レイシャルメモリー後刻
   ***

 馬車に一人で乗っているという状況は、レイサルトにとって一息つける貴重な時間だった。進行方向を向いて座り、窓から外を見つめる。
 馬車はルジェナ城の敷地内に入ったところだ。城壁の内側だが、郊外の風景と変わりなく、豊かな緑が広がり川が流れている。レイサルトが生まれてから五歳までの間に住んでいた城であり、とても懐かしく、安心できる場所だ。
 フォースが飼っていたファルの子孫、コルが運んできた手紙によると、両親のフォースとリディア、ラバミスという客人は、五日分ほど後ろをこのルジェナに向けて移動中らしい。レイサルトはまっすぐメナウルに入るが、後から来る三人はここから東へ移動し、神と話せる位置までディーヴァの山に登る予定だと聞いた。
 種族の村まで行くのだとしたら、是非とも行ってみたかったとレイサルトは思う。正確には四分の一だが、自分の起源はそこにもあるのだ。種族への感情は、ここルジェナを故郷と懐かしんで思いを馳せるのと、少し似ているような気がする。
 そう思うとレイサルトは、なおさら行けないことが悔しくなってきた。今回は駄目でも、いつか行ってやると心に決める。
 二つめの城門をくぐって湖の上を渡り、三つ目の城門に入る。花々の植えられた花壇を通り過ぎ、四つめの城門を超えて、ようやくルジェナ城が目に入ってきた。
 城正面の出入り口にはレクタードとスティア、その娘のマルジュとフェネスが立っているのが見える。マルジュは上の弟レンシオンと同じ十三歳、フェネスはマルジュの二歳下になる。二人ともフリルがたっぷりの可愛らしいドレスを身に着けていた。自分の家族よりも、着ているモノが派手だなと言う思いが頭をよぎる。
 レクタード一家の前まで進むと、馬車は動きを止めた。アルトスの手によってドアが開けられ、レイサルトは馬車を降り、レクタードの前に立つ。
「叔父上、お久しぶりです」
 レイサルトの挨拶に、レクタードはていねいなお辞儀をした。それは、レイサルトの両親が隣に立っている時と、微塵も変わりないものだ。レイサルトは、このレクタードよりも地位が上なのだと再確認した気がした。中身がっていないという思いが胸に痛い。
「明日朝までの滞在です。よろしくお願いします」
 レイサルトがそう言い足すと、レクタードのもう一度同じようなお辞儀と、儀礼的な笑みが返ってきた。
「まずは、お茶でも」
 レクタードは先に立って歩き出した。レイサルトはスティアに指し示され、レクタードの後に続く。兵士に混ざって立っていた、小さな頃に遊んでもらった元兵士のアジルに敬礼され、軽く返礼をして通り過ぎた。
 皇帝一族の私的な部屋は、すべて三階に設けてある。お茶もたぶん三階のどこかの部屋だろうと思いつつ、レイサルトは階段の上を見上げた。
 レイサルトがルジェナ城に住んでいた頃、一族の部屋は一階にあった。フォースとリディアがマクラーンに移った時、城を術で守っていたタスリルがヴァレスに戻ったために、三階へと移したらしい。タスリルは叔母のニーニアを弟子として、元居たヴァレスで薬屋を再開した。そして先代の皇帝クロフォードが逝去後、一月もしないうちに亡くなっている。ヴァレスでは、ニーニアの店にも寄る予定が立てられていた。
 案内されたのは、前にもお茶を飲んだことのある応接室だった。護衛の騎士をドアの外に置き去りにして中に入る。レクタードの表情は軟らかくなり、スティアは微笑むどころかクスクスと笑い声まで立てている。前に会ったときと変わらない雰囲気に、レイサルトはホッと息をついた。ただ娘二人、マルジュとフェネスは、まだ幾分緊張しているように見える。
「レイは、また背が伸びたわね。越されてる?」
 正面に立ったスティアの目を見ると、レイサルトの視線は、ほんの少しだが下を向く。
「そうみたいです」
 思わず嬉しくなって笑みを浮かべると、スティアは顔を寄せてきた。
「やっぱりフォースに似ているわ。この瞳、懐かしい色」
 こうして目をのぞき込まれると、どうしていいか分からなくなる。レイサルトは苦笑しつつ後ずさった。
「そうやって逃げるのも同じね」
 スティアの言葉に、レクタードが控えめな笑い声を立てる。
「普通、意味もなく顔が近づいてきたら逃げるだろう」
「そうだけど。あ、お茶にしましょうね。マルジュ、フェネス、席について。レイはそこね。あなたも」
 スティアに急かされて、レクタードも座らせられている。みんなを座らせたかと思えば、スティアはお茶を頼むために、ドアから廊下をのぞき込んだ。
 この一家は普段、スティアが先導して動いているように見える。かといって、人前でレクタードの前に立つことはない。レクタードもそれが楽なのだろう、逆らうことなく従い、その手の中で仕事も生活も、そつなくこなしている。
 両親にしろこの夫婦にしろ、側で見ているにつけ、世の中にはちょうどいい伴侶が存在するのだと、レイサルトは信じていいと思えた。自分の伴侶を見つけることができるかと問われたら、分からないとしか言い様が無いのだが。
「そういえば、リオーネ様は……」
 先代皇帝クロフォードの正妻リオーネは、ルジェナ城に住んでいるが、まだ姿を見ていない。レクタードはレイサルトに苦笑を向けてきた。
「元気なのだが、少し記憶が混乱するところがあってね」
 そこまではレイサルトも話しを聞いて知っていた。うなずいて先の話に耳を傾ける。
「会わないでやって欲しいんだ。レイはフォースに似ているから、罪悪感か、もしくは敵意のようなものが喚起されてしまうかもしれない。静かに暮らさせてやりたくてね」
 分かりました、と返事をしながら、レイサルトはスティアのため息に目を向けた。
「私もたまにしか会わせて貰えなくて。でもお会いするとね、いつも楽しそうにしていらっしゃるわ」
 スティアはフフッと息で笑う。
 クロフォードもフォースも否定したのだが、フォースとリオーネとの間に確執があるとの噂は何度も再燃した。リオーネの安全確保のためにも、フォースは皇帝を継ぐ覚悟を強めたのだと聞いている。それを考えればリオーネは、嫌な噂を耳にしなくなっただけでも幸せなのかもしれないとレイサルトは思った。
「お茶をお持ちしました」
「入れ」
 レクタードの声でドアが開く。まずはアルトスが入室し、ドアの横、内側に立った。後からお茶や果物、お菓子を持った女性が三人入ってきて、テーブルに乗せていく。
「一人で行くことになって、日程はそのままなの?」
 隣の席に座ったスティアが言葉を向けてくる。
「変わりはないのですが、いくらか猶予をいただいています。陵墓完成の式典までに戻ればいいと」
 レイサルトがそう返すと、レクタードとスティアがチラッと視線を交わす。
「そう、そのお墓。次は私たちの番なのよ。お揃いでいいって言ったら、慣例と違うから見てから決めろって。一体どんなのを作ったの?」
「どんなって。幅が広くって、その……」
 ハッキリ言うのがはばかられて言葉を濁すと、レクタードは楽しげに笑い声を立てた。
「一緒に入るって?」
「ええ。そのようなことを言ってました」
 お茶を置いた女性と目が合い、レイサルトは顔が赤くなった気がしてうつむく。スティアは、そういえば、とレクタードに視線を向ける。
「あなたのお父様が作るって言ってらしたのは何だったの? フォースのお墓だったのではなくて?」
「いや、話を詰めて作る段になってから、結局、息子の墓だと思ったら作れない、と言いだしてね。もともと代々自分で作ることになっているから慣例を守ることにする、とか」
「子供のお墓を作る気になれないのは分かるわ」
 うなずいたスティアに、そうだけど、と返すと、レクタードはお茶を持って来た女性が部屋を出て行くのを見送りながら、ノドの奥で笑い声を立てる。
「でもねスティア、父はあの時、ちゃんと自分の場所の隣に、フォースの墓を確保したんだ。その向こう側がリディアさんで。それから、口を滑らしたのを聞いてしまったんだけど」
「なになに?」
「二人一緒に入る棺じゃ、遠くなるって」
 二つの棺の隙間が無くなった分だけ、ということなのだろうか。レイサルトと同じ疑問を、スティアが口にする。
「せいぜい一歩分の違いじゃない?」
「私もそう思うよ」
 レクタードは軽く肩をすくめた。端から見ていても、クロフォードにフォースが気に入られているのは分かっていたが、そこまでだったとは知らなかった。思わず冷めた笑いが口を突いて出る。
「あらレイ、子供好きは、フォースにも遺伝しているわよ?」
 ブッと吹き出して、レイサルトは口を押さえた。お茶を含んでいなくてよかったと思う。
「スティア、脅してはいけないよ。リディアさんがいるうちは大丈夫だ」
「そうね、いるうちはね」
 なんと返していいか分からず、レイサルトは両親の態度に思いを巡らせた。確かに仲はいいと思う。それだからこそ、片方がいなくなる、という状況が考えられない。
「本当に、そうなるでしょうか」
「ならないで済む方法が一つだけあるわ」
 そう言ったスティアに、レクタードが、あるかな、と疑問を投げる。
「あるのよ。フォースが口を挟めないくらい寄り添える相手と結婚することよ」
「そうか。子供のことを考えたら邪魔をしてはいけないと思うだろうから、そうそう手を出すこともできなくなるだろうしね」
 確かにそれは、非常に有効な手だとレイサルトは思う。でも、そういう人を見つけなくてはならないという、とんでもなく難しい障害が残っている。レイサルトは頭を抱えたくなる気持ちを抑え、苦笑にとどめた。
「そうそう、お嫁さん候補は挙がってるの?」
「は? 何も聞いていませんが」
 レイサルトは驚いてそう返したが、返されたスティアも驚いたらしく、目を丸くしている。
「ええ? まだ何も? ホントに?」
 はい、と返事をしつつ、本当にそんな話しがされているのだろうかと、レイサルトは不安になってきた。
「ねぇ? ライザナルって、そういうところは、うるさくないの?」
 スティアがレクタードを振り向く。レクタードは、そうだなぁ、と考え込みながら、手にしていたカップを机においた。
「逆じゃないかな。変な女が寄ってこないように監視をされるとか、面倒があったら言えとか」
「あなたも甘やかされてたんじゃない」
「まぁ、それはそうだ。私だけ甘やかされていなかったら、いくら何でもグレるよ? フォースが戻ったのが親が面倒になったくらいの時期だったから、私はむしろありがたかったんだが」
「じゃあ、フォースはその親が面倒な時期真っ最中に、あの勢いで干渉されまくったのね?」
「そう。大変だったと思うよ」
 夫婦で話が弾んでいるのを聞きながら、レイサルトはその娘のマルジュとフェネスに目を向けた。二人がキョトンとして両親を見ていた視線がこっちを向く。親が甘やかされていたなんて事を、二人も初めて聞いたのだろう。微笑んで見せると、姉のマルジュは顔を赤くしてうつむき、妹のフェネスからは満面の笑みが返ってきた。
「兄のところのファリーナはどうかしらね?」
「は? 何がですか?」
 レイサルトがスティアに問いを向けられて慌てて聞き返すと、しかし、とレクタードが口を挟んでくる。
「フォースは国外からの皇帝だからね。レイはむしろライザナルの女性と結婚して欲しいんだが」
 なんだ結婚相手の話しか、と軽く見る気持ちと、なぜいきなり結婚相手か、という疑問が頭の中でグチャグチャしている。笑って誤魔化すしかなかった。
「あら、笑い事じゃないのよ?」
 スティアはそう言いながら笑っているので、まったく説得力がない。でも、そろそろそういう時期だということを意識しろと言われている気がした。
 ふとレイサルトの視線の端に、アルトスがドアを細く開け、廊下にいる人の話を聞いているだろう姿が見えた。思わず首を巡らすと、それに気付いたスティアがサッと立ち上がり、アルトスの側に行く。
「甲冑を届けに来たとのことですが」
 向き直ったアルトスに、スティアは笑みを浮かべている。
「ここに運んでもらって。フォースが来るまで飾っておくわ」
 フォースの名が出てきて、レイサルトはアルトスと視線を交わした。スティアは小さく笑い声を立てる。
「表向き儀礼用の甲冑よ」
「表向き、ですか? 儀礼用とは違うんですか?」
「頼んだのは儀礼用なのだけど。ワーズウェルさんが、フォースが着るなら手は抜かないって言ってたのよ」
 レイサルトはその名前を知っていた。自分が剣の練習をするための鎧が、ワーズウェルの作ったモノなのだ。フォースがウェルさんと呼んでいた、わりと大きな体つきの老人が頭に浮かぶ。
 降臨が無くなって以来、メナウルは気温が上がったので、革製の鎧が多くなり、金属製の甲冑は需要が減ったらしい。ワーズウェルは、それで工房をルジェナまで北に移したと言っていた。
 部屋に運び込まれてきた甲冑は二つで、頭の先から足先まで揃ったモノと、半甲冑だった。どちらも地が紺色に輝き、細かな金色の細工が施されている。だが、誇張されている部分などは一切無く、とても機能的に見える。派手派手しく飾り立てた甲冑より、よほど美しいとレイサルトは思った。
 自分がポカンと口を開けて見ていたことに気付き、レイサルトは慌てて手で口を押さえた。だが、レクタードもスティアも黙ったまま見とれている。
「とっても綺麗ね」
 そう声を出したのは妹姫のフェネスだ。マルジュはその横で、何度もうなずいている。子供らしく正直な感動が見えて可愛らしい。
 持ってきたのはワーズウェル本人ではなかったが、甲冑を大事そうに飾っていく手を見ていて、この人も作る人なのだと感じた。もしかしたらワーズウェルの跡継ぎなのかもしれない。
 この甲冑は、父には似合うに違いないとレイサルトは思う。いつも迷うことなく真っ直ぐ前に目を向け、毅然とした態度で事に当たっていく人だ。レイサルトは跡継ぎとして、自分がこの職人と同じだけのことができているだろうかと疑問に思う。
 職人は甲冑を飾り終わると、深々と礼をして部屋を出て行った。レクタードはそれを見て全身を包む甲冑の前に立つ。その隣にスティアが進み、顔を隠す部分、面頬を上げた。レイサルトは、ぽっかりと空いたそこに、フォースの顔が見えた気がした。

   ***

「ここルジェナから少し南下して、を横切るのが早い」
 ラバミスは、机に広げた地図上のディーヴァ山脈南端を北東方向に横切るように指を動かして視線を上げた。
「リディアもいる。ギリギリまで馬車を使いたいんだが」
「この道が一番側まで行ける」
 そう言ったラバミスの目を、フォースは真っ直ぐ見返し、先を示すように促した。ラバミスはかすかに肩をすくめ、もう一度地図に目を落とす。フォースが凝視する指先は、ディーヴァ山脈東側をラジェスと向かい合うあたりまで北上し、そこから北西方向に山の中腹まで登る。
「ここからは徒歩だ」
 その指は、山を登って消える道の途中から左に折れ、南西へと結構な距離を移動して止まった。誰も知らなかった種族の村は、そこに存在するのだ。だが、地図の情報だけではリディアの足でどのくらい掛かるのか、予想が付けられない。道の険しさにもよるだろう。地味に進む以外にない。
「神の声は遠い。村でなんとか聞き取れるほどだ。話しをするためには供物台まで行く必要があるかもしれない」
 ラバミスの指先は、さらに山頂方向、西へと動いた。供物台という響きが、嫌悪感になって広がる。たくさんの命が奪われただろう場所なのだ。そして、後にフォースを産むエレンがクロフォードにさらわれたのも、そこでの出来事だった。
「ラバミス、もう一度聞くが。こちら側に対して、敵意を持つ者はいないんだな?」
「何度も言わせるな、そんな奴はいない。第一、一人二人いたとしても、種族の者は武器を持たないことを知っているだろう」
 何度も変わらない言葉を返してくるラバミスを、フォースはジッと観察していた。ラバミスも目を合わせたまま一歩も引かない。ラバミスが村の隅々まで把握しているかは分からないが、目の届く範囲のことなら信じてもよさそうだとフォースは思った。
 それよりも、一番の問題はシャイア神にある。何を要求されるのか分からないが、もしもそれを果たせなかったら、その時こそ種族は敵になってしまうだろう。
「じき出る。準備を頼む」
「分かった」
 ラバミスの返事を聞いて、フォースは部屋を出た。そこで待っていた騎士はブラッドだ。ラバミスの部屋を少し離れてから、フォースは口を開く。
「村の位置も、供物台の位置も聞いた」
「あ、じゃあ、一応逃走経路も練っておきますね」
「頼む」
 シャイア神に追われるようなことがあったら、逃げ切るなんて無理なのかもしれない。だからこそ今回、なにもしないでいるわけにはいかなかったのだが。
 シャイア神が会わせろと言っているのはリディアだ。神が自ら手を離した人間に、今さら何を求めるのか。人間を育てたことへの恩返しをしろと言われる筋合いはないが、最後に残す一言を聞けというなら、聞いてやってもいいと思うのだ。
 大きく見て、神が親で人間が子だと当てはめて考えていたせいか、フォースにはシャイア神の要求が無理難題には思えなかった。もしもリディアに理不尽な要求をするなら、残っている関係も、すべて断ち切るつもりでいる。神を相手に、それができるかどうかは分からないのだが。
 先に立って歩いているフォースに、ブラッドが後ろから声を掛けてくる。
「例の、着るんでしょう? 半甲冑なら山を登るにも、ちょうどいいですし」
 幾分笑いが混ざったような楽しげな声に、フォースは顔をしかめて一瞬だけ振り返った。
「脅しやハッタリにしか見えないだろ」
 歩を進めながら、ゴートで階段から落ちて死んだセンガに言われた言葉を思い出し、フォースはそのまま口にした。
「その台詞どこかで……。あ、いえ、もしそうだとしても、ライザナルの皇帝なんですから、普段からあれくらいの物を着けていてもおかしくないです」
「甲冑だぞ? おかしいよ」
「そうじゃなくてですね。あのくらい飾りが付いていても、という意味です」
 確かに、クロフォードやディエントが着るなら、装飾がある甲冑の方がしっくりくるだろうとフォースは思う。自分がそこまでなれているかと問われれば、首を縦には振れない。
 だが、普通の甲冑には、身を守る以外に意味は無い。危ないから甲冑を着けていると思われるよりは、儀礼用に着けていると思われた方が、まだ種族の者たちに敵意を感じられなくて済むだろう。
「数人は一緒に行動できますし、最低限の軍も一緒に行動しますが、いくら武器を持たない種族でも、ウェルさんの甲冑を着けて帯剣してくださった方が断然安心です。それに、陛下はあの種族にとって戦士なんですから、普段着が甲冑でも違和感は無いと思いますよ?」
 ブラッドの言葉に、思わず噴き出しそうになる。
「普段着って。違和感が無いわけないだろ。着けた方が安全だからそうしろって、最初から言ってくれればいいのに」
 フォースがそう返すと、ブラッドは照れ隠しのように冷めた笑い声を立てた。つられて笑みを浮かべながら、リディアが待っている用意されていた部屋のドアを開ける。
「フォース」
 にこやかな笑みを向けてきたリディアは、靴が見えるくらいの少し丈が短めな服を着ている。そしてその手には、装飾の付いた半甲冑の一部があった。
「手伝うわね」
 その問答無用な雰囲気にノドの奥で笑うと、フォースはリディアの側に立った。
「似合うと思うのよ」
「だといい」
 後ろで笑いを殺しているブラッドの気配が気に障る。フォースはその笑みを冷視してから、あらためてリディアと向き合い、半甲冑を受け取る。
 今までの儀礼用甲冑はライザナルの宝飾職人が作っていたので、メナウルの宝飾の鎧と同じように見た目が非常に派手で、着け心地も良くなかった。だがワーズウェルは元々が鎧職人のため、騎士だった頃に着ていた鎧と違わず、動きの制限が最小限に押さえられている。その上、焼きで付けられたという紺色は落ち着きがあり、控えめな金色の細工が上品に浮かんでいた。
「失礼するよ」
 入室してきたレクタードの声に、フォースは向き合った。レクタードはフォースの格好を見てわずかに笑みを浮かべたが、すぐに元の表情に戻る。
「どこを行動しているか、まめに連絡を頼むよ。同じ心配するにも、場所が分かっているだけマシだ」
 フォースは、ああ、とうなずいて見せた。レクタードもうなずき返し、再び口を開く。
「こちらも予想外のことがあれば連絡を入れるよ」
「了解。まぁ予定通り、基本的なことは全部任せる。それと、レイのことも頼むよ。もし先に戻ることがあったら知らせて欲しいんだ」
 フォースの言葉に、分かった、と返し、レクタードは軽く三回うなずいて微笑んだ。
「馬も繋ぎ終えたよ。苗や作物を積んだ馬車のは、力のある馬を揃えてある」

 馬車を降りた地点は、冷えた空気が呼吸ごとに体温を奪っていくのが分かるほど、すでに結構な高地だった。
 馬車と一つの隊を残して山道に入った。木々がうっそうと茂った獣道のような場所を通り抜け、幾分平された道に出る。険しいと言うほどでもないが、歩きやすいと言うほど平坦な道でもない。
 フォースはリディアの腰を支えるように腕を回し、ナルエスの背を見ながら歩を進めていた。ナルエスの前には道案内のために先頭を歩くラバミスがいる。フォースの後ろには世話係としてソーンが付き従い、さらに後ろにはアジルとブラッド、他に小隊が付いていた。そして、見失わないだろうギリギリの距離をあけ、街の外で待機するための、二つ分の隊が続いている。
「余生とかご隠居とか言ってくれるな。農業はいいぞ。植物が育っていくのを見るのは楽しい」
 アジルの声が山側に響く。
「それが何でここに参加してるんだ?」
 右側にいるのだろうブラッドの声は、山裾の方向に流れている。アジルとブラッドは二人揃えておくと何かと話し続ける習性があるらしい。フォースは話しに混ざらないよう、反応を返さずに聞いていた。
「お偉い騎士が多いと緊張感ばかり増すだろう。俺みたいなオヤジが混ざっているだけで、ちょっとは気楽に見えるってもんだ」
 兵役を退いたアジルが名乗りを上げて付いてきたのは、そういう気遣いがあったのかとフォースは感謝した。
「嫁は相変わらず元気なんだろ?」
「元気じゃないと、おかしいみたいだな」
 ブラッドがアジルの問いに笑いながら答える。
「ケティカも息子も元気だよ。ちょうどいいからルジェナに連れてきて、今はケティカの実家だ」
「じゃあ安心だな」
 アジルの言葉と同様、フォースも安心した。あとはブラッドに、そして付いて来てくれる人たちに、無事帰ってもらわなくてはならない。皇帝として国を補佐するために、必要な人員なのだ。自分たちだけが安全でも意味が無い。
 ふと、脇の茂みが揺れた。だが、音は立っていない。フォースは立ち止まり、その茂みを凝視した。
「どうしたの?」
 わけが分からず振り返ったリディアに、その茂みを見るように促して声を掛ける。
「出てこいよ。久しぶりだな」
「なぁんだ、バレちゃった」
 そう返事が返ってきたかと思うと、茂みの中から緑色の物体が大きく膨れあがった。腕だけ長いずんぐりした体型に、丸く開かれた目がこちらを向く。
「ティオなのね! あ……」
 リディアの視線の先、ティオの後ろからリーシャが飛び出した。ティオの肩に立って、ポンと頭に手を置く。
「じゃ、遊んでくるわ」
「うん。気を付けてね!」
 ティオの返事を聞くと、リーシャはリディアに冷笑を向けて空へと飛び立ち、風に掻き消えて見えなくなる。ティオはリーシャを追った視線をリディアに向けた。
「リディア、元気だった?」
「元気よ。ティオもリーシャも元気そうね」
「うん。こっちのみんなもね」
 リディアと笑い合っていたティオが、フォースに向き直る。
「俺、リディアを運ぶつもりで来たんだ。なんか、アジルもブラッドもいるから、一緒に歩いたのが懐かしくなってさ」
 その人員で歩いたのは、リディアが降臨を受け、シャイア神の言葉に従ってヴァレスへ向かった時だ。その時はラバミスとナルエスはいなかったのだが。
「ありがとう。頼むよ」
 ふと気付くと、ラバミスがナルエスの陰に隠れ、目を見開いてティオを見ている。見た目は怪物だ、無理もないとフォースは思う。だが、安心してもらわないと、道案内にもならない。フォースはラバミスに笑みを向けた。
「こいつはティオといって古い友人なんだ。何も心配はいらない」
「古くないよ」
 横からティオが口を挟んだ。フォースは苦笑する。
「人間にとっては古いんだよ」
 その言葉に、ティオがフォースに顔を寄せた。
「ホントだ。フォース、よく見ると大人になったみたいだ」
「は? 前に会った時には、すでに大人だっただろ」
「うん。それよりもっと大人だ」
 フォースは会話するうちに、ティオは語彙が物凄く少ないことを思い出した。他の言い方が分からないのだ。これ以上言い争っても仕方がないので、フォースはティオに苦笑だけ返した。
 ラバミスを振り返ると目が合った。ラバミスは、ぎこちない笑みを浮かべる。
「先に進もう」
 フォースが声を掛けると、ラバミスは、ああ、とうなずいた。ティオは態勢を低くしてリディアを左肩に座らせ、左手でリディアを支えて立ち上がる。
「懐かしい眺めだわ」
 リディアの嬉しそうな様子に安心したのか、ラバミスはティオを気にしながらも、歩みを再開した。ティオのおかげで進みが少し早くなる。
「ブラッド、結婚できたんだね」
 フォースの後ろを歩くティオが、ブラッドに話しかけた。アジルが吹きだし、当のブラッドは冷笑している。
「なんだ、その言い方は。息子だっているんだぞ?」
「うん、知ってる。見たことがあるよ」
「うちに来たことがあるのか? 姿を見せてくれれば良かったのに」
「こっち側に来るのって、結構大変なんだよ? ディーヴァはシャイア様の力が少しあるから、ちょっとだけ楽だけど」
 ティオの言葉に、フォースの緊張が増した。やはりこの山にシャイア神の力が及んでいることは間違いないのだ。ティオの言う"ちょっとだけ"がどの程度かは分からないが、ティオがアルテーリアに来るのと、来るのをためらうのとでは、結果がまるきり違う。そこに差があるのは歴然としている。
「俺とリディアのところには、たまに顔を出してたじゃないか」
「うん。ちょっとだけ来やすいからね」
 試しに尋ねた答えに、また"ちょっとだけ"という言葉が混ざった。大雑把に同じ言葉を使ったのかもしれない。だが、もしかしたら同じように、未だリディアにシャイア神の力が及んでいる可能性があることにフォースは気付いた。
 ――リディア――
 かすかに届いた声にギクッとする。シャイア神の声だ。先頭を歩くラバミスが、フォースとリディアの反応を見たかったのだろう、歩みを止めて振り返った。フォースが冷笑を返してからリディアを見上げると、いつもの柔らかな笑顔を浮かべている。
「懐かしい声ね……」
 その顔には、特に恐怖心は見られなかった。フォースが、ああ、とうなずいて前方に視線を戻すと、ラバミスは硬い表情で肩をすくめ、再び村に向かって歩み始めた。