そうは言ってなかった」
「それはそうでしょう。お伝えしてしまったら、来てくださらないかもしれませんでしたから」
 そう言ったジェイストークに、フォースは返す言葉が浮かばなかった。
 城に入ってから対応が前と違う気はしていた。だが、まさかという気持ちもあった。本気なのだろうかと、フォースはジェイストークをうかがう。
「生きて戻ってくださって嬉しい限りです」
 ジェイストークは笑みをたたえ、だが真剣な眼差しをフォースに向けている。フォースは視線を逸らし、片手で顔を覆うようにこめかみを押さえると、思い切り大きなため息をついた。
「今、めまいがした気が……」
「それはいけません。レイクス様も湯浴みなさって、リディア様とご一緒にゆっくり休まれてください」
 相変わらず微笑んでいるジェイストークの言い様に、フォースは頭を抱えた。

   ***

「エレン様の血の宿命を果たされたのですから、残り半分、陛下のお気持ちもんでくださればと思います」
 戦士の印である媒体をいつもの場所に巻き直し、髪を拭きながら横目でチラッとだけジェイストークを見て、フォースは元いた部屋に向かう。
「もういいだろう。そんな話は後だ。今はリディアのことが心配で、何を言われても頭に入らない」
 ジェイストークはフォースが湯浴みしているうちから、ずっと同じようなことを言い続けている。
「そもそも、どうしてそのように悩まれるのか、私にはさっぽりわかりません」
「危険だからだ。これ以上リディアをそんな場所に置きたくない。もう充分だろう」
「それでしたら、むしろ継がれた方が安全です。軍のひとつでも護衛に就かせればよろしいのでは」
 その言葉に振り返り、フォースはポカンとジェイストークの顔に見入った。ジェイストークはニコニコとフォースの言葉を待っている。
「小隊でも親衛隊でもなく軍かよ。どこの暴君だ、それ。そんなんじゃ、身動きひとつ取れないじゃないか」
「ですが、地位はどうあれ、お立場が変わることはありません。何をされていても危険は同じだと思われた方がよろしいかと」
 フォースはため息をついて、部屋へのドアを開けた。フォースに微笑みを向けてくるリディアが目に留まる。フォースは、その微笑みに心底ホッとした。
 リディアは白くて薄い生地でできたローブのような部屋着を身に着け、ソファの背に身体を預けている。くつろいでいるようにも見えるが、側に行くにつれ、虹色の光がまだリディアの身体に見え隠れしているのがハッキリと分かる。
「大丈夫か? 何か変化は?」
「大丈夫よ。こうして静かにしていれば、そんなに辛くないし」
 そんなに辛くないというのは辛いということだ、心配はえない。見上げてくるリディアの頬に、フォースは手を伸ばした。フォースの手に頬ずりするように、リディアが顔を寄せてくる。二つのペンタグラムがリディアの手元で揺れた。
 ドアにノックの音が響き、側にいたイージスがドアへと進んだ。外から受け取った軽食と飲み物を、机に運んでくる。
「他に何か必要なモノはございませんでしょうか?」
 イージスの言葉に、リディアは小さく首を振った。
「いえ、もう」
「承知いたしました。では、私はこれで失礼いたします」
 イージスはリディアとフォースに深い礼をした。顔を上げたイージスは、ジェイストークに一度視線を止めてからドアの方へと歩いていく。ジェイストークは一瞬しかめた顔をイージスに向け、フォースに向き直った。
「それでは私も失礼します」
 ああ、とフォースが返事をすると、ジェイストークはドアまで進み、もう一度フォースへ身体を向けて頭を下げる。
「明日は陛下にご面会いただきます。朝身に着けていただくお召し物はクロゼットに掛けてございます。では。起床時にまいります」
 その言葉を聞きながら、フォースはジェイストークの側まで行った。フォースの足元が見えたのか、焦って顔を上げる。
「今は本当に何も考えられないだけだから、あまり心配しないで欲しいんだ」
 フォースの言葉にジェイストークは、申し訳ありません、と頭を下げた。フォースは苦笑を返す。
「そうじゃなくて。ジェイに、全部終わったら皇帝にならないかと言われたのも覚えてる。でも、まだ終わってないんだ。順番に考えるから」
「ありがとうございます」
 もう一度頭を下げたジェイストークの頬が、少しだけ緩んだ。フォースは視線が合うのを待って口を開く。
「それと。明日もし寝ていても、寝室のドアは開けないで欲しいんだけど」
「承知いたしました。では」
 ジェイストークは、二本手にしていた鍵の一本をフォースに渡し、部屋を出ていった。
 閉まる直前に見えたドアの隙間から、いつの間にか見張りの騎士が立っているのが見えた。ドアに鍵を掛けて振り返ると、リディアはゆっくりと立ち上がる。フォースは駆け寄って、少しふらついているリディアの身体を抱きとめた。
「ごめん、ゴタゴタと」
 リディアは小さく首を横に振る。
「私もフォースが大切だもの。だからジェイさんの気持ち、分かるわ」
「俺はリディアが大切なんだ。失うのが怖い」
 リディアの腕が、フォースの背に回った。リディアが手にしているペンタグラムが二つ、コツンとぶつかる音がする。
「大丈夫。守ってくれるのはフォースなんだもの」
「リディア」
 微笑んで見上げてきたリディアを思い切り抱きすくめ、唇をあわせる。
 フォースの脳裏を、シェイド神が離れた時の心が千切れるような感覚がよぎった。その感覚を、リディアは耐えきってくれるのだろうか。もしもシャイア神に心まで連れて行かれるようなことがあったら、きっと自分も正気を保ってはいられない。
 でも、いつまでも苦しい思いをさせてはおけないのだ。自分のこの手でリディアの存在を、リディア自身に必ず伝え続けてみせる。そう心に決め、フォースはリディアを抱き上げるとベッドの側まで運んだ。
 フォースはリディアの手から二つのペンタグラムを受け取り、ベッド脇の棚に置いてリディアと向き合った。部屋着の肩の部分を腕の方へずらす。薄い生地がリディアの肌をすべり、軽い衣擦れの音を立てて床に落ちた。
「綺麗だ」
 恥ずかしげにうっすらと開けられた瞳にそうささやき、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめる。リディアの香気がフォースを満たしていく。目の前にあるつややかな肌で、虹色の光がもがいているように見える。
 不安げに閉じているまぶたに、上気した頬に、小さな息をらす唇に、フォースはそっと触れるだけのキスを繰り返した。
 リディアの手が背中にまわり、フォースを抱きしめる。フォースはその手に応え、心の奥底にまで入り込むように深く口づけた。ずっと前から誰よりも何よりも大切で。お互いの存在が消えて無くなるまで、もう二度と離れないと誓う。
 抱き上げてベッドに横たえ、抱きしめるその距離に身体を置く。自分より少し低い体温がひどく心地いい。何度もキスをするうちに、リディアの腕がフォースの首にんできた。
 なめらかで柔らかな白い肌が、少しずつ立ち上るシャイア神の虹色の光を、まるで真珠のように跳ね返している。のけ反った扇情的な肌をたどるように、唇で強く深く、すぐには消えない跡を付けていく。
 んだ息に交じって繰り返される、聞き慣れた自分の名前さえ、ひどく特別なモノに聞こえる。その声を聞くたび、気が変になるのではないかと不安になるほど、身体が先をせく。
 こんな想いに身体を任せてしまったら、どれだけ残虐になってしまうか分からない。フォースは歯を食いしばり、必死にその強すぎる気持ちを押し殺した。それでも息苦しく吹きこぼれてしまう感情は、リディアには粗暴に感じるかもしれないと思う。
 身体の底から突き上げてくる気持ちを、リディアにできる限りそっと刻み込む。シャイア神の光が勢いを増して部屋いっぱいに広がった。
 周りの見えない目隠しのような虹色の光にえたのか、背をけ反らせながら、しがみついてくるリディアを、ありったけの力を込めて抱きしめる。
 こうして抱きしめ合っている時に降臨を解くというのは、シャイア神の優しさであって欲しいとフォースは思う。心をもぎ取られ、離れていく不安だけなら、気が変になってしまうかもしれない。シャイア神はそれを分かっているから、存在を強く感じていられる時を選んで降臨を解くのだと思いたい。
 でも。シャイア神がこれ以上リディアを望んでも、妥協はしないと心に決める。この身体も、心も、リディアのすべてが自分のモノだ。絶対にカケラも渡さない。
 れる虹色の光が収まっても、フォースはしばらくそのままリディアを抱きしめていた。速かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。リディアの目が開くのを見て、リディアをっていた身体を横にずらし、肩を抱くように引き寄せる。
「シャイア神は?」
 フォースが顔をのぞき込むと、リディアは自分の中を探るように視線を動かした。
「いないみたい」
 その答えに、フォースはホッと息をつき、言いづらさに眉を寄せると再び口を開く。
「ええと。身体は? 大丈夫か?」
「……、大丈夫」
 恥ずかしげに目を伏せて、リディアが微笑む。
 その微笑みが、フォースの左腕に巻かれた媒体に向いた。そっと伸ばしたリディアの手が、媒体を解いていく。離れている時には二人の意識をつないでいてくれた。でもシャイア神がいない今は、すでに思い出の品でしかない。戦士の印としても意味はなくなっている。
 媒体の外れたその腕に、リディアの唇が触れた。微笑んだその唇を引き寄せてキスをする。唇が離れると、リディアはフワリと眠たげなまばたきをした。
「ティオ、来なかったわね」
「石の部屋を出る時、後で、って言ってたよ」
「どうしているかしら。ケンカしてなければいいけど」
 リディアの言葉でフォースは、ワアワア言い合っていた二人を思い出す。
「ねぇ? 後でって、もしかしたら……。ティオも妖精だし」
 言われてみればそうだとフォースは思った。妖精とは時間の感覚が違うのだ、一口に後と言っても、どれだけ後のことか分からない。
「あいつ、本気であの妖精を守っていくつもりなのかな」
「きっと、その方がいいわ」
 意外な言葉に、フォースはリディアをのぞき込んだ。リディアは苦笑する。
「だって、アルテーリアとヴェーナはいつか離れてしまうのだし、ティオにとってほんの少しの時間で、フォースも私も死んでしまうのよ?」
「そうか。そうだな。ヴェーナにいる方がいいか」
 そう言いながら、フォースは自分がこれから生きていられる期間に思いを巡らせた。いつまで生きていられるかは分からない。しかし、長く生きられたとしても数十年しかないのは間違いないのだ。せめてその間くらいは、ずっとリディアを見ていたいと思う。
「フォース?」
 リディアが不安そうな瞳を、考え込んでしまったフォースに向けてくる。
「俺はリディアを離さない。ずっと」
 フォースの言葉に、リディアは安心したように頬を緩ませた。
「嫌だって言われても、意地でも離さないかもしれない」
 フォースがそう言い足すと、リディアはクスクスと笑い声をたてる。冗談だと思われたのかと、フォースは眉を寄せてリディアの顔をのぞき込んだ。
「本気で言ったんだけど……」
 その言葉にも笑みを崩さず、リディアは視線を合わせてくる。
「私もフォースを離さない。タスリルさんみたいなおばあさんになっても」
「えっ?」
 フォースは思わずタスリルの深いシワを歪めた微笑みを思い出し、比較するようにまじまじとリディアの顔を見つめた。
「……まさか。ならねぇよ」
「分からないわよ?」
 真面目な顔でリディアに見つめ返され、フォースは苦笑した。
「それでもかまわない。望むところだ」
 リディアは微笑みを浮かべて安心したようにフフッと笑い、目を閉じて大きく息をつく。
「眠たそうだ。疲れたろ?」
 そう言って、フォースはリディアのまぶたにキスをした。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 リディアは薄く開けた瞳でそう返すと、フォースの肩口に頬を寄せた。
 これで本当に神と名の付くすべてから解放されたのだろう。神の目で見たら、これは解放ではなく、見捨てた、ということなのかもしれないが。
 フォースはリディアが眠ってからも、しばらくその寝顔を見つめていた。

   ***

「フォース? 起きて」
 リディアの声が聞こえ、身体を揺すられている。少し前から起こされていると、フォースは分かっていた。だが今は、耳元でその声を聞き、身体を寄せていることが心地よかった。
「ねぇ、フォースってば」
 昨晩リディアを初めて抱いた。降臨を解いたのだ。もしも何か変化があったらと怖かったが、声が元気そうで安心できた。
「もう日が高いの。ジェイさんかイージスさんが起こしにくるわ」
「起こされてから起きればいいって」
 目も開けず、寝ぼけた声で答える。
「でも……」
 フッと眠りに落ちるときの意識が遠くなる感覚があった。同時にタスリルの顔が目の前に浮かび上がる。フォースは思わずねるように上体を起こした。目を丸くして見上げてくるリディアの顔に見入る。
「……、どうしたの?」
「い、いや。夢? を見たような」
 なんでタスリルが出てくるのかとため息をつき、自分が起きたせいで寝具がめくれていることに気付く。リディアの肌にシャイア神の光は見えず、ただ昨晩付けた赤い跡が残っている。リディアは恥ずかしげに腕で胸を覆った。
「身体は変わりないか? 女神がいなくなって。と、……、おなか」
 フォースはリディアの肩口にひじを付き、ほんのり上気した顔と、真上から向き合った。
「大丈夫」
 リディアは自分の身体の様子を見ることもせずに即答した。その微笑みに安心する。
「よかった」
 フォースはリディアに口づけると、そっと腕をどけ、残っている赤い跡にもキスをした。
 ドアにノックの音がした。お互い息を飲んで見つめ合い、苦笑を漏らす。
「ジェイストークです。レイクス様、お食事の準備ができております」
「え? まだなんにも着、あ」
 フォースは慌てて口を手でふさぎ、クスクスと笑っているリディアに苦笑した。
「い、いや、なんでもない、すぐ用意する」
「では、こちらで待たせていただきます。食事のあとで陛下にご面会をお願いします」
「了解」
 フォースは思わずそう返事をし、軽く吹き出したジェイストークに、ドア越しに舌を出した。