大切な人

     ― 嫉妬 ―

 懺悔の部屋は、講堂側から入る狭い部屋と、神殿裏側から入る狭い部屋が連なっていて、二つの部屋の間は小さな窓、というより穴でつながっている。俺はその懺悔の部屋の神官が入る方、神殿の奥に通じる裏側のドアをノックした。
「はい?」
 返事とともに、ドアが開いた。椅子に座ったまま振り返り、ペンを持った手でドアを開けたという体勢で、そこにいた神官が笑みを向けてくる。長い銀髪を後ろで一つにまとめ、色白で、光を赤く反射する灰色の瞳が印象的な顔、グレイだ。
「あ、フォース。昼メシ? ちょっと待ってて」
 俺がうなずくが早いか、グレイは俺の腕をとり、狭い部屋の中に引きずり込んでドアを閉めた。
「おい、別に中じゃなくても」
「まぁ、これを書き上げるまで待って。すぐだから」
 グレイは、ため息をついた俺を笑って、机とは呼べそうにない狭い台の上で紙にペンを走らせている。こんな立っているだけで精一杯なほどいところで待つのは苦痛だ。
「二位の騎士がこんな雑用やってるなんて」
 相変わらずノドの奥で笑い声を立てながら、グレイは小さなでインクを補充した。確かに使い走りまでやらされるとは思ってもみなかったが。
「女神が降臨してから、剣を振るうような衝突自体がないからな。前線も神殿も暇には変わりない」
「前線にいても一緒か」
「違う。同じなのは暇なところだけだ」
 即答した俺に、グレイは口の右側だけを吊り上げたような笑みを向けてから、続きを書き始める。
 俺が護衛を務めているのは恋人のリディアなのだ。前線に出ずっぱりの仕事と今の状況が同じであるはずはない。
 護衛という仕事のおかげで、女神の降臨を受けて巫女になってしまったリディアの側にいられるのだ。だが、リディアとはに一緒に暮らそうという約束をしていたので、逆に降臨したシャイア神に邪魔をされているという気がしないでもない。
 グレイがペンを置き、立ち上がりかけたところで講堂側のドアが開いた。誰かが入ってくる。
「あの、いいでしょうか」
「うかがいましょう」
 断らなかったグレイの声に、ドアの方を向いて部屋を出ようとしていた身体が固まった。背中でペンを走らせる音がしたかと思うと、グレイは俺の目の前にヒラッと紙を突き出す。
『息をするな』
 書いてある文字に思わずムッとしたが、動くな、音を立てるなという意味だと理解はできる。隣とつながった小さな四角い穴からは、俺が着けているマントの赤が見えているはずなのだ。
 サッサと先に部屋を出ておくんだった、いや、最初から引きずり込まれずに逃げておけばよかったと思ったが、こうなってしまっては後の祭りだ。
「聞いていただけますか」
 ホッとしたような若い男の声に、それも仕方がないかと、気持ちで息をついた。背中に、どうぞなんなりと、と言うグレイの声と、男が椅子に腰掛けた音が聞こえてくる。
「何も手につかなくて……」
 そいつのため息があまりにも大きくて、背中のマントが揺れたような気がした。
「恋を、してしまったんです。彼女を目にしたその日から、日がな一日、頭から離れることがなくて……」
 何もすることがないと、思わず耳を傾けてしまう。恋なんて、別に懺悔に持ち出すほど悪いことではないだろうに。
「とても優しく、美しく微笑む人なんです。でも、その微笑みには、いつも帰る場所があって。彼女がそいつにいいようにされていると思うと気が気でなくて」
 なんだ、横恋慕って奴か。それにしても、どこから話しが懺悔になるんだろう? グレイは何も言わずに、ただ聞いているだけだ。
「本来なら、誰の手も届かない人のはずなんです。なのに、どうしてこんな思いをしなきゃならないのか、納得できないんです」
 グレイが部屋の向こうに気付かれないよう、なんの合図なのか俺のマントをツンツンと引っ張った。横恋慕な奴は、それにまったく気付かずに言葉をつなぐ。
「そんな立場でそんな態度は変だと、いさめてあげなくてはと、思いませんか?」
「いいえ」
 グレイはようやく声を出した。そんな立場というのが何なのか、グレイには分かっているらしい。グレイは、ニッコリ微笑んで首を横に振る、そんな時の声で答える。
「人は誰も、あなたもその方も、一人で生きているのではありません。あなたの手の届かない方が、あなたの手の届かない方を信頼しているだけだとは思いませんか?」
「ただ出会う機会がなかっただけで、手が届かないなんて。シャイア神は不公平な方ではないはずだ。平等に機会を与えてくださればこんなことには」
 グレイは、ならなかったですか? と気の抜けた言葉を返した。横恋慕な奴の声が触発されたように幾分大きくなる。
「そうでしょう? だってあいつは良い家柄に生まれ育って、なんの苦労もなく学校へ行き、親の七光りで二位の騎士になったから彼女に会えたんですよ?」
 二位? 二位って、俺じゃないか。他は全部外れている気がするが、今のはもしかしたら俺のことか? じゃあ、彼女ってのはリディアで? しかも、いいようにされてるって、一体何を想像しているんだろう。思わず首を巡らせると、グレイは吹き出しそうなのをえて笑っている。口を開きかけた俺に、グレイは口に人差し指を当てて見せた。
「そう、シャイア様は決して不公平ではありません。彼がそんなに簡単に彼女に会えたのなら、あなたにもそういう出会いを与えてくださることでしょう。謁見を申し出てみてはいかがですか?」
 そんな奴をよこすなと言いたいが、声を出すわけにはいかない。グレイは思い切り笑っているくせに、声だけは不思議なほど真面目だ。まったく、器用な奴……。
「会わせてくださるんですね? やはりシャイア様は公平でなきゃ」
「ええ。今、彼女の全権は二位の騎士であるフォース殿にあります。軍部に申し出てください。用件くらいは聞かれるでしょうけど、会わせていただけますよ」
 ウッと声を詰まらせた男に、グレイはにこやかな声で言う。
「その辺にいる兵士に声をかければ、すぐに話しを通してもらえます。簡単でしょう?」
「……、わ、分かりました。では、そのように」
 立ち上がったのかガタッと椅子の音がし、男は懺悔の部屋を出たようだ。ドアが閉まり、足音が遠ざかっていく。って、え?
懺悔? ……じゃないよな」
 俺の言葉で堪えきれなくなったのか、グレイはブッと吹き出して大笑いをはじめた。
「せっかく合図したのに、気付くの遅すぎ。でもまぁ、多少なりとも罪悪感があるから、こんなところで言うんだろうけどね」
 グレイは驚いている風もなく、いつもの調子で、隣の部屋とつながる小さな小窓に、人がいない事を示す札を立てかけた。
「来るのか。今の奴」
 つぶやきながらドアを開けて部屋を出る。あとからグレイも、さっきまで書き込んでいた書類を手にしてついてきた。
「来ないよ。今までだって一度も来たことないだろ?」
「は?」
 目を点にして立ち止まった俺を追い越し、グレイが振り返る。
「リディアを紹介してくれってのは、五日に一度くらいはあるんだ。何度も来る奴もいるし。今日のは初物だけどね。やっぱり知らなかったんだ?」
 グレイは面食らっている俺の後ろに回ると、メシメシ、と背中を押した。
「全然知らなかった」
 歩き出した俺の横から、グレイが顔をのぞき込んでくる。
「外見もアレだし、ソリストとして注目もされてる、しかも本職になるかならないかっていう微妙な歳だしな。その上、身も心も清らかだという女神様の保証付きときたもんだ、人気も出るさ。歯止めがあってよかったよ」
「歯止め?」
「フォースだ」
 指を指されて、思わず吹き出した。呆気にとられている俺に、グレイはまた笑みを向ける。
「真剣に見ていれば見ているほど、リディアがフォースを好きだってのが分かるからな。フラれるためにコンタクトを取ろうなんて奴はいないさ。ま、でも、報告書くらいは必要か?」
「……、そうだな、危険そうな奴がいたら」
 少し考え込んで答えた俺を見て、グレイはノドの奥で笑い声をたてた。
「リディアが心変わりしそうないい男とか?」
 それも危険には変わりない。って、どうして話しがそっちへ行く? 俺の顔色をうグレイの様子が可笑しくて、思わず苦笑する。
「違う。刃物持って押し入りそうな奴って意味だ」
「なんだ」
 なんだってなんだ。ずいぶんとそっちを期待していたように見える。グレイは肩をすくめた。
「いや、フォースって物凄いやきもちきだと思うんだけど。あんまりくところを見たことが無いんだよな」
「そいつらとのことを想像してまでくかよ」
「あ、そうか。リディアはフォースが不安になるようなことを、したことが無いんだ」
 人の返事を無視してそれか。でも、確かにそうかもしれないと、心の中で肯定する。さっきの奴が言っていたように、リディアは他の誰とどんなに楽しげに話しても、最後にはそいつに背を向け俺の側に来て、もっと上等な笑顔を俺に向けてくれる。俺が何も言わなくても、その微笑みで安心させてくれるのだ。
 でも、もっと奥の方で嫉妬心が首をもたげている。これは一体、何に対しての不安なのだろう。
 廊下の突きあたりにある居間兼食堂から、アリシアとリディアがこちらに向かってきた。グレイは二人に、ヤァ、と手を振る。
「おなかが空い……。ネコ? どうしたの?」
 側まで来ると、逆光になっていたリディアの腕に、黒いネコが抱かれているのが目に入ってきた。リディアの隣にいたアリシアが、部屋で待ってて、とリディアに告げる。
「あんまり可愛いから連れてきちゃった。ミルク持ってくるわね」
 そう言い残すと、アリシアは俺の横を通って厨房へと向かっていった。連れてきちゃったって、いったいどこからなのだろう。リディアがいつものように笑顔を向けてくる。
「フォース、見て。この子、とても人懐っこいの」
 リディアはそのネコに視線を移した。ネコはゴロゴロとノドを鳴らし、首を伸ばしてリディアに顔を近づける。
「まっ、待て待て、駄目だ」
 俺は思わず、ネコにキスをしようとしたリディアからそのネコを取り上げた。
「え? どうして?」
 リディアは、キョトンとして俺を見上げている。
「どこのネコだか分からないんだろ? もし変な病気でも持ってたら」
 ブッとグレイがいきなり吹き出した。しげな視線を投げた俺に、グレイは人差し指を立ててみせる。
「フォース、それ嫉妬
「は? なっ?! そ、そんなんじゃ」
「違う? ホントに?」
 グレイは、言葉に詰まった俺からネコを抱き取り、顔をのぞき込んできた。
「毎度おなじみ出張懺悔室です」
「……やめろ、それ」
 どういうわけだか、俺はグレイにがつけない。神官だという大前提があるからか、それとも性格がそうなのか相性なのか。
はいけないなぁ。ん?」
 グレイは完璧な営業スマイルで、俺に視線を定めている。おかげで、いつも気付きたくない現実まで見なきゃならない羽目になるのだ。
「そ、そりゃあ、いきなりキスだなんて許さねぇって、少しは思ったけど……」
「正直でよろしい」
 グレイはノドの奥でククッと笑い声をたてると、頬を染めているリディアの肩を叩いた。
「よかったね。さて、一緒に何か食べようねぇ?」
 グレイはネコをでながら、サッサと食事の用意された部屋へと入っていった。リディアは、控え目な笑みを浮かべて俺を見上げる。
「……ゴメン」
 思わず謝った俺に、リディアは首を横に振り、微笑みで目を細くした。
「ううん、嬉しかったもの」
 リディアのその微笑みにホッとする。でもまさかネコにまで嫉妬するなんて、自分でも思っていなかった。
「度を超えてると思う部分は、どうにかしようと思っているんだけど」
 俺の苦笑に、リディアは肩をすくめる。
「相手が人だったら、簡単に好きになったり、キスなんてしないから安心して」
「え。会って二度目でキスしてもらった人間が、ここにいるんだけど」
 リディアがキスをくれたのは、出会った次の日、二度目に会った時だった。リディアはそれを思い出したのか、昔をかしむように、柔らかな笑みを浮かべる。
「あの頃はまだ子供だったから、フォースにも家族みたいにキスができたの。でも次に会った時は……」
 口ごもってしまったそのあとに、リディアはなんと続けたかったのだろう。俺が眉を寄せると、リディアはハッとしたように口を押さえ、顔を見上げてくる。
「もしかしてフォース、私のことれっぽいって思ってるでしょう」
 いきなり何を言い出すのかと、俺は思わずリディアの表情をのぞき込んだ。リディアは俺が肯定したと取ったのか、頬をらませる。
「こんな風に好きになったのってフォースだけよ。だからかなきゃならないコトなんて、ひとつも」
「うん、ないよね。分かってるんだ、こんな嫉妬に意味はないって」
 俺は安心させようと、できる限りの笑みをリディアに向けた。リディアは困ったように口を結び、それから改めて俺を見上げる。
「私が他の誰かのモノになるかもって思っているの?」
 リディアの問いに、心臓がゴトッと音を立てた。誰にも渡したくないという独占欲が頭をもたげてくる。そうか。俺の不安はそこにあるんだ。
「いや、違う。誰かに取られると思っているわけじゃないんだ」
「だったら私、どうしたら……」
 不安なのは、むしろリディアの方かもしれない。余計なことで心配させてしまっている。だったらいっそのこと、正直に話してしまった方がいいのだろうか。
「リディアを信じていないわけじゃない、独占したいんだ。誰にも見せたくないし、声も聞かせたくない。どこかに閉じこめて、リディアの何もかも全部を独り占めしたいんだ」
 リディアは驚いたように目を見開いた。そりゃそうだろう。いきなりこんなことを言われたら、怖いだろうと思う。
「でも、そんなのは無理だって分かってる。それに、笑ったり驚いたり怒ったり喜んだり、俺はそういうリディアが好きなんだ。だから何も心配はいらない。今のままが一番なんだ。……って、こんなこと言っちまって俺、嫌われたんじゃないかって方が不安だよ」
 俺の苦笑を見て、リディアはうつむき加減で首を横に振った。それからそっと頬を染めた顔を上げ、視線を合わせてくる。
「いつか必ず、私のすべてをフォースだけのモノにして」
 リディアの腕が俺の首にからみつき、唇が重なった。俺はリディアの背中に腕を回して抱きしめる。
「ああ。必ず」
 ソリストという仕事からも、降臨しているシャイア神からも、必ずリディアを取り返してみせる。すぐ側のブラウンの瞳に引き込まれるように、俺はもう一度唇を合わせた。
 唇が離れるといつも、リディアは恥ずかしそうに目を伏せてから、柔らかな笑みを俺に向ける。この微笑みだけを見つめていることができたなら、どんなにか幸せだろうと、それを望まずにはいられない。
「もういい?」
 その声に、リディアが廊下の奥に目をやり、あ、と両手で口を隠す。振り向くと、そこにはミルクと皿を持ったアリシアが立っていた。見てた? んだろうな、やっぱり。
「リディアちゃんってば、意外と大胆
 アリシアの言葉で真っ赤に上気した顔を、リディアは両手でって隠した。
茶化すなよ」
 俺はリディアを包むように抱いて、アリシアから遠ざけた。アリシアは、にやけた顔を俺に向ける。
「あんた独占欲強すぎ。リディアちゃん、箱詰めされないように気をつけてね」
 箱詰めって一体。
「……するかよ」
「ほら、食事食事」
 ため息をついた俺の腕の中から、アリシアはリディアの手を引いて連れ出す。俺は振り返って微笑んだリディアに笑みを返し、二人の後に続いた。