レイシャルメモリー 〜蒼き血の伝承〜

第6章 胎動の大地

   1.解放

「今回は正式な外務になります。そのあいだリディア様はルジェナに滞在された方がよろしいかと」
「駄目」
 後ろから付いてくるアルトスに、フォースは振り向きもせず、そう返事をした。自分の腕を取って歩いているリディアに笑みを向ける。
「駄目、ですか?」
 前を歩いているジェイストークが、そのまま言葉を返してくる。
「リディアの父親に結婚の了承を得なければならないんだ。本人がいないと話しにならない」
 その言葉に、リディアの手に少しだけ力がこもった。ジェイストークは振り向きかけた顔を前に向けると、フォースの私室のドアを開け、ドアを通るフォースに声を掛けてくる。
「反対されたらどうするんですか?」
「もう反対されてる。だから改めて反対されても別に何も変わらない。また間を置いて許してもらいに行くだけだ」
 その言葉にジェイストークは力の抜けた笑みを浮かべ、フォースとリディアを中に入れた。アルトスも部屋に通す。
 部屋の中では、ソーンがフォースを待っていた。嬉しそうに目を細める。
「レイクス様!」
 ソーンは駆け寄ってきて、フォースに抱きついた。フォースはソーンの髪をくしゃっと撫でる。
「ソーン! 元気そうでよかった。留守を守ってくれていたんだってな。ありがとう」
 フォースは赤面したソーンの肩に手を置き、自分の後ろから入室したリディアに笑みを向ける。
「リディア、ソーンだよ。タスリルさんとこの」
 リディアは微笑んでうなずくと、ソーンと向き合って軽いお辞儀をした。
「ソーン君、はじめまして」
 ソーンはハッとしたように勢いよく頭を下げる。
「はっ、はじめまして! 僕もルジェナに行きますっ、よろしくお願いします!」
 そう言ってから顔を上げたが、まっすぐリディアに視線を返せず、視線がさまよっている。照れているのかとフォースが顔をのぞき込むと、ソーンは困惑した顔で見上げてきた。
「レイクス様の目でなくても、リディア様はすごく綺麗に見えますっ」
「は? なに言ってるんだ?」
 フォースはわけが分からず、ソーンの顔に見入る。部屋にイージスが女性二人を連れて入ってきたのが視界の隅に映った。
「レイクス様、誰だって好きな人のことはキレイで可愛く見えるモノだって言ったじゃないですか。だから綺麗じゃないとかブスだとか思ってたのに」
 だから心の準備ができていなかったと言いたいのだろうと、フォースはソーンの気持ちを察した。だが、それを見過ごせば角が立つ。
「それ、その時に否定しただろ」
「ええー? そうでしたっけ?」
 不服そうな声に、イージスが笑みを向けた。
「ソーン、レイクス様は否定なさいましたよ。あの後すぐにシェイド神の力で攻撃を受けられたので、うやむやになってしまいましたが」
 その言葉に、ソーンは顔を赤くしてうつむく。フォースはノドの奥で笑い声をたてると、ソーンの耳元に口を寄せた。
「ソーンの目にどんなに綺麗に見えても、リディアは俺のだ」
 ソーンはそれを聞いて目を丸くする。
「わ、分かってますっ。そんなこと、みんな知ってますから!」
「え? まさか、ソーンまであの話しを聞いたのか?」
 フォースはレクタードの、虹色の光も天に昇っていった、という言葉を思い出して言った。ソーンは興味深そうな顔になる。
「レイクス様、あの話しってなんですか?」
 フォースは乾いた笑いを浮かべ、何も言えずに口をつぐんだ。イージスが柔らかな微笑みをソーンに向ける。
「ソーン、レイクス様と大切なお話がありますので」
 はい、と返事をすると、ソーンはおとなしくドアの側、アルトスの隣に立った。フォースはホッとしつつもいくらか緊張してイージスを見やる。
「婚儀にご着用いただく式服のための採寸をするようにとの指示を承っております」
「ずいぶん早いな」
 思わずそう返したフォースに、イージスは苦笑した。
「仕立てる時間をいただきませんと。特に式服は形ができあがったあとにも、金糸銀糸での刺繍や石を縫いつけたりと様々な作業がありますので」
「リディアのは頼むよ。俺はなんでもいい」
 リディアをイージスにまかせながら言ったフォースの言葉に、アルトスが冷たい視線を向ける。
「釣り合いを考えろ」
「じゃあ甲冑でいい」
「おま……」
 アルトスは慌てて言葉を切り、そっぽを向く。二つめの寝室に入っていくリディアとイージス、採寸に来た女性二人を見送りながら、フォースはノドの奥で笑い声をたてた。
「それでいい。ていねいな雰囲気だけでも気味が悪いのに、レイクス様なんて呼ばれたら全身がくなりそうだ」
 フォースは跳ね返りそうな勢いでソファに身体を預ける。
「しかし、レイクス様は継承権一位の王族でございます」
 わざわざ名を呼んで返したアルトスの顔が、半分笑っている。フォースはソーンを側に呼び寄せて隣に座らせ、苦々しげにアルトスを見上げた。
「俺のことはお前と呼べ。せめて同等に接しろ。これは命令だ」
御意
 そのアルトスの返事を横目で見やり、フォースはため息をついた。心配げに見上げてくるソーンに苦笑を返す。
 アルトスは自分が嫌がっているのを分かっていて、ていねいな対応をしているのだろう。側に立っているジェイストークも、微笑んでいるというよりは笑いをこらえているという顔だ。放っておけばアルトスの態度は元に戻りそうだとフォースは思った。
「そういえば、ルジェナに立ててある仮の領主って誰なんだ? 初めてここに来たときにやった披露目には来てたのか?」
「いえ。なにより高齢ですし、国境付近に住んでいますので、移動は避けたのです。お呼びしたかったんですけどね」
 ジェイストークはそう言うと肩をすくめた。
「陛下は補助役とか相談役とかおっしゃっていましたが、少ない人数ではありませんので、名簿ができ次第お持ちします」
「頼むよ」
 知らない人間のことを今聞いても仕方がない。実際会ってからでも問題ないから、説明されないのだろうと思う。だがやはり先に聞きたいことはある。
「ジェイは来るのか?」
「はい。あの、それでですね、父のことなのですが、できましたら一緒に……」
 珍しく眉を寄せたジェイストークに、フォースは苦笑を返した。
「連れて行けばいいじゃないか。むしろ一緒に行ってくれた方が、俺も安心だよ」
 ありがとうございます、とジェイストークは頭を下げた。顔を上げると気が緩んだような笑みをフォースに向けてくる。
「他にご一緒させていただくのは、イージス、テグゼル、ナルエスは決定しています。あ、もちろんソーンもです」
 うちから通えるんだ、と言ったソーンに、フォースは微笑んで親指を立ててみせた。
「で、アルトスは?」
 フォースが視線を向けると、アルトスはチラッとジェイストークを見てから口を開く。
「私はマクラーンに残る。まぁ、ルジェナとの間を往き来させられる立場ではあるが」
「え? 行くんじゃないのか?」
 すぐにそう返したフォースに、アルトスは眉を寄せた。
「そのくらい分からないのでは、先が思いやられるな。私は前線にいたんだ。特に友好を進めなくてはならない今は、国境近いルジェナに滞在するわけにはいかない。邪魔になるだけだ」
 アルトスは呆れたようにフッと鼻で笑うと、フォースから顔を背けた。フォースはその様子に肩をすくめる。
「そうか? むしろ俺に鼻で使われてた方が、友好になるだろ」
「なっ?!」
 呆れたのか驚いたのか、アルトスは口を開けたまま呆然と視線を向けてきた。フォースが反応を返す前に、ジェイストークが声を抑えて笑い出す。
「一理あります。ありますってば」
 腹を抱えた遠慮のない笑い方に、アルトスが不機嫌な視線を向けた。ジェイストークはかまわず笑い続けている。
「まぁでも、マクラーンにも人員は必要ですし、アルトスはどこででも顔が利きますから、移動の護衛に適任なのですよ。レイクス様は次期皇帝なのですから、どういった時にもある程度の人員をえなくてはいけませんし」
 次期皇帝との言葉に、フォースは思わず顔をしかめた。それを見ていたのだろう、アルトスが控え目なため息をつく。
「陛下も仰せの通り、私もお前が適任だと確信している」
「その話しはいい。今何を話しても、状況は変わらない」
 フォースが皇帝になることに二人がこだわるのは、たぶん母エレンを記録に残し、その存在を確固たるものとして認識したいからなのだと思う。
 記録として考えるならば。載せたいのがライザナル王家の家系図に限定されるなら、自分が皇帝にならなければどうしようもないのかもしれない。だが限定しなければ、神がライザナルを離れるきっかけを作ったのだ、黙っていてもどこかに残るだろうと思う。
 記憶しておくための記録なら。母エレンの記憶は、すでに誰もが持っている。日々薄れもするだろうが、何かきっかけがあれば鮮明に思い浮かぶ瞬間もある。
 だが。大切に抱えていることができて、少しずつ消えていくものが、人間にとって幸せな記憶なのかもしれないとフォースは感じていた。
 種族の記憶として存在したあの詩は、消したくても消すことができず、存在を思い出してから今まで、一時も解放されなかった。事が済んだ今になってから、ようやく忘れることを許された気がするせいで、そう思うのかもしれないが。
「どうかしましたか?」
 いくぶん心配げな顔で、ジェイストークがフォースの顔をのぞき込んだ。フォースは笑みを浮かべてジェイストークを見上げる。
「本当によかったと思ってるんだ。ここで産まれて、メナウルで育って、神の守護者で、ライザナル王室の血も引いて。どれか一つ欠けていたらと思うとゾッとする」
 自分がさらわれたときの記憶がアルトスに残ったまま消えていかないならば、それは間違いなく不幸なことだ。それを払拭できるのは母エレンがいない今、自分以外にはないのかもしれないとフォースは思った。
「ここで産まれて何事もなくここで育てば、それで幸せだったかもしれないんだぞ?」
「あれは選択肢じゃない。不可抗力だ」
「さらわれた時の状況を知っていたのか」
 アルトスは隠そうともせず、あからさまに顔を歪める。
「お前には不可抗力だっただろうが、私には違う」
「いや。アルトスにもだ。どっちにしろ母はライザナルを出たよ」
 その言葉にも、アルトスの眉をしかめた表情は変わらなかった。予想通りの反応に、フォースは苦笑する。
「納得してくれる状態で出たら、アルトスは今ほど強くならなかったかもしれない。出るために裏切るような状況だったら、母は逆にアルトスに殺されかけていたかもしれない」
「出ない、という選択肢は思いつかんのか」
 その冷ややかな声に、フォースはアルトスを見やった。
「そうはならない。必ず出ることになるんだ」
「なぜそう言い切れる?」
「俺がそうだったから」
 肩をすくめたフォースに、アルトスがしげな顔をする。ジェイストークが、いつもよりいくらか控え目な笑みを、フォースに向けた。
「あの詩には、それほどの拘束力があったと……」
 フォースはジェイストークとアルトスに視線を走らせ、うなずいてみせる。
「俺は知らない間にガチガチにられていた。相手は神だ、母も同じようなモノだったと思う。これが運命だとでも言いたげに自然に、でも強引に」
 その言葉に、アルトスは難しい顔つきで目を細めた。ジェイストークもいつもの笑みが消え、感情の見えない顔で床の隅に視線を向けている。
「それでも、母は幸せを感じていたと思うよ。実際、俺を心配そうに見る以外は、笑顔だったし。それに最後に言い残したのが、強くなりなさい、誰も恨んではいけない、だったんだ。それも斬られてすぐに斬った奴の目の前で、そう言えたんだから」
 アルトスとジェイストークがチラッと視線を交わした。ジェイストークは大きく息を吐く。
「それでグレなかったんですか」
「はぁ? なんの話しだ」
 虚を衝かれて見上げたジェイストークは、余裕の笑みを浮かべたいつもの顔に戻っている。
「いえ、不思議だったんですよ。レイクス様が、なぜを取ろうとなさらなかったのかと。エレン様の遺命を守られたからだったのですね」
 その言葉に、フォースの中でもう一本の糸が繋がった。
「ああ、そうか。あの時それを守らずに反抗していたら、きっとその場で斬り殺されていたのかもな……」
 グスッと隣で鼻をすする音がした。その音に見下ろしたソーンの目から、ボロボロと涙がこぼれる。
「え? あ。ソーン? なにも泣くことは」
「だってレイクス様……」
 泣きやみそうにないソーンの肩を抱き、フォースは苦笑した。
「全部昔のことだから」
「でも、可哀想だよ……」
「可哀想だなんて言ったら、ホントに可哀想みたいじゃないか。母も俺も、もう全然可哀想じゃないよ?」
 ソーンの頭を撫でながら言うと、ソーンは涙の止まらない顔で見上げてくる。
「ホントに?」
「それとも、可哀想に見えるのか?」
 ソーンは、フォースの向けた笑みを見つめ、うーん、と考え込んだのち、首を横に振る。
「見えない」
 そうだろ、と言いながら、安心する自分が可笑しい。フォースはソーンを抱きしめ、背中をポンポンと叩いた。フォースの腕の中、ソーンは手の甲で涙を拭いている。
 そこにアルトスが手を差し出した。
「顔を洗いに行くぞ」
 素直にうなずいて立ち上がると、ソーンはアルトスの後について水場の方へと入っていく。アルトスの意外な行動を、フォースは思わず視線で追った。
「ほとんど話さないのですが、打ち解けてはいるんですよ」
 ジェイストークの言葉に、フォースは、へぇ、と肩をすくめた。
 不意にリディアが採寸していた部屋のドアが開いた。イージスが顔を出す。
「レイクス様、いらしていただけますか?」
「え? あ、いいけど」
 なんだろうと思いながら席を立ち、フォースは部屋に入った。
 リディアは奥の方にある椅子に腰掛け、ペンを持ったまま顔を上げた。フォースに微笑みかけると、ドレスの形の説明でもしているのだろうか、採寸に来た女性の一人と向き合って、また話しを再開する。
「レイクス様、こちらへ」
 疑わしく思いながら歩を進めると、採寸に来たもう一人の女性が側に立って頭を下げた。
「採寸させていただきます」
 その言葉に、フォースは思わず目を丸くした。
「は? 俺は別になんでもいいって」
「そういうわけにはまいりません。リディア様のお召しになるドレスと見合った式服を、ご用意させていただきます」
 見合った衣装というのが、全然頭に浮かばない。ただイージスが言っていた、金糸銀糸での刺繍や石を縫いつけたり、という言葉が思い浮かんでくる。
「あまり派手なのは……」
「ご心配くださらなくても、過度な装飾は避けるようにと、リディア様に言い付かってございます」
 女性に名前を上げられ、リディアはもう一度顔を上げてフォースに笑みを向けた。フォースは思わず微笑み返し、採寸の拒否ができなくなる。ため息をつき、顔を引きつらせたことに気付いたのか、イージスが控え目に息で笑った。
「見合った式服を身に着けていただかないと、リディア様がお可哀想ですよ」
「え。可哀想……?」
 確かに、そう言われればそうかもしれないと、よく分からないだけに思ってしまう。
「リディア様のご婚礼のお姿を拝見できるのが楽しみですね」
 イージスはフォースの後ろに回り、上着を脱がせにかかった。フォースは思わずそれを避ける。
「いい。自分でやる」
 フォースは上着を脱いで肩の部分を合わせ、ベッドに放った。イージスが苦笑しているのが目に留まる。
「なんだよ」
「すべておまかせくだされば、よろしいですのに」
「それじゃあ落ち着けない」
「なんでもお一人でされてしまわれては、周りの者が落ち着けません」
 イージスの言葉に、返す言葉が見つからない。フォースは黙ったまま、おとなしく採寸を受けた。

   ***

「出発の予定は変更なさらなくてもよろしいでしょうか」
 ドアの前に立って振り向いたジェイストークが、明朝に迫った出立についてたずねてくる。フォースはソファにいるリディアを振り返り、その笑みを見てからうなずいた。
「では、明日の朝まいります」
 ジェイストークが礼を残して出て行き、フォースは身体の空気を吐ききるほど、大きく息をついた。それからドアに鍵をかける。
 リディアを振り返ると、ソファを立ち上がり、部屋の奥へと向かっていた。厨房へのドアを開け、リディアが振り返る。
「何か飲むでしょう?」
 うなずいたフォースに笑みを向け、リディアは厨房へと入っていった。フォースはその後に付いていく。
「もう何がどこにあるのか覚えたのか?」
「何をするにしても、だいたい準備はできちゃってるの。カップが二つあって、ポットとお茶の葉があって、お湯までいてる」
 そう言いながら、リディアはお茶の葉をティーポットに入れている。
「それにしても、リディアは何から何までよく順応できるな。尊敬するよ」
 後ろに立ったフォースの言葉に、リディアは笑顔を見せ、お湯をティーポットに注ぐ。
「違うの。私はただ、お姫様ごっこをしているだけ」
「ごっこって。これからずっとなんだけど」
 フォースは思わず苦笑した。リディアはティーポットに蓋をすると、身体ごと振り返る。
「そうなのよね。そう思うと、子供のままでいるみたいで、なんだか変」
 そう言って笑うと、リディアはまたティーポットへと向き直る。フォースは後ろからそっとリディアを抱きしめた。
「一生ままごとってのもな。全然子供じゃないし」
 フォースはリディアの唇を引き寄せて、触れるだけのキスをした。恥ずかしげに一度うつむいてから、リディアは頬を上気させ、フォースを見上げてくる。
「少しずつ慣れるわ、きっと」
「そうだな。リディアのお姫様ごっこには勇気づけられてる」
 フォースが笑みを持って言った言葉に、ええ? と不服そうな声をあげて向き直ったリディアを、もう一度、今度はきつく抱きしめる。息を飲んだリディアに、フォースは微笑みを向けた。
「リディアがいてくれてよかった」
 すぐ側で見開かれていた瞳に笑みが戻ってくる。フォースはそのまぶたに、そして唇にキスを落とした。リディアが息苦しさについた息の隙間から、キスを深くしていく。
 さまよったリディアの指先で、カチャッとカップが音を立てた。リディアがうつむくように離れる。
「リディア?」
 唇を追いかけようとしたフォースの胸を、リディアの手が押しとどめた。
「待って。お茶が濃くなっちゃう」
「あ、そうか。忘れてた」
 フォースの背に触れていたリディアの手がポットに伸び、フォースは腕を解いた。
「もう。どうしてここに居るのよ」
 リディアは頬を上気させたままノドの奥で笑い声をたて、カップにお茶を注ぎ始める。
「ねぇ、この香り。濃くない?」
 フォースはリディアの背中から、カップに注がれていくお茶をのぞき込む。
「平気平気」
 リディアはフォースの返事に笑顔を返すと、もう一つのカップにもお茶を注いだ。
「楽しみね。ルジェナとヴァレス」
「ああ」
 リディアは台の上に置いたトレイに、お茶の入ったカップを乗せる。
「城都も久しぶりだわ」
「そうだな」
 フォースは、ほんのりと赤味の残っているリディアの頬に、後ろからキスをした。リディア越しにお茶の乗ったトレイを手にすると、先に立って部屋へと戻る。
「スティアも早くレクタード様に会わせてあげたいわ」
 そうだね、と返事をしながらトレイをテーブルに置いてソファーに落ち着いた。後ろから付いてきたリディアは、フォースの隣に座る。
「住む場所は、どんなところなのかしら」
 リディアがお茶をフォースに手渡しながら聞いてきた。フォースはうなずいて口を開く。
「それなんだけど。見たことがないから一応聞いてみたんだ。王家が所有する中では、一番小さいって言ってたよ。申し訳ないとかなんとか」
「ホント? 嬉しい。振り返ればそこにいるってくらい小さいかもしれないわよね?」
「いや、どうだろうな」
 フォースは受け取ったお茶を一口飲むと、眉を寄せて答える。
「王家が所有する中では、ってのが、どうもな。その辺、俺たちの常識は通じないだろうから」
「常識……。マクラーン城も大きいけど、ここだけでも広いわよね」
 リディアは改めて部屋を見回した。その様子を見て苦笑すると、フォースはお茶をもう一口飲んでカップを置き、リディアの肩を抱き寄せた。
「仮の城主がいるわけだし、ジェイやソーンやイージスも一緒なんだから、それなりには大きいと思うよ」
「そうよね。凄く大きいかもしれないわよね……」
 つぶやくように言うと、リディアはうつむきがちに何か考えている。フォースが顔をのぞき込むと、笑みのあいまに不安そうな表情が見えた気がした。
「家が大きくても小さくても、ずっと側にいろよ。リディアにいてもらう場所くらいは、どんな部屋にでもある」
 リディアは一瞬だけ目を見張ってから微笑んでうなずき、ホッと息をつく。フォースは、リディアがカップに伸ばしかけた手を取った。
「え? お茶……」
「濃い。苦いよ」
 フォースはリディアに苦笑を向けた。
「だってフォース、二口飲んだわ?」
「俺は苦いの平気だし。ほら」
 フォースはリディアの肩に置いた手を引いて軽くキスをした。唇を離して息の掛かる距離で見つめると、リディアはキョトンとした顔で見つめ返してきた。
「まだ香りが残ってただろ」
「ええ。普通にお茶の香りが……」
「普通に?」
 フォースの笑みにつられるように、リディアが笑い出す。
「入れ替えるわね」
 立ち上がろうとしたその肩を押さえるように力を込め、フォースはリディアを引き留めた。
「後でいい」
「どうして?」
 フォースは腕の中にリディアを包み込んで口づけた。いきなりで驚いたのか、リディアのノドから、んぅ、と小さく声が漏れる。フォースはリディアの背を支えるように手を添え、身体に被さるように押し倒す。
「今入れても、飲む時には冷めてしまう」
 リディアは倒れた時に閉じた目を少しだけ開き、微かな笑みを浮かべる。誘うように薄く開かれた唇に、フォースは唇を合わせた。